上野こうずけ)” の例文
熊谷直実くまがいなおざね蓮生れんしょうをはじめ、甘糟あまかす太郎忠綱、宇都宮うつのみや頼綱、上野こうずけ御家人ごけにん小四郎隆義、武蔵の住人弥太郎親盛やたろうちかもり、園田成家なりいえ、津戸三郎為盛ためもり
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵むさし上野こうずけ下野しもつけ甲斐かい信濃しなのの諸国に領地のある諸大名はもとより、相模さがみ遠江とおとうみ駿河するがの諸大名まで皆そのお書付を受けた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今はタンマチと訓む由であるも、反町大膳そりまちだいぜんの在所たる上野こうずけ新田にった郡の反町を始め、諸国にある者の多くはソリマチと訓んでいる。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
上野こうずけ下野しもつけ道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東京を中心にして関東の地図を見ますと、その中には相模さがみ武蔵むさし安房あわ上総かずさ下総しもうさ常陸ひたち上野こうずけ下野しもつけなどが現れます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
管狐は駿州すんしゅう、遠州、三州の北部に多く、関東にては上野こうずけ下野しもつけに最も多し。上野の尾崎村のごときは、一村中この狐を
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
岩代から下野しもつけのくにへ入ったのが夏七月、それから常陸ひたちへまわり、上野こうずけのくにから江戸へ着いたのが秋九月であった。
足軽奉公 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
上野こうずけにて夜の物、またヨメまたムスメなどいう、東国にもヨメと呼ぶ所多し、遠江とおとうみ国には年始にばかりヨメと呼ぶ。
元来このお役は、難しいといえばいうようなものの、先例もあり、いくらお手前でも、万事は上野こうずけが引き受けます。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その晩、夜通しで、信濃と上野こうずけの境なる余地峠よじとうげの難所を、松明たいまつを振り照らして登って行く二人の旅人がありました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そのたよりのあったのは上野こうずけの国を行脚あんぎゃしている時でしたがね。お師匠様は道に倒れて泣き入られましたよ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
新田義貞は上野こうずけに、赤松則村のりむら播磨はりまの国に、結城ゆうき宗広は陸奥むつの国に、土居、得能とくのうは四国の地に、名和長年は伯耆ほうきの国に、菊池武時は九州の地に、そうして足利高氏さえ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私の郷里の殿様である吉良上野こうずけ元禄げんろく十三年の秋、中風か何かで死んでいたとしたら、終戦後
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
そこで田地を耕作する農民はすなわち「田部たべ」であります。その「たべ」が訛って「ため」となる。上野こうずけに「田部井たべがい」と書いて、口には「ためがい」という所があります。
将軍山頂に便を催おし、くさむらの中に男体山を眺めながら、上野こうずけ下野しもつけの国境上に真黒な塊を残す。
また弘経寺のある処は上野こうずけ下野しもつけ常陸ひたち三州の国境になっていることも二家の詩賦に見えている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「安蘇」は下野しもつけ安蘇郡であろうが、もとは上野こうずけに入っていたと見える。この巻に、「下毛野しもつけぬ安素あその河原よ」(三四二五)とあるのは隣接地で下野にもかかっていたことが分かる。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
八ヶ岳の火山彙かざんいが見える、上野こうずけ下野しもつけの連山は、雲を溶かして、そのまま刷毛はけで塗ったのではないかとおもうような、紺青色をして、その中にも赤城山と、榛名山が、地蔵岳と駒ヶ岳の間に
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
たとえば日本武尊やまとたけるのみことの東征の交通路などを見ると分りますが、上野こうずけノ国からウスイ峠をこえて信濃へはいってヒダへ出たのは木曾御岳と乗鞍の中間の野麦峠のようだ。この峠のヒダ側は小坂オサカの町です。
中務卿親王なかつかさきょうしんのう上野こうずけ親王しんのう中納言ちゅうなごんみなもと朝臣あそんがおられます」
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
彼の出した“上野こうずけ国宣こくせん”や任官日時などからみても、鎌倉占領後からまもなく、同年秋には、はや、都へ出ていたことは確実といってよい。
汽車の駅名にも間々田があり、大間々がある。この大間々(上野こうずけ山田郡大間々町に近き停車場)に関しては、『上野こうずけ名跡志』に左の説がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここは上野こうずけのくに沼田城の奥どのである、城のあるじ伊豆守真田信之は、徳川家康の上杉征討軍に従うため兵馬をそろえて数日まえに出陣していった。
日本婦道記:忍緒 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「御再考ありたい。上野こうずけがすべて心得おるから、あれに尋ねたなら勤まらぬことはあるまいと思われるが——。」
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
つぎに、上野こうずけ下野しもつけ方面にてはオサキの迷信があるが、そのありさまは、さきに述べたる埼玉県と同様である。ただ一つ、群馬県の特色としては達磨だるま市である。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
元禄時代の河辺という人は外科が大そう上手であったそうで、かの赤穂の一党が討ち入りの時に吉良上野こうずけの屋敷から早駕籠で迎えが来まして、手負いの療治をしました。
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
足跡そくせき常陸ひたち磐城いわき上野こうずけ下野しもつけ信濃しなの、越後の六ヶ国にわたり、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞けんもん
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
上野こうずけ下野しもつけ武蔵むさし常陸ひたち安房あわ上総かずさ下総しもうさ相模さがみと股にかけ、ある時は一人で、ある時は数十人の眷属けんぞくと共に、強盗おしこみ放火ひつけ殺人ひとごろしの兇行を演じて来た、武士あがりのこの大盗が
猿ヶ京片耳伝説 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
上野こうずけと信濃の国境くにざかいは夢で越え、信濃路に入ってはじめて、浅間の秋に触れました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おなじ年の冬のはじめから武田晴信は上野こうずけのくにへ馬を入れ、しきりに諸方の城を攻めたが、明くる年の二月、国峰くにみねの城をやぶって箕輪みのわへと取り詰めた。
一人ならじ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
まず東国においては上野こうずけ邑楽おはらき常陸ひたち茨城うばらきもそれであろうし、西にはまた近江おうみの古き都の信楽しがらきの地があり、大和には葛城かつらぎの山嶺と大きな郡の名がある。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし、貞盛はなおこれから、下野しもつけ上野こうずけの諸国を廻り、田沼の田原藤太秀郷にも会う予定であるといった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「伝蔵は主人の枕元にある脇指わきざしで斬ったのですが、その脇指が吉良上野こうずけ殿の指料さしりょうであったと云うことです。その由来は存じませんが、先祖代々伝わっているのだそうです」
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
主族は領主の一族で、名の下に「ぬし」の字をつけていた。大物主、八雲主、上野こうずけ主、石上主、こんな塩梅あんばいにつけていた。僧族は文字通り僧侶の一族で、ぬし族に次いで威張っていた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お高は、鳥居丹波守とりいたんばのかみの上屋敷と上野こうずけ御家来衆のお長屋のあいだを抜けて、拝領町屋の横町へ出て、雑賀屋のおせい様ときくと、すぐにわかった。細い千本格子こうしをあけると、十六、七の小婢こおんなが出てきた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
しかのみならず武蔵国にこれだけの原野がある。上野こうずけの奥に何百町の空閑くうかん(耕さぬ地面)があるということを知らせてくれるものはやはり地方の居住者である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と見えるから、それが下野しもつけ上野こうずけあたりへわかったのは、おそくも五月五日以内であったにちがいない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……それは二年まえ、井伊直政が上野こうずけのくに高崎で十二万石に封ぜられていたときのことだった。
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「さぞ寂しいでございましょう。……石黒、大沢、上野こうずけ、古田、黒姫山を取り巻いて幾個いくつか宿はございますけれど、みんな寂しい宿ばかり、雪が六尺も積もるそうで、恐ろしい所でございます」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
とすれば、次の七日には、上野こうずけと越後との国境、三国みくに山脈をも、はや踏みかけていたのではなかったか。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少し離れてはいるが上野こうずけ吾妻あがつま嬬恋つまごい村大字田代なども、浅間山の東側を伝って碓氷の軽井沢と通うている。この田代という地は全国に何百とあるが意味の深い地名だ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その一方で上野こうずけから武蔵、上総かずさにかけて散在する北条氏の属城を攻めさせた、総帥は石田三成、その下に大谷吉継、長束正家らを将とした兵三万は、草原を踏みにじる如く上野から武蔵へ殺到した。
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのおもなる隊には、伊達だて、南部、結城などの大族があり、やがて白河を越え、雪もうすらぐと、上野こうずけ地方から新田与党よとうの参陣もみえて、兵は五千余騎に達していた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忍城おしじょうはまもりもてうすく、兵も武器もとるにたらぬ数ではあり、とうてい大軍をひきうけて戦うことはできません、それにひきかえ館林の城は防備も堅く、上野こうずけ八ヶ城の人数が合体しておりますから
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
上野こうずけ志。群馬県利根郡東村老神)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一つ 臣義貞が上野こうずけの旗上ゲは五月八日であり、尊氏が宮方へ返り忠して六波羅攻めに出たのは同月七日だった。相距ること八百余里。何で一日のまに連絡がとれよう。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ツツンギノコ 上野こうずけ邑楽おうら
だからいったん豪雨となれば、上野こうずけ下野しもつけ両国の曠野こうやは、あばれ川のあばれ放題な本性になる。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北武蔵から、秩父ちちぶ上野こうずけへわたる長い連山の影が、落日の果てに、紫ばんで、暮れてゆく。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)