昂奮こうふん)” の例文
上の水分みくまり神社の桜も、下の山添い道の山桜も、散りぬいていた。花ビラのあやしい舞が彼の童心を夢幻と昂奮こうふんの渦にひきこむのか。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女はその昂奮こうふんを笑いに紛わして来た。「みんな、行って来るぞい」その言葉を養子夫婦にも、奉公人一同にも残して置いて来た。
ある女の生涯 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ただの寒さしのぎではない。気が違いそうに昂奮こうふんしているのだ。どうにもならない衝動を、そうしてまぎらしているのに違いない。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
刻々高まって行く異常な昂奮こうふんを抑えて、窓からあかつきの光の忍び込むのを見た時は、全く腹の底から救われるような心持になりました。
田山白雲は、こういう空想にのぼせきって、異常なる昂奮こうふんを覚えながら、無暗に海岸を行き行きて、とどまるということを知りません。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
うっかりしたら、お守役もりやくわたくしまでが、あの昂奮こうふんうずなかまれて、いたずらにいたり、うらんだりすることになったかもれませぬ。
甲斐は幼なかったが、それが鯉だということはすぐにわかったし、そんなに大きな鯉を見たのは初めてで、のぼせあがるほど昂奮こうふんした。
家をたてて行くために存在しているのであった。それだけでぼッと昂奮こうふんしてしまうほど血肉に浸潤し、こういう雰囲気になずんでいた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
それは昂奮こうふんしたお延の心持がやや平静に復した時の事であった。今切り抜けて来た波瀾はらんの結果はすでに彼女の気分に働らきかけていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だが、このキチンとした「こどもクラブ」も、今日は、ひどくかき乱され、子供会に集つた子供たちも、昂奮こうふんして立ちさわいでゐました。
仔猫の裁判 (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
死んだという知らせを電話で聞いて、昂奮こうふんして外へは出て見たが何処へいっても腰がすわらないといって、モゾモゾしている詩人もあった。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
盗まれたというんですね。ほう、昂奮こうふんせられるのはごもっともですが、どうか気をしずめられたい。そんなばかなことがあってたまるものか
女の子は、こういうと烈しく咳をして、からだを藻掻もがくようにした。昂奮こうふんしすぎたせいか、こんどは反対にうとうと睡り出した。
音楽時計 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
彼は叫ぶように言いながら、ひどく昂奮こうふんした。彼は顔を赤くして、投げ出すような歩調で看護婦たちのほうへ歩み寄っていった。
猟奇の街 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
睡眠不足の旅の疲れと、トルストイ翁に今会いに行く昂奮こうふんとで熱病患者の様であった彼の眼にも、花の空色は不思議に深い安息いこいを与えた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「発狂というところへまではまいりませぬが、時々精神を昂奮こうふんさせましたり、常規を逸した行動に出たり、言葉に出ることはござります」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
セミが思いがけなく低い木の幹などに止まって鳴いているのを発見すると、まったく動悸どうきのするほど昂奮こうふんする。今でもする。
蝉の美と造型 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
お通しして、病人を昂奮こうふんさせてもいけぬから、おいでになったことを、当人に通じて来る間しばらく、お待ちを願いたいということであった。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
時々あわて者が現われて、一昂奮こうふんから要路の大官を狙ったりなどするのは、畢竟ひっきょう大鵬たいほうこころざしを知らざる燕雀えんじゃくの行いである。
青年の天下 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
訊問ということを一つの芸術と心得ている津村検事は、ちょうど芸術家が、その制作に着手するときのような昂奮こうふんを感じているらしいのである。
愚人の毒 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
私は昂奮こうふんの原因が、どこにあるか自分にもよくわからなかった。妻の云うように、自分の子供を戦地へ送るときにはこうもあるかと思っても見た。
いい着物をきせられた嬉しさに、昂奮こうふんしていたが、ここまで兄と一緒に歩いて来るのに、疲れ果ててしまったらしく、呼吸をぜいぜいいわせている。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
春日の森にひぐらしとつくつくぼうしが私の汗をなおさら誘惑する。男鹿おじかはそろそろ昂奮こうふんして走るべく身がまえをする。
ただ最近多少昂奮こうふんし易くなったことは事実で、そういう時、数年間まるで忘却していた姿の或る情景などが、あぶり出しの絵の様に、突然ありありと
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「いや、お呼び止めいたして済みません。一寸御挨拶ごあいさつがしたかったのです。」と、って勝平は、息を切った。昂奮こうふんために、言葉が自由でなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
僕は昂奮こうふんなんかしていません。キットそうなのです。駄目です駄目です。僕の空想なんかじゃありません。……このへやに居ると僕はキット殺されます。
狂人は笑う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
店の若い者が眼をさまして見ると、彼らは昂奮こうふんした声を押つぶしながら、無気むきになって勝負にふけっていた。若い者は一寸ちょっと誘惑を感じたが気を取直して
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
きびしい風とその鋭い香りとに、妙に昂奮こうふんさせられてしまったので、彼の心は、何か快いものをおずおずと待ってでもいるように、落ちつかなかった。
話し手の男は自分の話に昂奮こうふんを持ちながらも、今度は自嘲的なそして悪魔的といえるかも知れないいどんだ表情を眼に浮かべながら、相手の顔を見ていた。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
その自分の声で自分がけしかけられて、昂奮こうふんして来て、今は火のような憎悪ぞうおに飛び出しそうな目になっている。花岡は、セセラ笑いながらそれを見ている。
胎内 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
ナイフにり込まれた頭文字イニシャルって私の作り上げた推理を、まだ意地悪く信じていたかったので、矢島五郎——と聞いた時に、いささか昂奮こうふんしてしまった。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
勿論もちろんその結果は構造の上にも現われていて、以前はいわゆる一波万波で、ちょうど子どもがふざけ始めると、止めどもなく昂奮こうふんして行くのとよく似ていた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
熱するというのはすなわち感情の昂奮こうふんするいいである。しかしことにあたるか否かを判断するときは、すべからく感情をけ冷静に是非曲直ぜひきょくちょくの判断を下すを要する。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
絶句して、やっとぼくは昂奮こうふんから身を離すべきだと気づいた。ぼくは握り飯の一つを取り、頬張って横を向いた。もうどうにでもなれ、と思った。こん畜生。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
「まあ待てよ、きみはいま昂奮こうふんしてるから、とにかく森のほうへでも行って熱気ねっきをさましてきたまえ、富士男君もそれまであまり追究ついきゅうせずにいてくれたまえ」
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
だいたい、緊張から解放された後でなくては、どうして、当時の昂奮こうふんが心の外へ現われなかったのだろうか
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
私はその避難者の群れの中に、はからずもお前たちの一家のものを見出みいだした。私たちは昂奮こうふんして、痛いほど肩をたたきあった。お前たちはすっかり歩き疲れていた。
麦藁帽子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
するとその翌る晩、十一時過ぎに安成が来て、「大杉が行方不明ゆくえふめいとなりました、」とひど昂奮こうふんして
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そして半数の労働者がプロレタリアの指導を去って彼等の追随者になっている。昨夜の広東事変はこうした事実に対する同志の熱狂的昂奮こうふんによってなされたことであった。
地図に出てくる男女 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
道々、M君の昂奮こうふんしたふるえを帯びた言葉を、とぎれとぎれにきいても、それが………………のだということがわかった。それはまるで………………と云った感じだった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
いよいよ討入は十二月五日の夜と決定して、そのむね頭領大石からそれぞれ通達された。一同は一種の昂奮こうふんをもってそれを受取った。五日といえば、あますところ日もない。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
それは久しく遠国に旅をしていた人が、何年ぶりかにわが家へ帰って来て、出発のときと変わらない門口の模様を発見したときの、あの妙に白っぽい、不思議な昂奮こうふんに似ていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
朝鮮を経つとき、私は昂奮こうふんしていた。一刻も速くこの地獄から逃れ出たいと希願した。汽車に私は、早く朝鮮から連れて行ってくれと願った。どこへでも一刻も速く、と願った。
あのような重大問題を論ずるに当りては、われ等とても、勢い多少の昂奮こうふんを免れない。
私たちが如何様いかように自分の住むの近代の都市を誇称しようとも、そして昼夜のあらゆる時を通じて其処そこに渦巻くどんな悪徳や鋭ぎ澄ました思想によつて昂奮こうふん偽瞞ぎまんされてゐようとも
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮こうふんして、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬おうせを望むことになったが、王命婦おうみょうぶも宮の御懐妊になって以来、以前に自身が
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
見つめられて当の浪路は、顔色さえサーッと青ざめて見えるほど、明らかに昂奮こうふんして来た。膝に置いた、白い手先きが、小さな金扇を、ぎゅっとつかみしめて、息ざしがあえぐようだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
少年の皆三を前にしておふみは、かういつて涙をぽろ/\こぼした。皆三は血の気で頭の皮膚が破れるかと思ふばかり昂奮こうふんして、黙つて座を立つて行つて、土蔵の中の机の前に腰かけた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
一升位ざぶざぶと酒が飲みたくなる雨。女だって酒を飲みたくなる雨。昂奮こうふんしてくる雨。愛したくなる雨。オッカサンのような雨。私生児のような雨。私は雨のなかをただあてもなく歩く。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
食事をしているも、昂奮こうふんした頭脳あたまが、時々ぐらぐらするようであった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)