恍惚くわうこつ)” の例文
われをもくして「骨董こつとう好き」と言ふ、誰かたなごころつて大笑たいせうせざらん。唯われは古玩を愛し、古玩のわれをして恍惚くわうこつたらしむるを知る。
わが家の古玩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
半次郎はんじらうが雨の怪談くわいだんに始めておいとの手を取つたのも矢張やはりかゝる家の一間ひとまであつたらう。長吉ちやうきちなんともへぬ恍惚くわうこつ悲哀ひあいとを感じた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
銀鞍ぎんあん少年せうねん玉駕ぎよくが佳姫かき、ともに恍惚くわうこつとしてたけなはなるとき陽炎かげろふとばりしづかなるうちに、木蓮もくれんはなひとひとみな乳房ちゝごとこひふくむ。
月令十二態 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
封建の揺籃えうらん恍惚くわうこつたりし日本はにはかに覚めたり。和漢の学問に牢せられたる人心は自由を呼吸せり。鉄の如くに固まれるものは泥の如くに解けたり。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
若者わかものおもはずはしました。るがうち波間なみまはなれ、大空おほぞら海原うなばらたへなるひかり滿ち、老人らうじん若者わかもの恍惚くわうこつとして此景色このけしきうたれてました。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
おとなしいレオは、喜んでするに任せて居る——太陽に祝福された野面や、犬や、そこに身をかがめて居る働く農夫などを、彼はしばらく恍惚くわうこつとして眺めた。日は高い。
「坂田はやつたぞ。坂田はやつたぞ。」と声に出してつぶやき、初めて感動といふものを知つたのである。私は九四歩つきといふ一手のもつ青春に、むしろ恍惚くわうこつとしてしまつたのだ。
聴雨 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
彼女かれ恍惚くわうこつとして夢の如く、心に浮ぶ篠田の面影おもかげすがりて接吻せり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
恍惚くわうこつとよろめきわたるわだつうみのいろこの宮のほとりにぞ居る
雲母集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
その猛猛たけ/″\しい恍惚くわうこつの一撃だ。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
僕等はそれ等の作品に接した時には恍惚くわうこつとなるより外に仕かたはない。文芸は——或は芸術はそこに恐しい魅力を持つてゐる。
此時このとき、われにかへこゝろ、しかも湯氣ゆげうち恍惚くわうこつとして、彼處かしこ鼈甲べつかふくしかうがい行方ゆくへおぼえず、此處こゝ亂箱みだればこ緋縮緬ひぢりめんにさへそでをこぼれてみだれたり。おもていろそまんぬ。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
彼は恍惚くわうこつとしてその楽の音に聞き惚れて居た。或る夜にはまた、活動写真館でよく聞く楽隊の或る節が……これもやはり何かの行進曲であるが……何処からともなく洩れ聞えて来た。
美くしき譬へがたなき恍惚くわうこつの奥のかをりを。
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
小生は勿論「けふの自習課題」の作者に芸術的嫉妬しつとを感じさふらふ。然れども恍惚くわうこつたる少女の顔には言ふからざる幸福を感じ候。
伊東から (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
たまごとかたに、やなぎごと黒髪くろかみよ、白百合しろゆりごとむねよ、と恍惚くわうこつわれわすれて、偉大ゐだいなるちからは、つくらるべき佳作かさくむがめ、良匠りようしやう精力せいりよくをしてみじか時間じかんつくさしむべく
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その天地の栄光は、自然それ自身の恍惚くわうこつは、一瞬時の夢のやうに、夕日が雲にかくれた時に消えた。夕日は、雲から、次には一層黒い雲と遠い地平の果の連山の方へ落ち込んで行つた。
彼はこの恍惚くわうこつたる悲しい喜びの中に、菩提樹ぼだいじゆの念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭しんとうにかすかなゑみを浮べて、恭々うやうやしく、臨終の芭蕉に礼拝した。——
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
恍惚くわうこつたるたびをとこ
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
金花はまるで喪心さうしんしたやうに、翡翠の耳環の下がつた頭をぐつたりと後へ仰向あふむけた儘、しかし蒼白あをじろい頬の底には、あざやかな血の色をほのめかせて、鼻の先に迫つた彼の顔へ、恍惚くわうこつとしたうす眼を注いでゐた。
南京の基督 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)