根岸ねぎし)” の例文
この老婆ろうばは以前は大塚おおつか坂下町辺さかしたまちへん、その前は根岸ねぎし、または高輪たかなわあたりで、度々私娼媒介ししょうばいかいかどで検挙せられたこの仲間の古狸ふるだぬきである。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうして、着京後間もなく根岸ねぎし鶯横町うぐいすよこちょうというのを尋ねて行った。前田邸の門前近くで向うから来る一人の青年が妙に自分の注意を引いた。
高浜さんと私 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「おとぼけなすっちゃいけません。やみのない女護にょごしま、ここから根岸ねぎしけさえすりゃァ、をつぶってもけやさァね」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
今夜はね、根岸ねぎしさとへ行って来るって胡魔化ごまかして来たのよ。私だって、たまにはゆっくりとまって見たいもの。——大丈夫よ。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
牛込の喜久井町きくいちょう根岸ねぎし谷中初音町やなかはつねちょう日暮里金杉にっぽりかなすぎ等々、本田はそうして春泥の約二年間に転居した場所を七つ程列挙した。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その頃の岡倉先生宅は根岸ねぎしであった。夜分の来訪、何事かと岡倉さんは思ってお出でのような面持おももちで私を迎えました。
根岸ねぎし向島むこうじまあたりにでもありそうな、寮ふうの構えで、うすへいごしの松の影を、往来のぬかるみに落としていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
あゝ此行このかう氷川ひかはみやはいするより、谷中やなかぎ、根岸ねぎし歩行あるき、土手どてより今戸いまどで、向島むかうじまいたり、淺草あさくさかへる。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
始終遊びつけた家では、相手の女が二月も以前にそこを出て、根岸ねぎしの方に世帯を持っていた。笹村はがらんとしたそのうち段梯子だんばしごを踏むのがものうげであった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
変なもので、伊香保なんぞへって居ると交際つきあいふえる、帰って見ると先達せんだっては伊香保でと云うので、麻布あざぶの人が品川しながわ、品川の人が根岸ねぎしへ来て段々縁がつながり
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
香取秀真かとりほづま 香取先生は通称「お隣の先生」なり。先生の鋳金家ちうきんかにして、根岸ねぎし派の歌よみたることはことわる必要もあらざるべし。僕は先生と隣り住みたる為、形の美しさを学びたり。
田端人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
根岸ねぎし伯母をばさんにも相談して見ませう。多分間に合ひませう。」とお節が言つた。
出発 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
定めて瀟洒しょうしゃうちに住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸ねぎしの其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしいうちで、文壇で有名な大家のこれが住居すまいとは如何どうしても思われなかった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
上屋敷から根岸ねぎしの別邸へ移されて、謹慎きんしんという、きびしい命をうけました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とこ一間いっけんで、壁は根岸ねぎしというのです。掛軸は山水などの目立たぬもので、国から持って来たのですから幾らもありません。前には青磁せいじの香炉が据えてあり、隅には払子ほっすが下っていました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
午後八時を過ぎる頃、わたしは雨をいて根岸ねぎし方面から麹町へ帰った。普通はいけはたから本郷台へ昇ってゆくのであるが、今夜の車夫は上野うえの広小路ひろこうじから電車線路をまっすぐに神田にむかって走った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから根岸ねぎし御行おぎょうの松、亀井戸かめいど御腰掛おこしかけの松、麻布あざぶには一本松、八景坂はっけいざかにも鎧掛よろいかけの松とか申すのがありました。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
四月頃もまるで梅雨つゆの如く、びしょびしょと毎日の雨で、江戸の市中はいたる処、溝渠どぶが開き、特に、下谷したやからかけ、根岸ねぎし、上野界隈かいわいの低地は水が附いてすねを没し
江戸の東北、向島むこうじま浅草から谷中やなか根岸ねぎしへかけて寺が多い。その上どころの湯灌場買いを一手に引き受けて、ほっくりもうけているのが神田連雀町れんじゃくちょうのお古屋津賀閑山。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そうして社長に売渡した器械の持主があとから出て来たのには実価以上の百円やって喜ばせて帰して、結局百五十円の純益金を得る。それをもって根岸ねぎしの競馬に出かけるのである。
初冬の日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
根岸ねぎし相坂あひざか團子屋だんごや屋臺やたいつた。……近所きんじよ用達ようたしがあつたかへりがけ、時分時じぶんどきだつたから、さゝゆきはひつて、午飯ひるますと、はら出來できたし、一合いちがふさけいて、ふら/\する。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
亀井戸普門院かめいどふもんいん御腰掛松おこしかけまつ柳島妙見堂やなぎしまみょうけんどうの松、根岸ねぎし御行おぎょうまつ隅田川すみだがわ首尾しゅびまつなぞその他なおいくらもあろう。
打出されたところは昔呉竹くれたけ根岸ねぎしの里今はすすだらけの東北本線の中空である。
猫の穴掘り (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
十二歳の時に根岸ねぎし在住の菊川という牙彫の師匠の家に弟子入りをして、十一年の年季を勤め上げ、年明けが二十三の時、それから日本橋の馬喰町の木地問屋に仕事に通い出したというのですから
麻布網代町あざぶあみしろちょう小石川白山こいしかわはくさん渋谷荒木山しぶやあらきやま亀戸天神かめいどてんじんなんぞいつか古顔となり、根岸ねぎし御行おぎょうまつ駒込神明町こまごめしんめいちょう巣鴨庚申塚すがもこうしんづか大崎五反田おおさきごたんだ、中野村新井あらい薬師やくしなぞ
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
熊本くまもとで漱石先生に手引きしてもらって以来俳句に凝って、上京後はおりおり根岸ねぎし子規庵しきあんをたずねたりしていたころであったから、自然にI商店の帳場に新俳句の創作熱を鼓吹したのかもしれない。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野の一番汽車は、見る見るうちに岡の裾をめぐッて、根岸ねぎしに入ッたかと思うと、天王寺の森にその煙も見えなくなッた。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
友達は年久しく恋していた女をば、両親の反対やら、境遇の不便やら、さまざまな浮世の障害を切抜けて、見初みそめて後の幾年目、やッとの事で新しい家庭を根岸ねぎしつくったのだ。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)