たてまつ)” の例文
太祖の崩ぜるはうるう五月なり、諸王の入京にゅうけいとどめられてよろこばずして帰れるの後、六月に至って戸部侍郎こぶじろう卓敬たくけいというもの、密疏みっそたてまつる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ともに共に之を定めん、然れども、陛下臣等が考案を聴かんと為さば、臣等固より書して以て、之をたてまつり、或は口づから之を陳せむ。
これが世系の略である。此康頼が円融天皇の天元五年に医心方三十巻を撰び、永観二年十一月二十八日にこれをたてまつつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
横川景三おうせんけいさん殿の弟子ぶんの細川殿も早く享徳きょうとくの頃から『君慎』とかいう書を公方にたてまつって、『君行跡しければ民したがはず』
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
世界希覯の多種の貴重生物をして身をかくし胤を留むるに処なからしめて、良好の結果を得たりなど虚偽の報告をたてまつりて揚々たるを厳制されたしともうす。
始テかつヲ本藩ニキ儒員ニ列ス。藩命ヲ受ケテ西遊シ諸藩ノ情勢ヲ探リ、兼テ文ヲ朗廬ろうろ阪谷さかたに先生ニ学ブ。後ニ国ニ帰リ『西藩見聞録』ヲ作ツテコレヲたてまつル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二藩たるものはもって幕府の遺跡を継ぎ東西の二大将軍とこそなるべきに、かえって藩籍奉還の議をたてまつりたることこの二藩の率先鼓舞に出でたるはなんぞや。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
一八一四年五月、ベンサムは当時ロシアにおいて法典編纂の挙ある由を聞いて、一書をアレキサンドル帝にたてまつって、自ら法典立案の任に当りたいという事を請うた。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
彼れが時まつりごとの得失を指し、表をたてまつりて、僧の玄昉げんばうとともに除かんとせし吉備真備きびのまきびの創建なりといふ。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
漢学の素読そどくの仕方がまた非常に可笑をかしかつた、文章軌範の韓退之かんたいし宰相さいしやうたてまつるの書を其時分我々は読んで居つたが、それを一種可笑をかしい、調子を附けずには何うしても読めぬので
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
此風土記のたてまつられた天平五年には、其信仰伝承が衰微して居たのであらう。だから儀式の現状を説く古の口述が、或は禊ぎの為の水たまりを聯想するまでになつてゐたのかも知れぬ。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
足利将軍義政の時代に諫言かんげんたてまつって領地を失った熊谷某は近江の熊谷である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
又和銅四年には、勅命を承けて太安万侶おほのやすまろが、稗田阿礼ひえだのあれの口授に依つて、古事記を筆録し、翌年これを完成してたてまつり、又元正げんしやう天皇の御代には、舎人親王とねりしんわうが勅を奉じて、日本書紀を撰せられてゐる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
と歌ひへて、すなはちかむあがりたまひき。ここに驛使はゆまづかひたてまつりき。
はればれしく寿をこの「暁」にたてまつるのだ。
(——東国の年貢を朝廷にたてまつるの使
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また宣宗が菩薩蛮ぼさつばんの詞を愛するので、綯が填詞てんししてたてまつった。実は温に代作させて口止をして置いたのである。然るに温は酔ってその事を人に漏した。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
横川景三おうせんけいさん殿の弟子ぶんの細川殿も早く享徳きょうとくの頃から『君慎』とかいふ書を公方にたてまつつて、『君行跡しければ民したがはず』
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
政治は力を用いるよりも智を用いるを主とし、法制よりも経済を重んじ、会計録というものを撰してたてまつり、賦税ふぜい戸口ここうの準を為さんことを欲したという。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
わが朝またこれになろうて、正月七日二十一疋の白馬を引かれ、元の世祖は元日に一県ごとに八十一疋の白馬をたてまつらしめ、その総数十万疋を越えたという。
天保十三年壬寅じんいん 佐久間象山海防八策をたてまつる。清国しんこく道光どうこう二十二年、英兵上海を取り、南京に入る。南京条約る。七月、文政打払令うちはらいれいを修正して、寛政の旧に復す。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
碑文には藩政改革について意見書をたてまつったが用いられなかったために致仕したものとなしている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかるに、白石はこれに対して、長文の意見書を幕府にたてまつり、かくのごとき場合には、父の悪行を知ってこれを訴えてもなお罪がないものであるということを委細に論じた。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
この風土記のたてまつられた天平五年には、その信仰伝承が衰微していたのであろう。だから儀式の現状を説くいにしえの口述が、あるいは禊ぎのための水たまりを聯想するまでになっていたのかも知れぬ。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
そして小天地先生の尊号をたてまつるですな。
それゆえ天元五年に成って、永観えいかん二年にたてまつられた『医心方』が、ほとんど九百年の後の世にでたのを見て、学者が血をき立たせたのもあやしむに足らない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
敬の実用の才ありて浮文ふぶんの人にあらざるをるべし。建文のはじめに当りて、燕を憂うるの諸臣、おのおの意見を立て奏疏そうそたてまつる。中について敬の言最も実に切なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
海王降参の表示しるしとして、何を陸王にたてまつるべきやと問うと、百ガルヴァルだけ糧食かてたてまつれと答う。
すこぶる分を越ゆるの言をし、先ず『将及私言』九篇をあらわし、ひそかにこれをたてまつり、ついで「急務条議」を上り、また夷人さきに不法のこと多かりしをにくみて、「接夷私議」を作る。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ベンサムは再び長文の書をたてまつって、いやしくも金銭上の価格を有する恩賜は自分の受くるを欲せぬところであるといってこれを返戻し、且つ委員らは必ず氏の意見を聴くことをいさぎよしとせざるが故に
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
諸藩ようやく削奪せられんとするの明らかなるや、十二月に至りて、前軍ぜんぐん都督府断事ととくふだんじ高巍こうぎ書をたてまつりて政を論ず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
無尽講のよる、客がすでに散じたのち、五百は沐浴もくよくしていた。明朝みょうちょう金を貴人のもともたらさんがためである。この金をたてまつる日はあらかじめ手島をして貴人にもうさしめて置いたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
天下の勢、滔々とうとうとして日に降り、以て今に至る。その由、けだし一日にあらざるなり。しばらく近きを以てこれを言わん。墨使ぼくし、幕府に入り、仮条約をたてまつる。天子これを聞き、勅を下してこれをとどむ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
また麦粉で作った皿にギー(澄酪)を盛り、燈明をたてまつると。
この秘事にあずかっている手島は、貴人のもとにあって職を奉じている。金は手島を介してたてまつることを約してある。おもてらざる三人に交付することは出来ぬというのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
云々うんぬんと書き出して、繁栄の地は、高家比門連堂、其価値二三畝千万銭なるに至れることを述べて居るが、保胤の師の菅原文時が天暦十一年十二月に封事三条をたてまつったのは
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「誰知当此夜。身在此山中。想君亦尋花。歩月墨水東。月自照両処。花香不相通。恰如心相思。遊迹不可同。」何ぞはからむ、これは花亭が書をたてまつつて職を罷めた三月であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
で、寂照は表をたてまつりて朝許を受け、長保四年愈々出発渡宋することになった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
此書は文化六年に成つてたてまつつたものである。更に筆削などを命ぜられたものであらうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
何様どういふ告訴状をたてまつつたか知らぬが、多分自分が前の常陸大掾であつたことと、現常陸大掾であつた国香の死したことを利用して、将門が暴威に募り乱逆をあへてしたことを申立てたに相違無く
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
しかし初音はつねこうを二条行幸の時、後水尾ごみずお天皇にたてまつったと云ってあるから、その行幸のあった寛永三年より前でなくてはならない。しかるに興津は香木こうぼく隈本くまもとへ持って帰ったと云ってある。
これをたてまつらるるに及ばずして御寿命が尽きさせられた、と歎じたという。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
氏郷をやかたに入れまいらせてから、ひそか諫言かんげんたてまつって、今此の寒天に此処より遥に北の奥なるあたりに発向したまうとも、人馬もつかれて働きも思うようにはなるまじく、不案内の山、川、森、沼
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)