猜疑さいぎ)” の例文
ところが、ある日、べつだん何も理由はなかったのだが、どうかしたはずみに、玄石は細君に対して、猜疑さいぎの心を抱くようになった。
二人の盲人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
十左は性急な気質だし、兵部に対して必要以上に憎悪と猜疑さいぎをもっている。一ノ関の名が出るだけで、すぐに不法と陰謀を考える。
嫉妬しっと猜疑さいぎ、朋党異伐、金銭かねに対する狂人きちがいのような執着、そのために起こる殺人兇行——あるものと云えばこんなものばかりです。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そうかね」と病人は云ったが、何事にらず友達ともだちの言う事を猜疑さいぎの耳を持って聞く癖が付いているので、うれしくも思わなかった。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
無論それは一時的のものに過ぎなかった。けれども当然自分の上に向けられるべき夫の猜疑さいぎから、彼女は運よくまぬかれたのである。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼らは無邪気な心をもってものをそのまま受け容れて味うことができないで、猜疑さいぎの眼を見張って一切のものを分析し批評する。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
人々は猜疑さいぎ嫌悪けんおまゆをひそめる。父の一身に非難が集まる。その時に子はどうしたらよいのであろう。会うのがよいか会わぬがよいか。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
由来、南蛮の将兵は、猛なりといえども、進取の気はうすく、猜疑さいぎふかく、喧騒けんそう多く、智をもって計るにおちいりやすい弱点をもっています。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仲間たちのつまらない猜疑さいぎや、彼女に光らせないようにと注意してるゼザベル——(彼女は座頭の女優をきらってゼザベルと綽名あだなしていた)
……かくして一般の人心に、日本人に対する不幸なる嫌悪、彼らの動機に対する猜疑さいぎ、彼らと事を共にするを好まぬ傾向が増え、かつ燃えた。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
が、相手が少しの猜疑さいぎもなく、無邪気に自分を凝視ぎょうししているのを見ると、俊寛はそれに答えるように、軽い微笑を見せずにはいられなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
眼鏡を掛けてはいるが、その奥からのぞいている細い眼。お人良しと猜疑さいぎとのまざりあった其の眼付。——おお、それが彼以外の誰だろうか。
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
人種が違い、風俗が違い、文明の源が違う人であると、ごく友誼的にもって往っても、人類の弱点として猜疑さいぎの心が起る。
東亜の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
果して然らば、地球人類がお互い同士に猜疑さいぎし、とし合い、殺戮さつりくし合うことは賢明なることであろうか。断じて然らず。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
絹枝さんは口にこそ出さね、心では、我親ながら、余りの猜疑さいぎ心を浅間あさましい様に思ったが、父の云いつけにはそむかれぬ。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「なんという無類な完全な若者だろう。」私は心の中でこう感嘆した。恋人を紹介する男は、深い猜疑さいぎの目で恋人の心を見守らずにはいられまい。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
しかし、その片鱗だに記憶に残っていないので、柔和な眼に、しだいに、猜疑さいぎのいろを浮かべて来て、怒りはじめた。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
他国人民の繁栄なるをば猜疑さいぎの眼をもってこれを観、しかして他の利益をもってただちに我の損害となすがごとし。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
殊に先年月形城の謀叛むほん以来牡鹿山の老臣共は猜疑さいぎの念が深くなって、容易に願いを聴き届けようともしなかった。
その不幸をオセロにうちあけないでいるうちに、イヤゴーはオセロの猜疑さいぎ嫉妬しっとをかきたてることに成功した。
暗い猜疑さいぎ狭量きょうりょうとが、こつちのはらはらするほど裸かになつて出た。私はそれを見るのがたまらなく厭だつた。
母たち (新字旧仮名) / 神西清(著)
不断ただでさえ日の眼に当ることなしに不断にじめじめと陰険な渋面をつくって猜疑さいぎの眼ばかりを据えているあの憎たらしい坂道は、どんなにか滑り易い面上に
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
お島はその頃から、鶴さんが外へ出て何をして歩いているか、解らないと云う不安と猜疑さいぎに悩されはじめた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
純粋に二人きりの、のんきな交友など、この世に存在をゆるされないものかも知れない。必ず第三者の牽制けんせいやら猜疑さいぎやら嘲笑ちょうしょうやらが介入するもののようである。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
人と人との間、邦と邦との間に猜疑さいぎ騙瞞へんまん若し今日こんにちの如くにして終るとせば、宗教の目的何所いづくにかあらむ。
「平和」発行之辞 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
自分は猜疑さいぎもしなければ、嫉妬もせず、ただ一と筋に真情まごころを傾けて女の意のままに尽してやってさえいれば、いつかはこちらの真情が向うに徹しなければならぬ。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そんな風に穿鑿せんさくをすると同時に、老伯が素食そしょくをするのは、土地で好い牛肉が得られないからだと、何十年と継続している伯の原始的生活をも、猜疑さいぎの目を以て視る。
沈黙の塔 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
パンをくれた俺に感謝する眼ではなく、なんでパンをよこすのかと猜疑さいぎにみちた眼なのである。俺は俺の好意を犬に知らせてやりたいと、ふたたびパンを投げ与えた。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
露人を初め米国から(後には英仏からも)日本の領土的野心を猜疑さいぎされ、嫉視され、その上数年にわたって撤兵することが出来ずに、戦費のために再び莫大の外債を負い
何故の出兵か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
今日、その事を思返すだけでも、明治時代と大正以後の世の中との相違が知られる。その頃の世の中には猜疑さいぎ羨怨せんえんの眼が今日ほど鋭くひかり輝いていなかったのである。
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あらゆる動物のうちに、猫だけがいけない。あいつに表情がない、愛嬌あいきょうが無い、おだてがかない、感激が無い——芸術がまるっきりわからない。猜疑さいぎのくせに柔媚にゅうびがある。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
太子のおもかげも今別れた数奇さっきなキャゼリン嬢の姿もみんな消え失せて、この戦争の陰に着々として来るべき日の備えをしている英国の猜疑さいぎと暗躍とがしみじみと考えられてきた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
さやをパチンと抜いて渡したのを、あせって震える手に取って、慳相けんそうな女親が革鞄の口を切裂こうとして、きっ猜疑さいぎの瞳を技師に向くると同時に、大革鞄を、革鞄のまま提げて
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はそこへおまいりに行きたいのですけれども、そこへ行きますと例の関所がありますので、関所の役人などたちに逢うたり、あるいは山都の中にはどうせ猜疑さいぎ心の深い商人あきんども居るであろう。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
小山「アハハ君の眼からは天女に見えても猜疑さいぎという色眼鏡いろめがねで視られると天女が悪魔と思われる事もあるからね。しかしマア君の御両親だからそんな事はあるまいが僕のワイフに加勢を ...
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
老婆はひっきりなしにせきをしたり、のどを鳴らしたりしていた。彼女を見た青年の目に何か特別な表情でもあったのだろう、とつぜん老婆の目にはまた先ほどと同じ猜疑さいぎの色がひらめいた。
広子はちょっと苛立いらだたしさを感じた。のみならず取り澄ました妹の態度も芝居ではないかと言う猜疑さいぎさえ生じた。すると辰子はもてあそんでいた羽織のひもを投げるようにするなり、突然こう言うといを発した。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
菜穂子はその一方、そう云う事まで猜疑さいぎせずにはいられなくなっている自分を、今こうしてこんな山の療養所に一人きりでいなければならなくなった自分よりも、一層寂しいような気持で眺めていた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
己は癇癪かんしゃくを起したり、猜疑さいぎ目附めつきで見たり、苦々しい事をったりした。礼を言わなくてはならないのに、そんな事をしたのだ。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
関羽の帰り方があわただしかったし、二夫人の使いというので、曹操も猜疑さいぎをいだいて様子をうかがわせによこしたものである。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田舎いなかの小都市の堪えがたい猜疑さいぎ心は、その一員となるの名誉を正式に懇願しないと、他人が勝手にはいることを許さなかった。
叔父はどこまでも私を子供扱いにしようとします。私はまた始めから猜疑さいぎの眼で叔父に対しています。穏やかに解決のつくはずはなかったのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
要もない猜疑さいぎと不満とにさえぎられて、見る見る路傍の人のように遠ざかって行かねばならぬ、——そのおそろしい運命を葉子はことさら痛切に感じた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「ははあ、……」ヤスは、怒りと猜疑さいぎ心とにあふれた眼つきで、「あんたも、財産目あてで来たんじゃな?」
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。こうした打撃は、生来闊達かったつだった彼の心に、年とともに群臣への暗い猜疑さいぎを植えつけていった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
平和のもとに競争をするのはいが、それがために、猜疑さいぎ心、嫉妬心を導いて間違った方面に行くと、次第次第に平和に遠ざかるという、おそるべき不幸をかもすのである。
平和事業の将来 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
愛する者の言うことは一も二もなく盲従しながら、反対な者の言行はことごと猜疑さいぎの目を向けます。
婦人改造と高等教育 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
お上さんの頭は霧が掛かったように、ぼうっとしているが、もしやだまされるのではあるまいかと云う猜疑さいぎだけはめている。それでも熱心に末造の顔を見て謹聴している。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
性来の悪魔性が——嗜虐しぎゃく性が、ムクムクと胸へ込み上げて来、この純情の処女おとめの心を、嫉妬と猜疑さいぎとで、穢してやろうという祈願ねがいに駆り立てられるのであったが、今は反対で
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
思慮もなく、ただ無分別に、うろうろと、あこがれの瞳をよせる少女達に、小突こづきまわされて、かれは当惑した。その上、周囲の教師達の猜疑さいぎと嫉妬との狭量なまなこもいやだった。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)