)” の例文
からすみは、九州の五島付近でれた鰡の腹のなかから、卵だけを抜き去ってこれを長崎で加工したものが、一等品と称されている。
蜻蛉返り (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
れるのは旧の三月から十月頃までであるが、そのころはもうまずくなるので、喰って味のよいのは、ちょうど今だと愛嬌をいう。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
その幹の間から並んで動いて行く小さい苫屋とまやが見えた。あたたかな砂浜には人が多ぜいいかなごをる網を曳いて居た。犬が吠え廻った。
百喩経 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
また或時万作が鯉をって来て料理するのを見て居たが、其右の手にすがって「あらとっちゃん、いやいやあたいもうお魚たべるのはいや」
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
独逸では魚は余りわないが、それは魚がれないからで、何も日本でもその真似まねをして魚を喰わないようにしようなどと説く人もなかろう。
語呂の論理 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
「大殿。ただ今、神官や村長むらおさどもが、御門出おんかどでの祝いにと、この山の渓流でれた串魚くしざかなやら餅など捧げ持って見えましたが」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう既に焼き飯も焼けているのに、菊枝が起きてこないと言うだけのことで、魚をりに行く時間が遅くなるのに、まだ朝飯にならないのだから。
緑の芽 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
まだ海豹島かいひょうとうへ行って膃肭臍おっとせいは打っていないようであるが、北海道のどこかでさけってもうけた事はたしかであるらしい。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼等の言ひ草に依ると、『あれほど味の佳い秋刀魚や鰯が、あり余るほどれて、安価やすいのが、そもそも怪しからん』
書狼書豚 (新字旧仮名) / 辰野隆(著)
乃公が死にそうな目に遇ったのは畢竟つまり宿屋の罪科とがだ。それをお父さんが、此は珍らしい魚だ、此辺でなければれない名物だと言ったのも可なり悪い。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
船に乗っとるもんでもが……現在、膃肭臍をった処で、それが膃肭臍、めっとせいという区別は着かんもんで。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「とにかくはらがすいた。何か食べようよ」私はこの辺でれるたいのうまさなどを想像しながら言った。
蒼白い月 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
川により、場所により、時によって味が違うばかりでなく、漁法とりかたによっても味が違います。網でると魚が煩悶はんもんして川底の小砂を呑みますから味が悪うございます。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「年を取った方のお客が持って来ました。竹の皮包みにして、——今日ったばかりのを、知合からわけて貰って来たが、よく洗ってあるから大丈夫だ——と言って」
みんなり立てのまぐろのように、あちらに一塊り、こちらに一塊り、ただゴロゴロと寝そべって、揺れるに任せていたのであった。が、その日の夕暮れ頃であったろうか?
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
る舟なりと云ば伊賀亮大に打笑ひ那燈火も矢張我々を召捕んため舟手ふなてにてかためたる火光にして其間にまるみゆる火光こそ全くの漁船なり海陸かいりくとも斯の如く手配せしは越前が我々を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
鰹といふと鎌倉でれて、江戸で食べるといふふうになつて、賣るも買ふも、いさはだの代表のやうになつてゐるが、鰹は東南の海邊では、どこでも隨分古くから食用になつてゐる上に
初かつお (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
それがここいらへ来ては相模川になります、これからずっとしもへさがると馬入川ばにゅうがわで、東海道は平塚のこっちの方へ流れ出すのがそれでございますな、秋になるとうろこの細かい鮎がれて
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その積み石をも「やつか」といひ、「やつか」の魚をることをも「やつか」と言ひらしてゐるのである。「やつか」の所在は、「やつか」を置いた漁人にあつて何時でも明瞭である。
諏訪湖畔冬の生活 (新字旧仮名) / 島木赤彦(著)
前の川で今れたのだと言つて海苔のやうな濃い蒼い脊中をしてゐる鮭を玄関の石の上に置いた。女の大腿くらゐある腹に朝焼けのやうな紅みが走つてゐて、大きなあぎとがぱつくりと動いた。
故郷を辞す (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
それがもろこであると説明しておいて、老主人はひどく土地のなまりのある言葉でなおもいい足した。自分は海の魚をあまり好かない。このもろこは近所の川で今朝ってきたものであるというのである。
「殿様、今夜はれましょうぜ。潮の加減でわかりまさあ」
赤格子九郎右衛門の娘 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
桜鯛といって人気があるのは、四、五月頃の産卵の季節に最も数多くれるからであってその季節が最も美味というのではないらしい。
鯛釣り素人咄 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
昼の三時頃には洲の水は浅くなって足のくるぶしほどになりました。漁師たちは手網や手掴みで四斗だるに一ぱい半ほどの魚をり、網を外ずして去りました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
二人は明日あす魚をりに行く時の楽みを、今の当りにえがき出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
河幅は怖ろしく広かったが、水は渡渉としょうできる程だった。数日、残暑の汗によごれた肌着など洗う兵もあり、魚をって、かがりで焼いて喰っている仲間もある。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三時にうちへ帰ったが、家で遊んで又何か壊すと悪いから、乃公は釣魚つりに出掛けた。いつかぶくぶくしそこなった水車の傍へ針を下したが、はやが二ひきれたばかりだ。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「年を取つた方のお客が持つて來ました。竹の皮包みにして、——今日つたばかりのを、知合からわけて貰つて來たが、よく洗つてあるから大丈夫だ——と言つて」
……遅めの午飯ひるに、——潟でれる——わかさぎを焼くにおいが、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじをちらして、青空に透通る。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし上等な場所と申しても、三日も四日も大雨が降り続いて大水が出て岩についている硅藻を押し流してしまうとその後五、六日間にれた鮎はに飢ているから味が悪うございます。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
焼山の蝙蝠こうもりは、糸魚川いといがわ方面からは、分明に見えるというし、米山に鯉があらわれると、魚がれないという諺もある、頸城くびき郡の黒姫山の寝牛、同じく白鳥山の鳥など、雪の国だけあって
雪の白峰 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
カルユイ(小蟹)、ソガリ(鰍魚)、フナ、ヒガイ(鰉)、ドジョウなど、いずれも眼下に眺める大同江の水からったものだそうだ。
淡紫裳 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
石浜宿の住民が、隅田川でったという鮮魚を小舟で献上に来た。それから少し後、附近の神社の神官や土民のおさが、連れ立って、拝礼を遂げて帰ってゆく。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
試験所から依頼いらいされているのだが、湖から珍らしい魚がれても、受取りの係である復一は秀江の家へ近頃はちっとも来ないのである。そして代りの学生が来る。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
一口に玉川の鮎が不味まずいといいますけれども羽村はむらせきからかみになると鼻曲り鮎と申して味もなかなか好くなります。酒匂川の鮎も本流よりは河内川こうちがわの支流でれた鮎が美味おいしゅうございます。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
一円十三銭出せばり放題ですからの、大負けにして上げます。一本四十八銭のところが三十銭じゃ。実に利くものですぞ。のう。千切ちぎりにして味噌汁に入れる。身が溶けて油丈けになる
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
橋本のあと食付くっついて手拭てぬぐいをぶら下げて、この橋を渡った時、板の真中で立ち留まって、下をのぞき込んで見たら、砂が動くばかりで水の色はまるでなかった。十里ほどかみさかのぼるとあゆれるそうだ。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大潟おおがたる名物だ、と八郎が私に云った。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
那珂川や、魚野川、鬼怒川などに沢山いて、里の子供が鰍押しで春から夏にかけてるが、水温が高いためかどうも賞味できないのである。
水と骨 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
いッそ、くわを捨てて、馬口労ばくろうか、木挽こびきかになろうとしても、役銀をとられるし、油屋、酒屋も株もの、川船で稼げば川運上かわうんじょう雑魚ざこっても、網一つに幾らの税だ。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
沼越しに躑躅の丘山が見渡せる料亭の二階で、この沼でれるという鮒、うなぎ、蓴菜じゅんさいが主品の昼の膳に向っていますと、どこからかひなびた三味線が聞えて来ます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
千代子は明日あしたもし天気が好ければみんなと魚をりに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
奥秩父の三峰川と、中津川にも近年まで渓流魚は数多かったが、近頃は職業漁師と都会人のためにり尽くされてしまった。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
太平記というほんによれば、その昔、この伊勢地方には、仁木義長にっきよしながという弓矢の大馬鹿者がいて、神領三郡に打ち入って、ここを占領し、五十鈴川の魚をって食らったりし
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ゆうべ、少しれ過ぎてね。始末に困るんだよ」
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
涸沼ひぬまなど淡水へ遡り込んだ鰡と、江の島まわりや小田原海岸、南伊豆のような外海でれる鰡とは、味が異なるのである。
蜻蛉返り (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
千種川であゆれる頃になれば、鮎の味噌焼みそやきにはなくてはならぬつまではないか。ぴりと辛うて、舌をしおる。又、腹中の虫をくだし、暑気あたりの薬になる、立派な奉公だ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
利根郡地方でれたものと、下流の佐波郡地先で漁れたものを食べ比べると、問題にならぬほど上流のものがおいしい。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「魚をって、生業たつきとしている人もあるんだから、それはいい。ひとつの慈悲だ」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は、京都では鴨川上流でれたどんこの飴煮、金沢ではごりの佃煮、最上の小国川では鰍の煮こごりを食べたが利根川の鰍の味に勝るはなかった。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)