びょう)” の例文
かれは幕府のびょうにいながら、大奥にも威力をもって両棲の佞官ねいかんだ。そして天下の弊風と百害はかれの施政から招かれているといっていい
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この島のものは実に見厭みあきません。もとより古い城址しろあとや寺院やびょうや神社や、それらの建物には、忘れ得ぬ数々のものがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
祖師堂は典正なのが同一棟ひとつむねに別にあって、幽厳なる夫人ぶにんびょうよりその御堂みどうへ、細長い古畳が欄間の黒いにじを引いて続いている。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この関羽かんうびょうの中に面白い物がある。青鬼赤鬼ら地獄の鬼の姿を沢山こしらえて関羽の手下てしたのように飾ってある。その美術がてかてか面白く出来て居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
正面にあるびょうの横から石段を登って壁の上へ出ると、びょううしろだけが半月形はんげつけいになっていわゆる北陵ほくりょうを取り巻いている。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
庚寅こういんの年、江西の節度使の徐知諫じょちかんという人がぜに百万をもって廬山使者のびょうを修繕することになりました。
かくの如きの人にして、みかどとなりて位を保つを得ず、天に帰しておくりなあたわず、びょう無く陵無く、西山せいざん一抔土いっぽうどほうせずじゅせずして終るに至る。嗚呼ああ又奇なるかな。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
コスのアスクレーピオス医聖のびょうに掲ぐるための作で、百タレンツ今の約二十万円をあたいした。アペルレースの人となり至って温良故、アレキサンダー王の殊寵を得た。
「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんでびょうの廊下から出て月下の湖畔を逍遥しょうようしながら、「父母いませば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
かの日光のびょうの壮厳雄麗、金碧こんぺき目をくらまし、今日に及んでなお世界万邦の艶羨えんせん喝采かっさいを博するゆえんのものは、これわが人民が一抔いっぽうの墓田をも有せず、三尺の石塔をも有せず
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
明治以後の日本人は、「信長のぶながが、皇居を造営した」ということをとらえて、一大忠臣のように賞めたてている。明治三年、明治政府は、みずから「建勲神社」の賛辞を信長のびょうにささげたのである。
「偽装のためにですね、一部は本邸へ入れるでしょう、しかしその他の大部分は他へ運びますね、なにしろ御三家の威光があるから便利です。毎年の例で日光びょうへ納めるというのも怪しめば怪しめるでしょう」
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
北鎌倉、円覚寺えんがくじ仏日庵。時宗のびょう
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
小さなびょうが見えた。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
蝙蝠こうもりか、むささびか、目をかすめた物がある。いや追手の松明たいまつもピラピラびょうの外を走り廻っていた。とてもじっと隠れてはいられない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他の土産物のように遊びがないので、本当に役立ってくれます。日光土産にはぼんがあって、その上に日光山のびょうだとか眠猫ねむりねこなどを彫った物を売ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
春先はるさき弁当でも持ってあそびに来るには至極しごく結構だが、ところが満洲だけになお珍らしい。余は痛い腹をおさえて、とうとう天辺てっぺんまで登った。するとそこに小さなびょうがあった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この人形の首をはじめて見たのは、わたしが日露戦争に従軍した時、満洲の海城かいじょうの城外に老子ろうしびょうがあって、その祭日に人形をまわしに来たシナの芸人の箱のなかでした。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
唐土の昔、咸寧かんねいの吏、韓伯かんはくが子なにがしと、王蘊おううんが子某と、劉耽りゅうたんが子某と、いずれ華冑かちゅうの公子等、相携えてきて、土地の神、蒋山しょうざんびょうに遊ぶ。廟中数婦人の像あり、白皙はくせきにして甚だ端正。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
片田舎かたいなかの荒れ地へ追いやられ、ただ口先の弁巧べんこうで、ぬらりくらり身を這い上げたへつらい者が、びょうに立ち、政治を私しているのではないか。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自から直ちに遠山の背後うしろに来て、その受持の患者を守護する。両人は扉を挟んで、腰をかけた、渠等かれら好事こうずなる江戸ツ児は、かくて甘んじて、この惨憺さんたんたる、天女びょうの門衛となったのである。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
孫恩そんおんが乱を起したときに、呉興ごこうの地方は大いに乱れた。なんのためか、ひとりの男が蒋侯しょうこうびょうに突入した。蒋子文しょうしぶん広陵こうりょうの人で、三国のの始めから、神としてここに祀られているのである。
順和商行と関羽かんうびょうのあいだを曲って、いくつもの、ほそい露地をたどると、さっき、宵に、トム公の訪れた、阿片クラブの地下室へ出る。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この二つの信念は、磯長しながびょうに籠った賜物たまものであった。聖徳太子からささやかれた霊示であると彼は感激にみちて思う。けれど
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はびょうに大統をうけた八代将軍であり、これは相変らず無為に父や兄のすねをかじっている一個の放浪児でしかありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ、そんなはなしは、いつか潯陽江じんようこうの白龍びょうでも耳にしたことがある。誰か、速舟はやぶねで朱貴を呼んで来てくれまいか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
董卓は、云い捨てて、びょうを下り、即座に、車馬千駄の用意を命じて、自分はひとまず宮門から自邸へとくるまを急がせた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、その雷横組のほうが、ふもとぢかい霊官廟れいかんびょうのほとりまで来たときだった。ひょいと見ると、びょうの扉が、魔の口みたいに開けッ放しになっている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とたびたび人の声がするというので、玉泉山の郷人さとびとたちは相談して一宇のびょうを建て、関羽の霊をなぐさめたという。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうじゃ、聖徳太子しょうとくたいしと、そのおん母君、おきさき、三尊の御墳みつかがある太子びょうもうでて、七日ほど、参籠さんろういたしたい」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、右の崖を仰ぐと、崖の中腹に、室町風の古雅な観月亭とびょうがあって、狭い石ころ道はこけむして見え、その辺を縫ってなお、幽翠ゆうすいな山の上へつづいている。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一月の元旦といえば、衣冠いかんをただして、遠く皇居を拝し、次に、祖先のびょうにぬかずいて、父母のみたまに一年の報告をすることを例としているというはなしもある。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、びょうはらい、いささか心ばかりの祭をいたすであろう」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、歩き歩き、通ったしるしを残して行きましょう」と、甘洪は、びょうの壁に何か書き残したが、半里も歩くとまた、道ばたの木の枝に、黄色のきれを結びつけて行く——
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新しい祠堂というのは、張繍との戦に奮戦して討死した悪来あくらい典韋てんいのために建てたびょうであった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、孔明の死に会うや、蜀の百姓は、びょうを立て、を築き、彼の休んだあとも、彼の馬をつないだ木も、一木一石の縁、みな小祠しょうしとなって、土民の祭りは絶えなかった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さよう。この高時には父祖代々のびょう。それゆえ、おなじことならここを死に場所にせんと、俄に、陣所を移してきたのだ。ここもたちまち敵のつつむところとなろう。はやく去れ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
崇徳院の丸木ノ御所の建物をここに移したびょうがある。紫宸殿になぞらえて、左近の桜、右近の橘もあったと聞かされたが、眼に沁みたのは満目の落葉と、昼も解けないでいる御手洗みたらしの薄氷。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けんをとってびょうに立つものが、第二の幕府をつくりはせぬか」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)