猪首いくび)” の例文
引捻ひんねじれた四角な口を、額までかつと開けて、猪首いくび附元つけもとまですくめる、と見ると、仰状のけざま大欠伸おおあくび。余り度外どはずれなのに、自分から吃驚びっくりして
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
典厩信繁、その日のよそおいは、の花おどしの鎧に、鍬形くわがたのかぶとを猪首いくびに着なし、長槍を小脇に、甲斐黒の逸足にまたがっていた。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小男の岩城播磨守は猪首いくびに口をへの字に曲げて、長身、痩躯そうく白皙はくせき胡麻塩ごましお各人各様かくじんかくようの一癖ありげな面だましいだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
殊に赤と白と三角模様の倭衣しずりそでをまくり上げた、顔中かおじゅうひげうずまっている、せいの低い猪首いくびの若者は、誰も持ち上げない巌石を自由に動かして見せた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
唐綾縅からあやおどしよろいを着、柿形兜を猪首いくびにかむり、渋染め手綱たづな萠黄もえぎ母衣ほろ、こぼれ桜の蒔絵まきえの鞍、五色の厚総あつぶさかけたる青駒あおごま、これに打ち乗ってあらわれた武士は
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
猪首いくびで赭ら顔で、それに大きな鼻、もじゃもじゃした黒い眉毛、胡麻塩の頬髯、ぶくぶく緊りのない肥りよう、軍人独特の太いしゃがれ声——こう並べて見ると
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
もうひとりの、ずんぐりむっくりの猪首いくびの女は、戸口に立ちはだかって、部屋のなかを見まわしながら
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
肥えた猪首いくびのが「権頭ごんのかみ」熊のようにひげだらけで、しかし声のばかげて優しい男が「もく」という。
使丁の部屋にとどろくように猪首いくびをひきのばしてどなりつけた。けれどもこうなっては、太ったその仕事師はびくつかなかった。返事をそらされても臆せずにやにや笑った。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
お千代は円顔の鼻低く目尻が下っているのみならず猪首いくびでお尻が大きく、女同志の目からははるかに十人並以下どころの事ではない、むしろ醜婦の中に数えられる位の容貌であった。
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
壮年の男は驚くほどに巌丈がんじょうな骨組みで、幅も厚さも並はずれた胸の上に、眉毛まゆげの抜け落ちた猪首いくびの大きな頭が、両肩の間に無理に押し込んだようにのしかかっているのである。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
猪首いくびの夫人が、ふとった体を裾模様のある訪問着につつんで、気どりながら門のなかへ入ってきた時、牧の奥さんは丁度女中たちを指図して、土塀の内側に大根をしているところであった。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
ことごとく猪首いくびをちぢめながら、たちまち悦に入ったのは当然でした。
と、猪首いくびで、抜き衣紋えもんをするかたちを、真似て見せた。
汗ばんだ猪首いくびかぶと、いや、中折なかおれの古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっとでて、つえに引っ掛けて、ひょいと、かつぐと
若菜のうち (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「いえ決して——」と殿ノ法印は猪首いくびをかがめ。「さような河内殿とは思いませぬ。なれど余りに真っすぐな田舎武人」
が、彼のために悲惨な死を招いた、あの猪首いくびの若者の記憶は、未だに彼の心の底にいたましい痕跡こんせきを残していた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
猪首いくびで、あから顔の、ずうたいの大きなベットオさんが、こんなあどけない歌を、せい一杯に声をはりあげてうたうようすは、いかにもおかしい。みな、腹をかかえて、涙をふく。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
頤髯あごひげ猪首いくび、長身、肥大、郡兵衛はそういう風采であり、年は四十二、三であった。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
面ずれ、大たぶさ、猪首いくびに胸毛——細引きのような白い羽織の紐が、詩を吟ずる。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
権中主典鈴木隆助は充血した猪首いくびをぶるッとふるわせた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
二人ばかり、十二三、四五ぐらいな、子守のちびが、横ちょ、と猪首いくび小児こども背負しょって、唄も唄わず、肩、背をゆする。他は皆、茄子なすびつるに蛙の子。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
風貌も一方の水際立った美丈夫なのにひきかえて、彼はやや猪首いくびで固肥りなうえ、色浅黒い鈍重そうな人物だった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの猪首いくびの若者がさし上げた岩を投げると同時に、これまでよりは一層熱心にどっとどよみを作りながら、今度はずぶ濡れになった彼の方へいつになく一斉にまなこを注いだ。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そこへ石田氏が洗いざらしの古浴衣を、寝癖ねぐせのついた猪首いくびに着、冴えない顔で起きてきたが、二人の突然異変をながめるなり、よほど印象が悪かったとみえて、ツイ眼を外らしてしまった。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
と、うなずくかのような眉目びもくを示した。——勝家は、ぐいと猪首いくびを横に曲げて、ばさばさと自席へもどった。その後、つばでも吐きたいような顔をしていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かしらに一人の手して、力たくましきが猪首いくびにかかげ持ちて、朱盆の如き口を張り、またふさぎなどして威を示し候都度つど、仕掛を以てカツカツと金色こんじききばの鳴るが聞え候。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
舞台にはただ屏風びょうぶのほかに、火のともった行燈あんどうが置いてあった。そこに頬骨の高い年増としまが一人、猪首いくびの町人と酒を飲んでいた。年増は時々金切声かなきりごえに、「若旦那わかだんな」と相手の町人を呼んだ。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大高源吾は、肉のかたくまった体を、ずんぐりと重そうにいつも扱っていた。浅黒いうす痘痕あばたがあって、すこし猪首いくびのせいか、首を曲げる癖がある。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のべつに饒舌る……黄色い歯の上下に動くのと、猪首いくびを巾着帽子のふちつつくのと同時なんです。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、からだぐるみ廻して振向くと云ったような鈍重漢である。すこし猪首いくびのせいであろうが、そのくせ人を見る眼は、ぎょろりと一くせあるので、そう小馬鹿にも扱い難い。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「困ったわねえ。」と、つい釣込まれたかして、つれもない女学生が猪首いくびを縮めてつぶやいた。
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
良人の武大ぶだときては、背も五尺たらずのちんちくりんでおまけに猪首いくび薄野呂うすのろで、清河県せいかけんでも一番の醜男ぶおとこと笑われていたのに、武松の身長みのたけ隆々たる筋骨は、男の中の男にも見える。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小女が猪首いくびうなず
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、猪首いくびを振って言った諧謔調にさえ、たれひとり苦笑も示す者はなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太い猪首いくびをうごかし、脂ぎった赤ら顔から、眼をうごかすとき、火傷やけどかほうその痕か、片方の瞼の肉がひッ吊れて、眉が半分欠けているのが、ひどく人に獰猛な圧迫感を与えるのでもあった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
首が、猪首いくびである。からだは肥えていた。あごが厚く、耳が大きい。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自然、猪首いくびが前へ出て、林助の顔とくッつきそうになる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかにもと、能登はなんどもその猪首いくびでうなずきながら。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では……」と、義辰は俄に、その猪首いくびと声をひくめて。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猪首いくびをかがめて、で、高氏を睨むように見た。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)