明和めいわ)” の例文
蜀山人しょくさんじんの狂歌におけるや全く古今にかんたり。しかしてその始めて狂歌を吟ぜしはおもふに明和めいわ三、四年のこう年二十歳のころなるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
郁次郎は奉行所内の遥か奥に隔っている藪牢やぶろうにはいっていた。そこにある厳重な一棟ひとむねは、明和めいわの大獄以来使ったことのない番外牢であった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明和めいわ九年(十一月改元「安永」となる)二月中旬の或る日、——殿町にある脇屋わきや代二郎の屋敷へ、除村久良馬よけむらくらまが訪ねて来た。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
宝暦三年四月の八日御作事奉行おさくじぶぎょうより転じて依田豊前守と御交代になり明和めいわの六年八月十五日までお勤めに成ったという。
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
寛延二年から十五年を経た明和めいわ元年のことであったが、摂州萩の茶屋の松林に正月三日の夕陽せきようが薄黄色く射していた。
赤格子九郎右衛門の娘 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
明和めいわ戌年いぬどしあきがつ、そよきわたるゆうべのかぜに、しずかにれる尾花おばな波路なみじむすめから、団扇うちわにわにひらりとちた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そんな考証はしばらくいて、目黒行人坂の名が江戸人にあまねく知られるようになったのは、明和めいわ年間の大火、いわゆる行人坂の火事以来である。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
明和めいわ戊子ぼし晩春、雨れ月朦朧もうろうの夜、窓下さうかに編成し、以て梓氏ししあたふ。題して雨月物語うげつものがたりふと云ふ。剪枝畸人せんしきじん書す。
一、古人の俳句を読まんとならば総じて元禄げんろく明和めいわ安永あんえい天明てんめいの俳書を可とす。就中なかんずく『俳諧七部集』『続七部集』『蕪村ぶそん七部集』『三傑集』など善し。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
奥州へくだつたんです——其の内、年号は明和めいわと成る……元年さるの七月八日、材木を積済つみすまして、立火たつび小泊こどまりから帆をひらいて、順風に沖へ走り出した時、一にん
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
如何に宝暦はうれき明和めいわの昔にもせよ、一月に二両二分の収入では多銭たせん善く買ふ訳にも行かなかつたであらう。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
この長屋ながやは、そのときから八十八ねんまえの明和めいわ八(一七七一)ねんに、前野良沢まえのりょうたく杉田玄白すぎたげんぱくたちが、オランダのかいぼうがく生物せいぶつのからだをきりひらいて研究けんきゅうする学問がくもん)のほん
文身ほりものというのは、元は罪人の入墨いれずみから起ったとも、野蛮人の猛獣脅しから起ったとも言いますが、これが盛んになったのは、元禄げんろく以後、特に宝暦ほうれき明和めいわ寛政かんせいと加速度で発達したもので
抽斎はこの詩を作ってから三年ののち弘化こうか元年に躋寿館せいじゅかんの講師になった。躋寿館は明和めいわ二年に多紀玉池たきぎょくち佐久間町さくまちょうの天文台あとに立てた医学校で、寛政かんせい三年に幕府の管轄かんかつに移されたものである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
もしくは世持役のふんする神さまは小浜ではニロウ神といい、また明和めいわ大海嘯おおつなみの後に、新城あらぐすくの島から移住を命ぜられてきた石垣島南岸の宮良みやらの村では、神を代表して家々を訪れる仮装の若者を
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
熨斗目のしめ」の腰に織り出してある横縞や、「取染とりぞめ」の横筋はいずれも宝暦前の趣味である。しかるに、宝暦、明和めいわごろから縦縞が流行し出して、文化文政には縦縞のみが専ら用いられるようになった。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
遠くは菱川師宣ひしかわもろのぶの『狂歌旅枕たびまくら』、近くは宝暦ほうれき初年西村重長にしむらしげながの『江戸土産えどみやげ』及び明和めいわに入りて鈴木春信が『続江戸土産』の梓行しこうあるに過ぎざりしが
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
奧州あうしうくだつたんです——うち年號ねんがう明和めいわる……元年ぐわんねんさるの七ぐわつ八日やうか材木ざいもく積濟つみすまして、立火たつび小泊こどまりからひらいて、順風じゆんぷうおきはししたとき、一にん
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
宝暦ほうれき頃から明和めいわにかけて三都、頭巾の大流行おおばやり、男がた女形おんながた岡崎おかざき頭巾、つゆ頭巾、がんどう頭巾、秀鶴しゅうかく頭巾、お小姓こしょう頭巾、なげ頭巾、猫も杓子しゃくしもこのふうすいをこらして
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが明和めいわのある時代から、すなわち老儒者の一団が、その地を目ざしてはいり込んだころから、京丸のあるらしい地点へ向かって、諸国から武士たちがはいり込んだり
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
丁度明和めいわの元年に粂野美作守くめのみまさかのかみ高義公たかよしこう国替で、美作の国勝山かつやまの御城主になられました。その領内南粂郡東山村の隣村りんそん藤原村ふじわらむらと云うがありまして、此の村に母子おやこ暮しの貧民がありました。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
明和めいわのむかし、この樹下に楊枝店ようじみせ柳屋やなぎやあり。その美女おふじの姿は今に鈴木春信すずきはるのぶ一筆斎文調いっぴつさいぶんちょうらの錦絵にしきえに残されてある。
時に明和めいわの元年、勝山の御城主にお成りなさいました粂野美作守さまのお城普請しろぶしんがございまして、人足を雇い、お作事さくじ奉行が出張でばり、本山寺へ入らっしゃいまして方々御見分が有ります。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
明和めいわ二年のその年も十一月の中旬なかばを過ぎて。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一括して明和めいわ二年(一七六五年)より嘉永かえい三年(一八五〇年)に至る浮世絵全盛の各時代を通覧し得たり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかして明和めいわ二年に至り、鈴木春信すずきはるのぶ初めて精巧なる木板彩色摺さいしきずりの法を発見せしより浮世絵の傑作品は多く板画にとどまり、肉筆の制作は湖龍斎こりゅうさい春章しゅんしょう清長きよなが北斎ほくさい等の或る作品を除くのほか
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)