執念しゅうね)” の例文
やがて寺の門の空には、ふさがった雲の間に、まばらな星影がちらつき出した。けれども甚太夫は塀に身を寄せて、執念しゅうねく兵衛を待ち続けた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雨月 さらでも女子おなごは罪ふかいと聞いたるに、源氏を呪詛のろい調伏ちょうぶくのと、執念しゅうねく思いつめられたは、あまりと云えばおそろしい。
平家蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一体が何事にも執念しゅうねく、些細な日常瑣事にすら余りクドクド言い過ぎる難があるが、不思議に失明については思切おもいきりかった。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
執念しゅうねく争いて中川をへこまさんとするは子爵家の姫君に対してひそかに野心ありと見えたり。他の人々もこの問答を面白く感じぬ。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
有恁かくて予は憐むべき美少年の為に、咒詛のろいの釘を抜棄ぬきすてなんと試みしに、執念しゅうねき鉄槌の一打は到底指の力の及ぶ所にあらざりき。
黒壁 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
このわちきをももう執念しゅうねくつけまわすようなことはせぬといいなましたので、つい清さんも気が迷うたのでござりましょう。
無雑作むぞうさにか、そして子供達もまたうつかりそれを問ひただすでもなく……世にはそれ程でも無いことを執念しゅうねく探り立てする人々があると同時に
秋の夜がたり (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
われら猿とは古代いにしえより、仲しきもののたとえに呼ばれて、互ひにきばを鳴らし合ふ身なれど、かくわれのみが彼の猿に、執念しゅうねく狙はるる覚えはなし。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
人非人奴にんぴにんめ! 人非人奴! どれほどまで執念しゅうね妾達わたしたちを、苦しめるのでございましょう。あゝ口惜くやしい! 口惜しい!」
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
執念しゅうねく追い迫るスキャンダルの悪魔のささやきのようなささやき声の「ナッシンバッタテーラ」が繰り返される。
このおおどかな梵音ぼんおんが山中をゆさぶって、木の根に巣をくう虫けらまで仏願にい入るほども鳴りひびいたに、まだ執念しゅうねく呪いをかけようというのだな。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
葉子は涙を流さんばかりになって執念しゅうねくソップを飲ませようとした結果、貞世はそこにあったソップざらていながらひっくり返してしまったのだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
時々振り返って背後を見ると、ボッと黒い人影が、二間の彼方から足音を忍ばせ、どこまでも執念しゅうねく追って来た。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
僕をして執念しゅうねく美くしい人に附纏つけまつわらせないものは、まさにこの酒にてられた淋しみの障害に過ぎない。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かくまでも昨日きのうしき懊悩なやみ自分じぶんからはなれぬとしてれば、なにわけがあるのである、さなくてこのいまわしいかんがえがこんなに執念しゅうね自分じぶん着纒つきまとうているわけいと。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
竜之助は左の手でそれを払い退けると、その男は執念しゅうねく再び竜之助の膝にのたりつくのであります。
すべての精と力と時間とを、お綱を手に入れることだけにかかっている。無論、妻恋にあるお綱の家も、執念しゅうねくうかがっていたのであるが、遂に今日までいい折がなかった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
押返して訊いても執念しゅうねく口をつぐんで、よそ目には意地悪く見えるような表情を口端にただよわせた。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
振り上げられた二の腕の鮮かな白さが、うめき声を上げながらも、なお執念しゅうねく目に残った。
お小姓児太郎 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
いろいろ窮状をはなして執念しゅうねく頼んでみたが、旅の者ではあり、なおさら身元の引受人がなくてはときっぱり断られて、手代や小僧がジロジロいぶかしそうに見送る冷たい衆目の中を
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
それからというもの私は、もしやしたら父と悪疫えやみとの間に、何か不思議なつながりがあるのではないか——ないかないかと、それのみをただ執念しゅうねく考えつめるようになりました。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その目はもの珍しげに、執念しゅうねくわたしをじろじろ見廻している。冷たい無関心な、まるで縁もゆかりもないような気むずかしい目つきで、それを見ていると重苦しい気持ちになる。
「梅子は自分を愛している、少くとも自分が梅子をこいていることを不快には思っていない」との一念が執念しゅうねくも細川の心に盤居わだかまっていて彼はどうしてもこれを否むことが出来ない
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
弾丸がシュッ、シュッ! と彼等が行くさきへ執念しゅうねくつきまとって流れて来た。
(新字新仮名) / 黒島伝治(著)
貧乏神びんぼうがみ執念しゅうね取憑とりつかれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸くさんめた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止ふみとどまることを知っているので
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
花はなお執念しゅうねく奈落に落ちた日を見ようと、地を向いて突立っていた。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
余は執念しゅうねく見つづけるであろう
死の淵より (新字新仮名) / 高見順(著)
執念しゅうねくも春寒き日の続きけり
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
が、心から捌けて洒落しゃらくであったかというと実は余り洒落でなかった。些細ささいな事を執念しゅうねく気に掛けて何時いつまでも根に葉に持つ神経質であった。
彼はそう云う苦痛の中にも、執念しゅうね敵打かたきうちの望を忘れなかった。喜三郎は彼の呻吟しんぎんの中に、しばしば八幡大菩薩はちまんだいぼさつと云う言葉がかすかに洩れるのを聞いた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
就中なかんずく重隆が執念しゅうねき復讐のくわだてにて、意中の人の銃殺さるるを、目前我身に見せしめ、当時の無念禁ずるあたわず。
琵琶伝 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
(どうしてあの男はそれほどの因縁いんねんもないのに執念しゅうねく付きまつわるのだろうと葉子は他人事ひとごとのように思った)
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
行く末の見込みある若者じゃと思うて、わしもこれまでいろいろに丹精してみたが、お身は執念しゅうね怪異あやかしかれている。お身のおもてに現われた死相はどうでも離れぬ。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
寒さと闇と死と恐れとが、——それも誰にも知られずに、執念しゅうねく巣喰っているばかりであった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天満組てんまぐみの一部の者や、また江戸方の隠密おんみつ中に、執念しゅうねく目をつけているやからがありますとやら
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうかして、やってもらいたいと思いながら、執念しゅうねく父と母とにせびり立てました。
勝負事 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
茶袋は執念しゅうねく談じつける。店の者はそれを謝絶ことわるにこうじているらしくあります。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして、雪の中を執念しゅうねくかきさがしていた。
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
お前達が少し執念しゅうねく泣いたりいがんだりする声を聞くと、私は何か残虐な事をしないではいられなかった。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
頭領は執念しゅうねく云うのであった。旅の侍と女とは二言三言ささやいた後、渋々彼らへ近寄って来た。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私はこれを聞いた時には、陽気なるべき献酬けんしゅうの間でさえ、もの思わしげな三浦の姿が執念しゅうねく眼の前へちらついて、義理にも賑やかな笑い声は立てられなくなってしまいました。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼女かれめが正体をあらわして飛び去るときに、憎いと思うものをとり殺していく。それはさもありげなことじゃが、なぜそれほどに衣笠どのに執念しゅうねく禍いするか、それが判らぬ。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
つけた土寇どこうの徒が、なおけ狙うているとみえる。弱味を見せると、足下あしもとを見て、よけいに執念しゅうねく寄って来るのは彼らの持前。——三十郎も与次郎も、ここよりは、辺りの土賊どもを——
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
割膝にわが小さき体引挟ひっぱさみて、渋面つくるが可笑おかしとて、しばしば血を吸いて、小親来て、わびて、引放つまでは執念しゅうねく放たざりし寛闊かんかつなる笑声の、はじめは恐しかりしが、はては懐しくなりて
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、大男は執念しゅうねく彼を放さなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その新聞にこんな記事が現われるのは意外でもあり当然でもあった。田川夫人という女はどこまで執念しゅうねく卑しい女なのだろう。田川夫人からの通信に違いないのだ。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「じゃ聞いてくれ。迷惑だろうが、聞いてくれ。」と、執念しゅうねくさっきの話を続け出した。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
執念しゅうねく切りかかるお吉の鎌を左右に辛く外しながらほとんど心はここになかった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「はて、執念しゅうねい和郎じゃ。そうよのう」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その木部の目は執念しゅうねくもつきまつわった。しかし葉子はそっちを見向こうともしなかった。そして二等の切符でもかまわないからなぜ一等に乗らなかったのだろう。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)