暢気のんき)” の例文
旧字:暢氣
盲目めくらのお婆さんは、座が定ると、ふところから手拭を出して、それを例のごとく三角にしてかぶつた。暢気のんきな鼻唄が唸うなるやうに聞え出した。
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
陸田城代は自白書を書くだろうか、「日日平安」などという暢気のんきな人だから、高をくくって書くかもしれない。と菅田平野は考えた。
日日平安 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「お前はそんな暢気のんきなことを言うが、旦那が亡くなった時に俺はそう思った——俺はもう小山家に縁故の切れたものだと思った——」
ある女の生涯 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「火鉢にあたるやうな暢気のんきな対局やおまへん。」といふことばをふと私は想ひ出し、にはかに坂田三吉のことがなつかしくなつて来た。
聴雨 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
これに身廻りの品を合せると、五人しかいない人夫の中から一人を要した程の重さであった。私達は何と暢気のんきなことであったろう。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ピャッツァ・シニョリナから小路を出ると暢気のんきそうに白雲の行ききするアルノの橋を渡って、花園の月桂や、ミルトゥスの間をぬけて
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
で、彼らは平素ふだんであったならもっともっと大騒ぎでもっともっと非難攻撃すべきこの重大の裏切り事件をも案外暢気のんきに見過ごした。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
案内の男が二言ふたこと三言みこと支那語で何か云うと、老人は手を休めて、暢気のんきな大きい声で返事をする。七十だそうですと案内が通訳してくれた。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それに張飛が飲み友達でも呼ぶように、暢気のんきに呼ばわってくる声が、雷鳴に似た烈しさよりも、かえって不気味に聞えるのだった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
約束の会は明日あしただし、すきなものは晩に食べさせる、と従姉いとこが言った。差当さしあたり何の用もない。何年にも幾日いくかにも、こんな暢気のんきな事は覚えぬ。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
下塗を乾かすために団扇うちわあおいだりしたものですが、今はそんな暢気のんきな事をやっていられないから、はじめから濃いやつを塗る。
久保田米斎君の思い出 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「外に隠れる場所はねえ。急場の思い付きだ、たぶん一度隠れたその塀の間から、暢気のんきそうに懐手をしてノソリと出て来たろう」
元が暢気のんきな生れで、まだ苦労ということを味わわないお千代は、おとよをせっかくここまで連れて来ながら、おとよの胸の中は
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
いつ頃だつたか、一寸はつきり判りかねるが、長崎に素行そかうといふ俳人があつた。ひどい行脚あんぎや好きでひまさへあれば暢気のんきに旅に出歩いてゐた。
唯三人でやつて居た頃は随分暢気のんきなものであつたが、遠からず紙面やら販路やらを拡張すると云ふので、社屋の新築と共に竹山主任が来た。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
もう、富豪の迷児まいごを見つけてお礼にありつこうなんかという暢気のんきなものではない。新しい命令が全市へ飛んで、警官はいっせいに緊張した。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
兵馬の眼で人間がその昔の時よりも暢気のんきに見えるのは、自分にさしさわりない他人ばかり残っているというせいでもあるまい。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
生れつきの暢気のんきな彼は、台所の酒を盗み出したり残酒をもらったりして、それを唯一の楽しみにしてなんの不平もなしにその日を送っていた。
岐阜提灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
昨年秋頃、この校訂版中の「雪と雪華」の項の執筆を頼まれ、比較的暢気のんきな気持で、その原稿を書き上げて、送っておいた。
百科事典美談 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
酒をみ出した紳士のまはりの人たちは少しうらやましさうにこの豪勢な北極近くまで猟に出かける暢気のんきな大将を見てゐました。
氷河鼠の毛皮 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
折角卒業の間際まぎわまで漕付けながらはかまを脱ぐ如く暢気のんきに学校をめてしまい、シカモ罷めてしまって後に何をする見当もなく
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
女連れや子供づれの湯治客が、暢気のんきに熊笹の間を縫って行くばかりではない。二間半ほどの道の一方によせて、トロッコの軌道が敷けていた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
宍戸 それと云ふのが、お二人とも、暢気のんきな方で、わたしが、たまに、お留守中、掃除をするくらゐなものですから……。
百三十二番地の貸家 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
恋のために朗らかになるたちで、よしんばほんのつかの幸福にしろ、それを与えてくれた相手に感謝を惜しまぬ、暢気のんきでお人好しな連中もある。
非常時も、このごろのように諸般の社会相が、統制のきびしさ細かさを生活の末梢まっしょうにまで反映して、芸者屋も今までの暢気のんきさではいられなかった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ここまでくれば、もう下りようはないだろうという安心から、こういうのどかな生活が、死ぬまでつづくような暢気のんきな気持になっていたのである。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く易々やす/\とした暢気のんきな気持ちにさせた。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
「そりゃ、あなた。お姉さまがたのなさることを見ていらっしったら、わかるでしょう。おばあさまの御機嫌をとらないで、あなたも暢気のんきな人ね。」
万年青 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
暢気のんきな彼もそのことを考えぬではなかったが、口では「この不精阿女。」時にはそれ位のことは言った。が、一言の下に圧倒されてしまうのだった。
(新字新仮名) / 犬田卯(著)
じゃがさがはねて、助六すけろくが出るなど、江戸気分なもの、その頃のおもちゃにはなかなか暢気のんきなところがありました。
母は暢気のんきな顔をして暮し出しました。少し肥って、顔にごくわず赭味あかみがかって、立ち居振舞いに豊かな肉が胸や腹に漂うという中年近くの美人です。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
(なんという暢気のんきというか、鈍感というか、あきれた二人達れだろう。自分たちの話に夢中になって、わたくしのあたったことに気がつかないのだ)
第四次元の男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今食う米が無くて、ひもじい腹をかかえて考え込む私達だ。そんな伊勢屋いせやの隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気のんきな事を言って生きちゃいられん!
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そういう蚊帳の外に稲妻が閃々せんせんす。蚊帳の中の人は暢気のんきにそれを見ている、といったような情景が想像される。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
それと同時に、そうした繁劇な生活からやっと逃れることができて、暢気のんきに図書館へでも来られるようになった現在の境遇を喜ばずにはおられなかった。
出世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
毎日幾度となく湯につかったり、散歩したり、寝転んだり、そしてその暇々ひまひまに筆をったりして至極暢気のんきに日を送っていたのです、ある日のことでした。
黒手組 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
局長は忙しいと言いながら、暢気のんきそうに長々と野球の話をはじめるので、勝男の方がはらはらしたくらいだった。
鉄の規律 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
何故そんなに面倒臭いことをするかと訊ねる者もあるが私は少しも面倒と思わない。かえって暢気のんきで、静かで、自分の性質に合っているとさえ思っている。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
今までの暢気のんきな書生生活を改めて真面目に仕事をせなければならぬことになって、その事務所を一時神田の錦町に置き、間もなくそれを猿楽町に転じた。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
それに奥さんも割合に暢気のんきなお方なので、いくらお困りになられていてもそれで買手が無ければしようがないといった風で、その話はそのままになすって
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢気のんきに思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それが父には暢気のんきな言いごとと聞こえるのも彼は承知していないではなかった。父ははたして内訌ないこうしている不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
今度は独りだけに荷物とても無く、極めて暢気のんきに登って行くとやがて峠に出た。何という事なく其処に立って振返った時、また私は優れた富士の景色を見た。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
「山遊びなんて、僕もそんな暢気のんきなことはしていられなくなってね。今日は、山巡りに来たついでなものだから……どうも草盗まれて、かやまで刈られんので……」
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「いや、被作虐者マゾヒイストかもしれんよ」と法水は半身はんみになって、暢気のんきそうに廻転椅子をギシギシ鳴らせていたが
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それが神楽坂になると、全く純粋に暢気のんきな散歩気分になれるんだ。それは僕一人の感じでもなさそうだ。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
ころんでも只は起きぬ狡獪こうかいさとで鳴らした人間だけあって、現在は、浮世ばなれた、暢気のんきらしい日を送っていてもなかなかどうして、油断も隙もある男ではない。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
あの魔法使が一夜に建てたかと思われる、夢のような都市まちへ行ってみたまえ。彼等は暢気のんきにも鞭で奴隷を使っていて、夜が昼のように華やかなんだ。永遠の春だね。
「鱧の皮、細う切つて、二杯酢にして一晩ぐらゐ漬けとくと、温飯ぬくめしに載せて一寸いけるさかいな。」と、源太郎は長い手紙を巻き納めながら、暢気のんきなことを言つた。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
……厭な金の話を耳に入れずに、子供ら相手に暢気のんきに一日を遊んで暮したいと思ってくるのであった。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)