渺々びょうびょう)” の例文
空の菫がかった日光と白金色はくきんしょくの月は次第にうすれて行った、そしてかの黎明の色を前触するような渺々びょうびょうたる無色の天地に変って来た。
水は渺々びょうびょうあし蕭々しょうしょう——。梁山泊りょうざんぱく金沙灘きんさたんには、ちょっと見では分らないが、常時、水鳥の浮巣のように“隠し船”がひそめてある。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
郊外の龍華寺にきその塔に登って、ここに始めて雲烟うんえん渺々びょうびょうたる間に低く一連の山脈を望むことができるのだと、車の中で父が語られた。
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かつ「海の真中に雲がかかる」といふことは聞えぬ言葉つづきと存候。渺々びょうびょうたる空間、渺々たる海上にある雲を「かかる」とはいふべからず候。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
と、本流の水はまた一つの三角洲を今度は左に押しつめて、広く広くななめに、河幅を右へ右へと開いてゆく。おお、また渺々びょうびょうとして模糊もこたる下流。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
すると渺々びょうびょうたる平原の尽くる下より、眼にあまる獒狗ごうくむれが、なまぐさき風を横にり縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
箏の音はまた、それとは違うて、渺々びょうびょうとしておるので——真の、玉琴というのはああした音色ねいろと、余韻とでなければ——
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
……雨水が渺々びょうびょうとして田をひたすので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々ところどころいわ蒼く、ぽっと薄紅うすあかく草が染まる。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
脚下には新緑に掩われた幾つ何十かの山々の背が波のうねりのような起伏を見せて、その向うには一望はてしもない青海原が渺々びょうびょうたる紺碧こんぺきを拡げていた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
港の外の渺々びょうびょうたる大洋を、巨大なる一頭の鯨が悠々ゆうゆうと泳いでいる。ふと見るとその傍に可愛らしい鯨がついている。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
以上三点の区別より推測するに、死後の霊魂なるものは、実に空々くうくう漠々ばくばく渺々びょうびょう蕩々とうとう、苦もなくまた楽もなく、知もなくまた意もなきありさまならざるべからず。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
水は悠々として永遠に流れ、永遠に帰り——その渺々びょうびょうたる水面に静かな陰を落すであらう漂泊の雲と共に、我々に永遠を感じさせる貴重な一つであるかも知れない。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
絶巓は渺々びょうびょうたる曠野こうやであって一帯の芝生に、小池が所々にあって無数の南京小桜なんきんこざくらが池を廻って※娜じょうだとして可憐かれんを極めている、この曠野は三角点附近を最高点としていて
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
緑色の渺々びょうびょうたる大海、暖かい日の光を浴びて輝いている絵のような景色に見とれて歩いていた。
その鳥と雲との距離の渺々びょうびょうたる深さが、油然ゆうぜんとかれの心に悲しい思いをかきたてた。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
煙波、渺々びょうびょうたる海の面、埋まったりや、数万艘、二引両、四目結、左巴ひだりともえに、筋違い、打身に、切疵、肩の凝り、これなん、逆賊尊氏の兵船。えんや、やっこらさっと、漕いできたあ。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
更に南の方を見ると、北利根、横利根、新利根の水一処に落ち合って、十六島は何処に行ったか影も見えぬ。唯水勢浩々こうこう渺々びょうびょうとして凄じく南の方に押して行くのが荒海のように聞える。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
その大広間の、渺々びょうびょうとして遠くかすんでみえるような広いへやのまんなかへ、ちょこなんと名人主従を待たしておくと、やがてのことに持ち運んできたのは、数十冊のあやにかしこい経典でした。
トムきちは、渺々びょうびょうとした砂漠さばくうえに、あらわれたしろくもあおぎながら
トム吉と宝石 (新字新仮名) / 小川未明(著)
朝日が渺々びょうびょうたる波のかなたに昇ると、船はからからと錨を揚げ、帆を朝風にばたばたとなびかせながら巻き上げた。俊寛は、最後の叫び声をあげようとしたけれども、声はすこしも咽喉のどから出なかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、れんを垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々しょうしょうの風と渺々びょうびょうの草原をぬう旅はつづいてゆく。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
米友は櫓の手を止めて、弁信の言葉にはあんまり耳を傾けず、渺々びょうびょうたるみずうみの四辺をグルグル見廻しておりましたが、急に威勢のはずんだ声を出して
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
蘆の穂に、橋がかかると渡ったのは、横に流るる川筋を、一つらに渺々びょうびょうしおが満ちたのである。水は光る。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
西は渺々びょうびょうたる伊勢の海を眼界の外にかすませて桑名くわなへ至る石船の白帆は風をはらんで、壮大な三角洲の白砂はくしゃと水とに照りあかって、かげって、通り過ぎる、低く、また
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭をいてがしてあるいても古往今来こんらい一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
慌ただしく渺々びょうびょうたる山波を仰いで大いなる壮快を繕ひ乍ら、何ものとも知らぬものへちらめく呪ひを感じたり、谷底へ奇怪な戦慄を覚えたり、喚きたくなつたりした。
小さな部屋 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
渺々びょうびょうたる相洋は一分時ぷんじならずして千波万波ばんぱかなえのごとく沸きぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
見わたすと、渺々びょうびょうの野に、顔良がんりょうの精兵十万余騎が凸形とつがたにかたまって、味方の右翼を突きくずし、野火が草を焼くように押しつめてくる。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明らさまにいて月がし、露なり、草なり、野も、山も、渺々びょうびょうとして、とり、犬の声も聞えませぬ。
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
樺太は中知床岬なかしれとこみさきの東、渺々びょうびょうたるオホーツク海のただ中、見渡すかぎりは円い水平線と氷雲
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
余りの広さに極度に視線を狼狽ろうばいさせた男達は、あわただしく渺々びょうびょうたる山波を仰いで大いなる壮快をつくろい乍ら、何ものとも知らぬものへちらめく呪いを感じたり、谷底へ奇怪な戦慄せんりつを覚えたり
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
しかし、やがて大陸の渺々びょうびょうたる野路のじ山路は、いつか、旅の母子に、後ろの不安も、思い出せぬほどな遠くにしていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はじめは双六すごろくの絵を敷いた如く、城が見え、町が見え、ぼうとかすんで村里むらざとも見えた。やがて渾沌こんとん瞑々めいめいとして風の鳴るのを聞くと、はてしも知らぬ渺々びょうびょうたる海の上をけるのである。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
大洋は渺々びょうびょうたり、日光は燦爛たりである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
年より扱いが元から嫌いなたちなのである。乾児こぶんこもの十郎とお稚児の小六は、舟をつないで後からいた。河原は渺々びょうびょうとして眼の限り石ころと水であった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
装束すまいて床几しょうぎを離れ、揚幕を切って!……出る! 月の荒野あれの渺々びょうびょうとして化法師の狐ひとつ、風を吹かして通るとおぼせ。いかなこと土間も桟敷さじきも正面も、ワイワイがやがやと云う……縁日同然。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
渺々びょうびょうたる黒い水平線
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この渺々びょうびょうとした黄土の大陸にあっては、漢室の天子といい、曹操といい、袁紹といい、董卓といい、呂布といい、劉玄徳といい、また孫堅その他の英傑といい
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渺々びょうびょうたるに、網の大きく水脚を引いたような、斜向うの岸に、月村のそれらしい、青簾あおすだれのかかった、中二階——隣に桟橋を張出した料理店か待合の庭の植込が深いから、西日を除けて日蔭の早い
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この山頂のほかは、すべて雲の海の渺々びょうびょうであった。すぐ真下だという稲葉山城の裏谷さえ何も見えない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
媼は見返りもしないで、真向まっこう正面に渺々びょうびょうたる荒野あれのを控へ
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
神楽岡かぐらがおかから北へ十町ばかり、中山を越えて如意にょいたけすそにあたる、一望渺々びょうびょうと見はらされる枯野の真っただ中に火事かと思われるばかり大きな炎の柱が立っていて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
路は一面、渺々びょうびょうと白い野原になりました。
雪霊続記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ただし渺々びょうびょうたる大江の上、一艘の船に火がかからば、残余の船はたちまち四方に散開する。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渺々びょうびょうたる水面から、おのずから沁徹しみとおる。
鷭狩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
時にまた、彼は、家の裏の楽山へ登って行って、渺々びょうびょう際涯さいがいなき大陸を終日ながめていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、一方は渺々びょうびょうたる江水こうすいてんみなぎり、前は自然の湾口をなして、深く彼方の遠い山裾まで続き、いずれへ渡るにも、舟便に依らなければ、もうどっちへも進めない地形だった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いくらくもかすみに乗って、こう空ばかり素ッ飛んでみたところで、これじゃあ、知れッこありませんや。毎日毎日、下に見えるのは、山岳だの大川だの渺々びょうびょうとした田舎ばかり。ちッたあ、人里へも出てみなくッちゃあ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)