一処ひとところ)” の例文
旧字:一處
胸を打って、襟をつかんで、咽喉のどをせめて、思いを一処ひとところに凝らそうとすれば、なおぞ、千々ちぢに乱れる、砕ける。いっそ諸共に水底へ。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
微暗うすくら窟穴ほらあなのような廊下のさき一処ひとところ扉がいていて、内から射した明るいが扉を背で押すようにして立っている者を照らしているところがあった。
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
矢来に一処ひとところあったが、私は、主婦おかみを案内に空間を見たけれど、仮令たとい何様どんな暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べないで来ているのに
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
これは新発明とか、創造とかにはあるいは適さぬ性質かも知れない。何故なぜと言えば、余り深く一処ひとところ一物いちもつに執着して研鑽けんさんを積むという性質ではないからである。
二人ふたりは、こういって、いっしょうけんめいにゆき一処ひとところにあつめて、ゆきだるまをつくりはじめました。
雪だるま (新字新仮名) / 小川未明(著)
此処は村での景色を一処ひとところあつめた。北から流れて来る北上川が、観音下の崖に突当つて西に折れて、透徹る水が浅瀬に跳つて此吊橋の下を流れる。五六町行つて、川はまた南に曲つた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
されど五重の塔の屋根には日向ひなた日陰ひかげといろいろにある故に、一処ひとところより解けむると思へば次第々々に此処彼処ここかしこと解けて、果てはどこもかも雫が落つるやうになりたりといふ意なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
二羽には一処ひとところにト三羽さんば一処ひとところにトてそして一羽いちはが六しやくばかりそらなゝめあしからいとのやうにみづいてつてあがつたがおとがなかつた、それでもない。
化鳥 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
歩いて来た廊下が判らなくなって一処ひとところ明採あかりとりのような窓から黄いろなが光っていた。それは長さが一尺四五寸、縦が七八寸ばかりの小さな光であった。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
まあそういうようにして、ちょび/\書籍を売っては、かねを拵えて遊びにも行った。けれども、それでも矢張し物足りなくって、私の足は一処ひとところにとまらなかった。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
逸作は、息子の手紙をたたんだりほぐしたりしながら比較的実際的な眼付きを足下あしもと一処ひとところへ寄せて居た。逸作は息子に次に送るなりの費用の胸算用むなざんようをして居るのであろう。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
『ハア然うですか。』と挨拶はしたものゝ、総身の血が何処か一処ひとところかたまつて了つた様で、右の手と左の手が交る/″\に一度宛、発作的にビクリと動いた。色を変へた顔を上げる勇気もない。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
一処ひとところ、大池があって、朱塗の船の、さざなみに、浮いたみぎわに、盛装した妙齢としごろの派手な女が、つがい鴛鴦おしどりの宿るように目に留った。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ブーロウニュの森の一処ひとところをそっくり運んで来たようなショーウインドウを見る。枯れてまでどこまでもデリカを失わないの葉のなかへ、スマートな男女散策さんさくの人形を置いたりしている。
巴里の秋 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「やかましい、どう盲人と、足のちぎれたばった野郎、よくもよくも、一処ひとところへ集まったものだ」銚子で食卓ちゃぶだいの上を叩いて、「こんな不具者かたわばかりの処で、酒なんか飲めるものでない」とついとって
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一処ひとところ大池おおいけがあつて、朱塗しゅぬりの船の、さざなみに、浮いたみぎわに、盛装した妙齢としごろ派手はでな女が、つがい鴛鴦おしどりの宿るやうに目にとまつた。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そらざまに取って照らすや、森々しんしんたる森のこずえ一処ひとところに、赤き光朦朧もうろうと浮きづるとともに、テントツツン、テントツツン、下方したかたかすめてはるかにきこゆ)
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一処ひとところかたまるから、どの店も敷物の色ばかりで、枯野にした襁褓むつき光景ありさま、七星の天暗くして、幹枝盤上かんしはんじょうに霜深し。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ほっと一息つく間もない、吹煽ふきあおらるる北海の荒浪が、どーん、どーんと、ただ一処ひとところのごとく打上げる。……歌麿の絵のあまでも、かくのごとくんばおぼれます。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
木屑は極めて細かく、極めて軽く、材木の一処ひとところからくようになって、肩にも胸にも膝の上にも降りかかる。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
真紅まっかな椿も、濃い霞に包まれた、おぼろも暗いほどの土塀の一処ひとところに、石垣を攀上よじのぼるかと附着くッついて、……つつじ、藤にはまだ早い、——荒庭の中をのぞいている——かすりの筒袖を着た
絵本の春 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鶴沢宮歳つるさわみやとしとあるのを読んで、ああ、お師匠さん、と思う時、名の主は……早や次の葭戸越よしどごし背姿うしろすがたに、うっすりと鉄瓶の湯気をかけて、一処ひとところ浦の波が月に霞んだようであった。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こいふなも、一処ひとところへ固まって、あわを立てて弱るので、台所の大桶おおおけみ込んだ井戸の水を、はるばるとこの洗面所へ送って、橋がかりの下をくぐらして、池へ流し込むのだそうであった。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
南海霊山の岩殿寺いわとのじ、奥の御堂みどうの裏山に、一処ひとところ咲満ちて、春たけなわな白光びゃっこうに、しきかおりみなぎった紫のすみれの中に、白い山兎の飛ぶのをつつ、病中の人を念じたのを、この時まざまざと
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
廻廊の上を見れば、雪空ででもあるように、夜目に、額と額とほの暗く続いた中に、一処ひとところ、雲を開いて、千手観世音の金色の文字が髣髴ほうふつとして、二十六夜の月光のごとく拝される。……
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
柳を植えた……その柳の一処ひとところ繁った中に、清水のく井戸がある。……大通りかどの郵便局で、東京から組んで寄越よこした若干金なにがし為替かわせ請取うけとって、まきくるんで、トず懐中に及ぶ。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)