長門ながと)” の例文
長門ながとどのでも疋田ひきだでも互いに一族を集めております。大手の木戸を打ちましたし、両家の付近では町人共が立退きを始めています」
三十二刻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ここ長門ながとの府中滞陣も、いつか二十日はつか以上になっている。——するとここに果たして、尊氏が気にかけていた一報が九州から聞えた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
為長の十世の孫左京亮為虎さきやうのすけためとらが初め尼子義久あまこよしひさに、後毛利輝元もうりてるもとに属して、長門ながとの府中に移つた。為虎の長男頼母助為基たのものすけためもとが父と争つて近江にはしつた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
長門ながと赤間あかまヶ関せき、播州の室津などはそれである。ことに室津は都近い船着きであったから、遊里の体裁ていさいをなすまでに繁昌したものと見えます。
他にその習癖のない長門ながと阿武あぶ郡・周防すおう熊毛くまげ郡、東では三河・伊豆などの一部にも、ユルイまたはユリーという発音の耳にせられることである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
長門ながとは山陽の西陬せいすう僻在へきざいす、しこうして萩城連山のきたおおい、渤海ぼっかいしょうに当る。その地海にそむき山に面す、卑湿ひしつ隠暗。城の東郊は則ち吾が松下村なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
旗艦陸奥むつ以下長門ながと日向ひゅうが伊勢いせ山城やましろ扶桑ふそうが、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦加賀かが赤城あかぎとを前隊として堂々たる陣を進めて行くのであった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「鷄ちやん、山一つ越すともう長門ながとの國ださうだよ。トンネルの内が石見の境ださうだよ。」
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
梅津長門ながとという浪人者を逃がすために、自分の部屋へ火を付けたとかいう噂もありますが、それはまあ一種の小説でしょう。花鳥はどうも手癖が悪くって、客の枕探しをする。
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「もし、こんなやつが本当に出て来るんだったら、『陸奥むつ』『長門ながと』だって危いぞッ。」
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
周防すおう長門ながとの国では焼物のことをお話せねばなりません。ここは山口県であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
震災の時、私は鎌倉から横須賀まで歩いて、関東丸に乗って品川湾にいた。その夜は風波が荒くて上陸が出来ず、或士官の紹介で軍艦長門ながとに移って、はじめて安らかな眠りについた。
丸の内 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
木村長門ながと薄田隼人生すすきだはいとのしょうら、名ある大将は、六日の戦いに多くは覚悟の討死を遂げてしまって、ただ真田左衛門さえもん長曾我部盛親ちょうそがべもりちかや、毛利豊前守ぶぜんのかみなどが、最後の一戦を待っているばかりであった。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
川下のは長門ながとといってそこに毘沙門堂があってタガメが住んでいます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
やがて長門ながとは江戸になるとか何とか云うことを面白そうに唄うて居る
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
周防すおう長門ながとにもいるそうですし、石州あたりにもいるそうです。
黄村先生言行録 (新字新仮名) / 太宰治(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
旗本の山田新右衛門、近習の島田左京、沢田長門ながとなど、四、五名は義元の身を、八方だてのように囲んで、とばりから次の幕へと、急を避けた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長門ながと見島みしまという島などは、畠ばかりの島だから、麦稈むぎわらを千把、岡の上へもって行って焚き、これを千焚きといっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
人皆その長門ながとの人なるを知っているが、かつて自ら年歯ねんしを語ったことがないので、その幾歳なるかを知るものがない。打ち見る所は保と同年位であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
天保元年八月長門ながとはぎ城の東郊に生れ、安政六年十月国事犯罪人として、江戸において首を斬らる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
硝石しょうせきの精製所も出来ました。硫黄いおうの蒸溜所も出来上りました。機械類の磨き方は、鉄砲師の川崎長門ながとと国友松造という者が来て引受けました。水圧器の組立ても出来ました。
播磨はりま美作みまさか備前びぜん備中びっちゅう備後びんご安藝あき周防すおう長門ながとの八ヵ国を山陽道さんようどうと呼びます。県にすれば兵庫県の一部分、岡山県、広島県、山口県となります。ざっと明石あかしから下関までであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
末山大将は吉田松陰や山県有朋を生んだ長門ながとの国の人である。せた小さい提督だが、その眼には鷲よりも強い光がある。『戦術の神様』として、大将の名は世界に鳴りひびいているのだ。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
なあに、日本艦隊がいかに強くとも、東京湾の防備が、いかにかたくとも、あの怪力線砲をぶっとばせば、陸奥むつ長門ながともないからねえ。いわんや敵の空軍など、まあ、蠅をたたきおとすようなものだ
太平洋魔城 (新字新仮名) / 海野十三(著)
巌流も仰ぎ、彼も仰いでいた空は、あくまで深いあおさだった。そして長門ながとの山に白い雲が、旗のように流れているほか、雲の影もなかった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九州はその北端の一区域から、対岸の長門ながと周防すおうにかけて、トシャクまたはトウシャクという名が、分布しているが、是は疑いなく稲積の音読であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また野村はのち明治六年五月二十一日にこの職にいて歿したので、長門ながとの士参事白根多助しらねたすけが一時県務を摂行せっこうした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
豊前ぶぜんの細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門ながとの毛利、阿波あわの蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸あきの福島、紀伊の浅野等をはじめとして
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
試みに元禄時代に開版かいはんしたる『人国記』を見るに、長門ながとの人情風俗を記して曰く
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
戦艦『長門ながと』『陸奥むつ』『日向ひゅうが』『伊勢いせ』『山城やましろ』『扶桑ふそう』『榛名はるな』『金剛こんごう』『霧島きりしま』。『比叡ひえい』も水雷戦隊にかこまれているぞ。『山城』『扶桑』は大改造したので、すっかり形が変っている。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
「そうサ。今頃は、小笠原の辺で砲火を交えている日米の主力艦隊の運命が決っている頃だろうが、きっと陸奥むつ長門ながとは、ウエストバージニアやコロラドを滅茶滅茶めちゃめちゃにやっつけているだろうと思うよ」
空襲下の日本 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「ですが、御牒ごちょうによって、長門ながと厚東こうとうノ入道、周防すおうの大内義弘よしひろ、そのほか大島義政なんども、みな、人数にんずをあげてお出迎えに出ておりますが」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
周防すおう長門ながととの境などに行ってみると他地方で沢と呼び谷というものが皆小野になっている。それから近畿地方、ことに山城の京の周囲にも小野は幾つかある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこで大阪は薩摩さつま、兵庫は長門ながと、堺は土佐の三藩が、朝命によって取り締ることになった。堺へは二月の初に先ず土佐の六番歩兵隊が這入はいり、次いで八番歩兵隊が繰り込んだ。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「どうも、やり損ないました。直義は討死のほかございません。残念ながら兄上はもいちど周防すおう長門ながとの遠くへ落ちて、ご再挙をはかってください」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長門ながとの豊浦郡でつゆ草をハナガラまたはハナダ、豊後でもハナガラまたはアイクサ、信州の下伊那地方でもこれをエノグバナ、またはソメグサとも呼んでいる。
当時の藩主池田越前守茂政いけだゑちぜんのかみもちまさの家老に、伊木若狭いぎわかさと云ふ尊王家があつて、かねて水戸の香川敬三かがはけいざう因幡いなば河田左久馬かはたさくま長門ながと桂小五郎かつらこごらう等を泊らせて置いた位であるので、翌年明治元年正月に
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
石見いわみ長門ながと播磨はりま美作みまさか、備前、備中にまでわたる諸州の武士の名であった。それがみなお味方を誓って来ていた。中には児島高徳らの名もみえた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長門ながとと筑前の盲人の頭目には、二、三の刑戮けいりくに触れた者さえあったが、土地旧来の慣習はどこまでも彼らを援護したのみならず、なお背後には天台本山の、尻押というものが実はあった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
長門ながと海峡に、外国軍艦の砲撃を浴びてからよけい殺伐さつばつになった、この下ノ関では、町人や船頭までが、志士の風俗や言語を真似、今時、為永本ためながぼんの色男か
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相州江の島なども今に橋が不用になるかも知れぬ。長門ながとの萩の笠島などもその例である。湾になって内から大浪が通り越さぬようになれば、そのまた口に今一つの砂嘴ができようとする。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また店は、堺のみでなく、長門ながと赤間あかませきにもあるし、讃岐さぬきの丸亀にも、山陽の飾磨しかまの港にも出店がある。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天保年間にできた周防すおう長門ながとの風土記なども、やはり相応に詳しく各村の字だけは録している。これらを一つ一つ西洋の地名学者が調べたように当って行くことは、日本では実は無理な事であった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
気のせいか、蕭殺しょうさつとして、それが聞えた。長門ながと領の山からひろがった白雲が、ちょうど中天の太陽を時折かすめて、陽がかげると、全島の樹々やしののそよぎが、暗くなった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ヒガンボウズ 長門ながと阿武あぶ
毛利をめぐ衛星えいせいとしては、播州に赤松あかまつ別所べっしょがあり、南部中国には宇喜多うきた、北部の波多野はたの一族などあって、その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも伯耆ほうき隠岐おき因幡いなば
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それによれば、かねて御教書みぎょうしょを発しおかれた周防すおうの守護、大内長弘ながひろ長門ながとの守護、厚東こうとう一族らが兵船五百そうの帆を揃えて、もうつい播磨沖まで、ご加勢に近づきつつあるよしにございまする
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長門ながと周防すおうの兵船五百がここへ着くぞ。大内、厚東こうとうがお味方なるぞ」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、四名のうちの岡田長門ながとが、詫びるように云い出した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)