“躋寿館”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
せいじゅかん50.0%
せいじゆくわん50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これは漁村がその師大田錦城おおたきんじょうふうを慕って栽えさせたのである。当時漁村は六十二歳で、躋寿館せいじゅかんの講師となっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎歿後の第六年は元治げんじ元年である。森枳園が躋寿館せいじゅかんの講師たるを以て、幕府の月俸を受けることになった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柏軒はかみに記するが如く、安政己未に幕府の奥詰医師を拝した。躋寿館せいじゆくわんの講師となつてより既に八年、前将軍に謁見してより既に三年であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
書上に拠るに、錦橋は始て躋寿館せいじゆくわんに往つて逢つた人々を列記して、「多紀永寿院、同安長、吉田快庵、野間玄琢、千田玄知、山本楊庵、曲直瀬正隆等」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)