“せんしゆ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
船首15.4%
纎手15.4%
纖手15.4%
先主7.7%
撰手7.7%
僣取7.7%
千株7.7%
繊手7.7%
船主7.7%
選手7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
去(い)にし年(とし)秋(あき)のはじめ、汽船(きせん)加能丸(かのうまる)の百餘(ひやくよ)の乘客(じようかく)を搭載(たふさい)して、加州(かしう)金石(かないは)に向(むか)ひて、越前(ゑちぜん)敦賀港(つるがかう)を發(はつ)するや、一天(いつてん)麗朗(うらゝか)に微風(びふう)船首(せんしゆ)を撫(な)でて、海路(かいろ)の平穩(へいをん)を極(きは)めたるにも關(かゝ)はらず
旅僧 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
がたりと音(おと)して一ゆり搖(ゆ)れヽば、するり落(おち)かヽる後(うし)ろざしの金簪(きんかん)を、令孃(ひめ)は纎手(せんしゆ)に受(う)けとめ給(たま)ふ途端(とたん)、夕風(ゆふかぜ)さつと其袂(そのたもと)を吹(ふ)きあぐれば、飜(ひる)がへる八つ口(くち)ひらひらと洩(も)れて散(ち)る物(もの)ありけり
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
蝋(らふ)の纖手(せんしゆ)のたましひは
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
一私し共(ども)兩人儀は先主(せんしゆ)嘉川平助以來(いらい)より勤仕(きんし)罷在(まかりあり)候處當主(たうしゆ)主税之助養子(やうし)に參られ候後平助儀藤五郎藤三郎の二子(し)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
嘉川の屋敷へ何時頃より奉公住致せしやと申さるゝに平左衞門三ヶ年以前奉公住仕つり候と申ければ大岡殿然(しか)らば先主(せんしゆ)は何方なるやと有に平左衞門先主人は京都に御座候と云へば大岡殿ナニ京都と申か其方の言葉(ことば)は京訛(なま)り少しもなく關東言葉の樣に聞ゆるぞ而(し)て先主(せんしゆ)の名前は何と申すぞと云はるゝに平左衞門は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
武村兵曹(たけむらへいそう)は此(この)兒(こ)將來(しやうらい)は非常(ひじやう)に有望(いうぼう)な撰手(せんしゆ)であると語(かた)つたが啻(たゞ)に野球(やきゆう)ばかりではなく彼(かれ)は※去(くわこ)三年(ねん)の間(あひだ)、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の嚴肅(げんしゆく)なる、且(か)つ慈悲(じひ)深(ふか)き手(て)に親(した)しく薫陶(くんとう)された事(こと)とて
我國(わがくに)野球界(やきゆうかい)の覇王(はわう)ともいふ可(べ)き第(だい)一高等學校(かうとうがくかう)の撰手(せんしゆ)を打破(うちやぶ)つた事(こと)は、私(わたくし)が此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)する半年(はんとし)程(ほど)前(まへ)、英國(えいこく)倫敦(ろんどん)でちらと耳(みゝ)にした、之(こ)れはもう今(いま)から三四年(ねん)も前(まへ)の事(こと)だが、實(じつ)に殘念(ざんねん)な次第(しだい)である。
「人間で、誤(あやま)り易いものは、神で、完全なものゝみに安心して委(まか)せて置くべき力を、僣取(せんしゆ)してはならないのです。」
ここすぎて夕立はしる川むかひ柳千株(せんしゆ)に夏の雲のぼる
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子、増田雅子、与謝野晶子(著)
端厳微妙(たんげんみみよう)のおんかほばせ、雲の袖(そで)、霞(かすみ)の袴(はかま)ちらちらと瓔珞(ようらく)をかけたまひたる、玉(たま)なす胸に繊手(せんしゆ)を添へて、ひたと、をさなごを抱(いだ)きたまへるが、仰(あお)ぐ仰ぐ瞳(ひとみ)うごきて、ほほゑみたまふと、見たる時
竜潭譚 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
船の連中はまだ解雇はされてゐないけど、船主(せんしゆ)側の方でいつなんどき解雇してもいゝ様に、船員をかり集めてゐる。そのかり集め方を俺達の組合へ頼んで来てゐやがる。
疵だらけのお秋 (新字旧仮名) / 三好十郎(著)
此時(このとき)、選手(せんしゆ)第一(だいいち)の賞(しやう)を得(え)たのは、池(いけ)をめぐること三十幾囘(さんじふいくくわい)、翌日(よくじつ)發表(はつぺう)されて、年(とし)は六十に餘(あま)る、此(こ)の老(らう)神行太保戴宗(しんぎやうたいほたいそう)は、加州(かしう)小松(こまつ)の住人(ぢうにん)、もとの加賀藩(かがはん)の飛脚(ひきやく)であつた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)