いつわり)” の例文
旧字:
実際に出来ぬことを勧め、行われぬことを強うるは、元々無理なる注文にして、其の無理は遂に人をしていつわりを行わしむるに至る可し。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
公子 決していつわりは申しませぬ。紫の袍を着て桂の冠をかむり、銀の竪琴を持っている騎士姿の音楽家なら間違いなく母のかたきでござります。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
左右に長いたてがみを振乱して牝馬と一緒におどり狂って、風に向って嘶きました時は——いつわりもなければ飾もない野獣の本性に返りましたのです。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この同情の心は決して表面を飾るためのいつわりでもなく、教えられて覚えた結果でもなく、真に生まれたときから備わっている本能的性質である。
人道の正体 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
自分の真実の血で、彼女のいつわりの贈物を、真赤に染めてやるのだ。そして、彼女のわずかに残っている良心を、はずかしめてやるのだ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
即ち文学上から見てローマンチシズムはいつわりを伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高すうこうとかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。
教育と文芸 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「イヤ、私は貴君を告発しなければならない位置に居るものではありません。御話しにいつわりがないと云う条件で、別に荒立てる必要はありません」
真珠塔の秘密 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
いつわりならぬ真実!」と、東洋の詩人がうたったそのことが、彼には賞牌しょうはいの浮彫でも見るように、手探りの敏感さで、自分の皮膚へ感じられたように思えた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
この柵草紙の盛時が、即ち鴎外という名の、毀誉褒貶きよほうへん旋風つむじかぜ翻弄ほんろうせられて、予に実にかなわざるいつわりの幸福を贈り、予に学界官途の不信任を与えた時である。
鴎外漁史とは誰ぞ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかしそれはいつわりである。彼等はかたきを取った後、警官の捕縛ほばくするところとなり、ことごとく監獄かんごくに投ぜられた。
猿蟹合戦 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
どうして私がいつわりなど申しましょう、と答える豎牛の唇の端が、その時あざけるようにゆがんだのを病人は見た。こんな事はこの男が邸に来てから全く始めてであった。
牛人 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「嘘もいつわりも、悪巧わるだくみもあるような人柄じゃねえ、名前は萩江鞍馬はぎえくらま、絵に描いたような好い男だよ」
裸身の女仙 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
... 今爾がいふ処いつわりならずば、すみやか東道あんないせよ、われきてその獲物を取らんに、什麼そもそは何処いずくぞ」トいへば。聴水はしたり顔にて、「大王速かに承引うけがいたまひて、やつがれまことに喜ばしく候。 ...
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
思い掛けなく賊の味方をするようになったレイモンド嬢は、判事の取調べの時にもいつわりをいってしまった。二人の令嬢が犯人の人相のことで、違ったことをいったのがこれで分る。
もしくは大宗教家になりたい。しかし僕の願というのはこれでもない。もし僕の願が叶わないで以て、大哲学者になったなら僕は自分を冷笑し自分のつらに『いつわり』の一字を烙印らくいんします
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
無論それはいつわりの警官に相違ないが、そんな服装をしていれば人目につき易いから大丈夫つかまる、安心しろという事で盗難の金額や泥坊の風体など詳しく聞きとって手帳に書き込み
盗難 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
君はそれをはたから見て後で僕に打明うちあけてこうった。あいつの疲れたような渋いような威厳が気に入った。あの若さで世のいつわりに欺かれたのを悔いたような処のあるのを面白く感じたと云った。
天翔あまがける衣が欲しいとは思いませぬか」必死に叫んだ。「あの大空をひととびにする衣ですよ。笛を返して下さる御礼に、次の月夜に、きっとお届け致しましょう。天女にいつわりはございませぬ」
紫大納言 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
太祖れんていめて曰く、宋景濂ちんつかうること十九年、いまかつて一げんいつわりあらず、一人いちにんたんそしらず、始終無し、たゞに君子のみならず、そもそも賢とう可しと。太祖の濂をることかくの如し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いつわりか真実かさえも分らぬような話で、夫の頭を掻き乱すに忍びなかった、たとえそれが事実であったとしても、全く一時の過失に違いない、それなればこそ、花の申出にも拒絶しているではないか
美人鷹匠 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
その事柄は、まこといつわりかはっきりしないが、とにかく重大なことだ。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
三 これらはけっしていつわりでもママ空でも窃盗せっとうでもない。
なまじっかいつわりを申し立てぬがいいぞ。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
いつわりの心を長ぜさせるが好い。
何方どっちかにしなければ生活の意義を失ったものと等しいと考えた。その他のあらゆる中途半端の方法は、いつわりに始って、偽に終るより外に道はない。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
黄金の力のためにいつわりの結婚をしたときも、美しき妖婦ようふとして、群がる男性を翻弄ほんろうしていたときにも、彼女の心の底深く、初恋の男性に対する美しきみさお
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
あいや方々いつわりでござるぞ、彼らの言葉をお信じ下さるな。免状を持った公の復讐何の何の偽りでござる。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
然れどもそのいつわりなるは地図を按ずるまでも無之候。一片の銅銭を得んが為に我等の十八史略的ロマン主義を利用するところ、まことに老大国の乞食たるにじず、大いに敬服仕り候。
雑信一束 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
次第に聴衆が増し、彼等の表情が、自分の物語の一弛一張いっしいっちょうにつれて、あるいは安堵あんどの・あるいは恐怖きょうふの・いつわりならぬ色をうかべるのを見るにつけ、この面白さはおさえきれぬものとなった。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
抽斎は坐したままでしばらく口をつぐんでいた。三人がいつわりの使だということは既にあきらかである。しかしこれと格闘することは、自分の欲せざる所で、またあたわざる所である。家には若党がおり諸生がおる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今はそれが段々なくなって、自分の弱点をそれほど恐れずに世の中に出す事を何とも思わない。それでいにしえの人のへいはどんな事かというと、多少いつわりの点がありました。
教育と文芸 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「ダンチョンはうちにいなかったよ」兄の返辞はこうでした。調子にいつわりがございませんので、私はすぐに信じました。不図ふと見ると兄は右の手に細長い包を持っています。
西班牙の恋 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
吉助「何でいつわりなどを申上ぎょうず。皆まぎれない真実でござる。」
じゅりあの・吉助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
鋭どい眼で注意したら、どこかにいつわりの影が射して、本来の自分を醜くいろどっていたろうと思う。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ある時は俗社会の塩漬になり過ぎて、ただ見てさえも冥眩めんけんしそうな人間でないと、人間として通用しない事がある。それはうそいつわりだと説いて聞かしてもなかなか承知しない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼の不審はけっしていつわりとは見えなかった。彼は昨日きのうKの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切とぎれないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
津田の言葉にいつわりはなかった。彼の父はよし富裕でないまでも、毎月まいげつ息子むすこ夫婦のためにその生計の不足を補ってやるくらいの出費に窮する身分ではなかった。ただ彼は地味な人であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼をうたぐっているようでした。兄さんの眼には御父さんも御母さんもいつわりうつわなのです。細君はことにそう見えるらしいのです。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)