しお)” の例文
われを呼びまされたように、お通は眼をやって、霧のかかっている峰のいただきを仰いでいたが、そのしおに武蔵は、つと彼女の側を離れ
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母はとうとう二人をたしなめた。自分もそれを好いしおにすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
警告すると、少年はあわてて向直ったが早いか敏捷に巧いしおに竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。
蘆声 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
あたりはいつか薄暗くなって、もう晩の支度にも取りかかる時刻であるから、お光はお仙の帰ったのをしおいとまを告げたのである。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
今宵の名月をしおに今度こそは居所なりと突き留めようと、さてこそ、彦兵衛が奥の手は「お後嗅ぎ嗅ぎ」流の忍びの尾行となったのだった。
「まあしおの悪い時にこんな事をいうもんですから、痛い腹まで探られますわね……じゃ興録さん後ほどていただけて?」
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
伴藏おみねはこれをしおに、何分怖くてられぬとて、栗橋くりはし在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。
それをしおにそこらをそろ/\片附けはじめると、三人は気の毒だがもう少し飲ませてくれと云つて、それからそれへと又二杯、都合つごう七杯づつ飲みました。
赤い杭 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
こいつをしおに、戯作で飯が食えるようにぎ着けざアなるまい——まず正月早々、今年ア恵方えほうが当ったぞ。——
曲亭馬琴 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
ああ過ぎつる日共に楽しく語り笑いし友、永久相見あいまみえるのしおがないと思うと淋しさの念が鋭く胸を打って来る。
イエスキリストの友誼 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
内証ないしょに大一座の客があって、雪はふる、部屋々々でも寐込ねこんだのをしおにぬけて出て、ここまでは来ましたが、土を踏むのにさえ遠退とおのいた、足がすくんで震える上に
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それこれもあるので、退かせたいと思わないでもなかったので、大変好いしおだとも思った。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それより私が達引たてひいて、見事に立て過さして上げるから、これをしおに足を洗っておしまいよ
百唇の譜 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
縁談などとは別にと、口で美しくうものゝ、父が相手の差し出すえさにふれた以上、それをしおに、否応いやおうなしに自分を、さらって行こうとする相手の本心が、彼女には余りに明かであった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
松前の藩から、上陸を拒まれたをしおに、この島に根城を求めたが、今までは一とおり、金髪にも亜麻あま色にも……。ええしたが、五大州六百八十二島の中で、ものもあろうに緑の髪の毛とは……
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それをしおに、喬生は走り寄って丁寧に敬礼した。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
蜀の陣で金鼓かねを鳴らすと、それをしおに、魏のほうでも引揚げの鼓を叩き、龐徳も関羽も、同時にほこを収めて、各〻の営所へ引き退いた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分はそれをしおに拝殿の前面を左右に逍遥しょうようした。そうして暑い日をさえぎる高い常磐木ときわぎを見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいて来た。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と長二は斯様な人と応対をするのが嫌いでございますから、話の途切れたのをしお暇乞いとまごいをして帰りました。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
吉良の声をしおに助かったように孫三郎が座をすべると、入れ違いに、平野屋茂吉が吉良の前にすわった。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
わっしあね、先生、書生や車夫くるやまなんぞが居るてますから、掴出つかみだす位なことはするだろうと思ってね、そうしたら一番撲倒はりたおしておいて、そいつをしおに消えようと思ったんだが
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それをしおに半七は逃げ支度にかかった。相手が相手だけに、まさか無愛嬌に別れるわけにも行かないので、半七は紙入れから二朱銀を出して、紙にくるんでお六に渡した。
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
我等が企と申したが御気に障ったそうナが、かまわぬ、もはや関わぬ、此のしおを失って何の斟酌しんしゃく
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「平次、もう御墨付を捜してもらえるだろうな、それをしおに拙者も身を退きたい」
そして、鍵が手に入ったのをしおに、続いて薬物室を調べることになった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それにああ云う事はどうもしおが有りましてね。
お久美さんと其の周囲 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
犬千代は、身をひらき、敵へ空を突かせて、よいしおを見たが、長槍を持ち直しているいとまがなかったので、掃部助かもんのすけの頭をなぐりつけた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真事はすぐねつけた。始めから飲ませる気のなかった小林は、それをしおにははと笑った。好い相手ができたと思ったのか真事は突然小林に云った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
磯五は、それをしおに、女ふたりを残してにらみ合わせておいて、あたふたと室を出て行った。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「何をあんなに吠えるのだろう。」と、手持無沙汰てもちぶさたの市郎は、これしお起上たちあがってかどへ出た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
判事に浮世ばなしを促されたのをしおにお幾はふと針の手を留めたが、返事よりさき逸疾いちはやくその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子きゅうすたぎった湯をさして
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
で、明日の登城をしおに、一室へらっし、罪状の数々をこしらえ立てて、いやおうなく腹を切らせん。切らずば無下むげにも抑えて刺し殺さん。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お金さんはそれを好いしおに茶の間から姿をかくした。叔母は黙って火鉢ひばちし込んだこてをまた取り上げた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
このとき納所が茶と菓子を運んで来たので、それをしおに住職は又あらためて会釈した。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それでは私もとおりの方を、いずれ後刻のちほど、とこれをしおに。出しなにまた念のために、その後、坂田と云うのは来ませんか、と聞くと、アバ大人ですか、と書生は早や渾名を覚えた。ははは、来ましたよ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
火をいていた言い訳にこういって、万吉は、スタスタ先へ歩きだした。と、一八郎も、いいしおにしてついてくる——が、まだ。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母が暴風雨に怖気おじけがついて、早く立とうと云うのをしおに、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、笑ってばかりいては済まない場合であるので、彼はこれをしおに思い切っておふみの一件を話した。話してしまってから彼は汗をいた。こうなると、小幡も笑えなくなった。
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これをしおに、分れようとすると、片手で顱巻はちまきかなぐり取って
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
利助が、いいしおを引き分けたので、二人は初めて気がついた様子。起き上がって支度もそこそこに、見附前の河岸へ出て行った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先刻さっきからよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好いしおに、もうここで切り上げようと思って身繕みづくろいにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれをさえぎった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほかの女たちもそれをしおに、この面倒な座敷をはずしてしまった。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こんどのしおを外すと、その次には、上野介の隠居願いが聞き届けられて、世上の噂どおり、彼の身は上杉家に引取られて、遠く
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一座が少し白らけたので、半七はそれをしおに座を起った。
半七捕物帳:12 猫騒動 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お延はそれをしおに年下の女の手を取った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
で、これをしおに、将軍家へ返納してしまった方が、肩の荷が下りることだという彼の考えは、明敏な吉宗にもすぐ読めていたに違いない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ帰って来た又十郎宗冬は、よいしおに恵まれたように、門番も家来も、その騒ぎにかかっているすきを、ついと横から門内へ駈けこんだ。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一同、酔も索然さくぜんと、興ざめ顔に白けたのはいうまでもない。遊び疲れも頃あい。それをしおに、その夜の無礼講も下火とみえた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで彼らは、このしおとばかり、まわりに見える弥次馬へも、演舌するような口調で、足利若御料の周囲を漫罵まんばしたあげくに
と、君前に取次が出たので、よいしおなりと、彼は引き退がって、入れかわりに来た羽柴秀吉に、目礼をわしながら立去った。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)