)” の例文
旧字:
当時の松竹というものは関西では既にを成していたが東京に於てはまだホヤホヤでしかもどの興行も当ったというためしを聞かない
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
戦国の英雄が諸州におこした頃であったから、長柄の流行は、さかんを極めて、戦場ばかりでなく、平時でも引っ提げて歩く者があった。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとつには、泉州の人らしい茶目気もあつたらう。が、それ故に、坂田将棋は一時を唱へ、また人気も出た。自信も湧いて来た。
聴雨 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
ノルウェーの理学者が北光オーロラの研究で世界にをとなえており、近ごろの日本の地震学者の研究はようやく欧米学界の注意を引きつつある。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
どこからとも知れず、宙にうなって飛来したのは、いわずもがな、人猿山椒さんしょうの豆太郎投ずるところの本朝の、手裏剣の小柄!
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
空想家の早飲込みのドチラかといえば天才肌という風に、各自正反対の特徴を持っていた……それが互いにしのぎけずって学業のを争っていたのであった。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
僕はヹネチヤが海上の一王として東洋に迄交通して居た貴族政治の昔を忍ばずに居られなかつた。絵葉書うり擬宝玉売にせだまうりとがうるさくゆき旅客りよかく附纒つきまとつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
またその次の細君の時代は、羽左衛門の一生に、一番のばしかけた上り口からで、好運な彼女は、前の人たちの苦心の結果を一攫いっかくしてしまったのであった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
紅露は相対塁あいたいるいして互にを称し、鴎外おうがい千朶せんだ山房に群賢を集めて獅子吼ししくし、逍遥は門下の才俊を率いて早稲田に威武を張り、樗牛ちょぎゅうは新たにって旗幟きしを振い
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
不定、不整、不、不、と言つたやうなところに、好んで芸術の黒猫は住んでゐるやうな気がする。
黒猫 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
私もうすうすそういう気がしていたので、直ぐ賛成して、この調子で行くと、結局米国が物理学界でをとなえるようになるかもしれないなどと話し合ったことがある。
原子爆弾雑話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
歌界のを争ったことも、実に深い中世的現象であって、王朝文芸の伝統が封建の力によって、各自の意識しない間に切り崩された一つのあらわれにほかならぬのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
越後米は庄内米とを競うでありましょう。しかし手仕事の特色あるものは、むしろ山間に求めねばなりません。越後が第一に誇りとしてよいのは「小千谷縮おぢやちぢみ」であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
けだし当時の王と称する者、皆いわゆる仁義をかりはかる者なり。これをもってその法王にねいする、彼がごとくついに世を救うゆえんのものをもって、民を土炭とたんおとしいるるに至る。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
さきの煌々たる光はどこへやら、地球の人民のそれと等しく、僅かに大塊の一部分から、微弱なる光熱を放射するに過ぎぬ、ああ数千億年の昔しより、常に宇宙の一辺にたりし太陽も
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
兵甲を以て国威を張るはへんなり。兵甲はむしろ国家を弱め、人心を危うするに足るも、以ておほいに国力を養ひ、列国にたらしむる者にあらず。国の本真ほんしんは気にあり。気若し備はらばげふ挙らむ。
想断々(2) (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
南アルプスとを競い、駒ヶ岳雲を抜きて聳ゆ、仙丈岳、北岳、あいノ岳、農鳥岳のうとりだけ等天を突き、富岳整然と南アルプスを圧す、塩見岳、東岳、荒川岳、赤石岳等高く聳えて、互いに高さを競い
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
越後えちごには上杉、群雄四方に割拠かっきょしてを争う物凄ものすごさ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
全欧思想界の一方にを称するに至れり。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
を争ったんでしょう?」
秀才養子鑑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
今川家でそれを余りに堂々と広言しているので、かえって今川家が、を誇示する表情ではないかとている向きもあるくらいである。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
外様とざま六万石として北東の海辺にを唱える相馬大膳亮そうまだいぜんのすけ殿の湯池鉄壁とうちてっぺき、中村城のそと構えである。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
を中原に唱へんこと
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この中国にを唱えた祖先赤松一族の行方はどこにありましょう。ぼうとして、去年こぞの秋風を追うようなはかない滅亡を遂げたままです。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それなくては信長公の多年の戦いも、ただ単にたるにとどまり、真の世業というわけにならん。世業とは何、私業でないことだ。国業だ。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま曹操の実力と拮抗きっこうし得る国はわが河北か貴国の呉しかありません。その両家がまた相結んで南北から呼応し、彼の腹背を攻めれば、曹操がいかに中原ちゅうげん
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長、信忠の手勢ども、しばし常に返って、虚空こくうの声を聞け。この世の千年も歴史では一瞬。信長いまを誇るも、散らぬ桜やあらん、燃えぬ覇城はじょうやあるべき。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
またそれを敵とした日には、とうてい天下のをあらそう大事業などは、はかどりっこないのである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天皇をかついで大いにを成し、栄位にありつこうとした野心家であった、と見る新説などである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うじは、菅原の系類で、遠祖は、春日神社の神職をしていたが——武家勃興ぼっこうの機運から、ここの城寨じょうさいって、弓矢をね、いつか豪族となって、源頼朝のが成った時
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いくら平相国へいしょうこくが中央にを唱えようと、奥州の天地では何ともしていない。いてその血を源氏か平氏かといえば、源氏の血が濃い。——吉次もその氏子うじこの一人だった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えつと、二つの雄藩が、かなたの国では、両々を争ッて、併呑へいどんをうかがい合い、トモニ天ヲイタダカズ、とまで争っていた。呉人越人、同邦ながらたがいに憎しみあっていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何軒となく木賃宿の軒に立ってみたが、三人の姿をみると、どこの旅籠はたごでも、手を振るのだった。おそろしいの勢力ではあると、途方にも暮れ、舌を巻かずにいられなかった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや上洛じょうらくして、自己の三軍のを誇示し、綸旨りんじを仰ぎ、将軍や管領を強迫し、もって八道へ君臨しようという野望家は、ひとり先にその途上で挫折ざせつした今川義元があるばかりでなく
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これらの四子は、さきに失敗を招いた夏侯楙駙馬かこうもふばなどとは大いに質がちがっていて、兄のは弓馬武芸に達し、弟のけい六韜三略りくとうさんりゃくそらんじてよく兵法に通じ、他の二兄弟もみな俊才の聞えがあった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、秀吉ひでよしをあらそううえにも、つねに背後はいごの気がかりになる伊那丸君いなまるぎみやそれに加担かたんのものを、どんな犠牲ぎせいはらっても、根絶ねだやしにしなければならぬと、ひそかに支度したくをしつつあるのだから
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長のを誇った示威じいでもあり、また、外人宣教師などに対する国際的意味も多分にあったが、もっと、重大な意義としては、親しく至尊しそん臨御りんぎょを仰いで、兵馬の大本を明らかにしたことであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお、信長の
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)