とつ)” の例文
というよりも宵から彼の心にあった映像がとつとして眼の前でものをいっている驚きに揺り醒まされたといった方がいいかもしれぬ。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今は心もそぞろに足をはやむれば、土蔵のかども間近になりて其処そこをだに無事に過ぎなば、としきりに急がるる折しも、人の影はとつとしてその角よりあらはれつ。宮はめくるめきぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
此前あつさかりに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄つた明日あくるひあさ、三千代は平岡の社へ出掛でかける世話をしてゐながら、とつおつと襟飾えりかざりを持つた儘卒倒した。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
とつ! 薄暮紺色の大気をついて一発炸然さくぜんと鳴りひびいたふところ鉄砲の音であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
前面はおのの入らぬ茂った山で、そのまるい山の肩のところからとつとしておこった二つの尖峰——ここからはその峰が二つに別れて見える——が青空にそびえ立っているさまはえがくがごとく美しい。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
薄黄の傾斜面と緑の平面、平面、平面、鉾杉ほこすぎの層、竹藪、人家思いきり濃く、また淡くかす畳峰じょうほう連山、雨の木曾川はその此方こなたの田や畑や樹林や板屋根の間から、とつとして開けたり離れたりする。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
しんしんと桜花さくらかこめるよるの家とつとしてぴあの鳴りいでにけり
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
室町幕府の抹殺まっさつは、密雲にとざされていた天に、とつとして、青空の肌の一部が、穴のあいたように見えはじめたともいえるものだった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
晩春ばんしゅんの夜、三こく静寂せいじゃくやぶって、とつ! こぶ寺うらに起る剣々相摩けんけんそうまのひびきだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
海蛇かいだのごとき一本の捕縄とりなわが、とつ! あるまじき渦潮の中からおどりだして、をつかんでいる周馬の首へピューッ、水を切って巻きついた。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この孤塁に討死と、覚悟をきめていたところへ、とつとして、信長自身が、出馬して来たことが、意外の余り、兵をして感泣させたのだった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだと思う。ここの一点に美濃の注意をひきつけておいて、他の方角からとつとして渡り越えて来るという作戦もある」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく高氏自身の大酒の酔も、このとき、その極に達していたのだろう。とつとして彼の口から、田楽歌でんがくうたの“弱法師よろぼうし”がよろよろ歌われ出していた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くわしい一騎打ち合戦はここでははぶく。——が、ただ乱軍中とつとして、新田方の第五列が尊氏の中軍に大混乱を呼び起したことだけはのぞきえない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常用の馬の裏皮の粒塗胴つぶぬりどうを着こみ、青黄木綿の筒袖陣羽織に、虎御門の一刀をいて——とつと、実に突如として——
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜叉やしゃのごとく荒れまわった忍剣は、とつとして、いっぽうの捕手とりてをかけくずし、そのわずかなすきに、ふたたびわしくさりをねらって、一念力、戛然かつぜんとうった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あっちの三枚、こっちの五枚、ザラザラひろいあつめていると、とつ! どこからか風をきって飛んできた石礫いしつぶてが、コツンと、燕作えんさくの肩骨にはねかえった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、長い並木も短く思えて興に吾を忘れてくると、とつ、寸善尺魔、闇を切って飛んできた投げ槍の禍い——
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、宴の末席のほうにいた武松ぶしょう李逵りきなどが、とつとして、宋江の歌にたいして、野蛮な憤懣ふんまんをぶちまけた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しんぱつ、また、眼もとまらぬ一げきとつ、すべて見事な肉体のから演舞だった。史進は、声をらして、そののどから臓腑ぞうふを吐かんとするほどに身も疲れてしまった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かねてこのことはあろうと予想されていたが、とつとして、崇徳天皇の御退位と——同時に、皇太子体仁なりひとの受禅が実現され、同月二十七日、即位式も、とり行われた。
そして明日あす、魏の前軍がわれを追撃にかかり、通り過ぎるを見たら、司馬懿の第二軍が続く前に——その間へ——とつとして討って出で、王平は張郃軍のうしろへかかり
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時に、そのすさまじいつるぎのうずへ、とつとして、横合いからことばもかけずに、無反むぞりの大刀をおがみに持って、飛びこんできた人影がある。六部ろくぶ木隠龍太郎こがくれりゅうたろうであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その過去の人となりかけていた滝川一益の名が、とつとして、こういう事実から聞え出した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして崩れ、みだれ、相寄り、相離れ、ときには、坐しているまま、波濤のそこへでも沈んで行くかのようなものにつつまれるかとおもうと、明るいこと、かがやきみつること
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きさきは、その背のきみを、渡りまで見送ってから、戻りにはとつと涙ぐまれてしまった。
身をていして、悪人たちの中へ割り入ろうとしたが、その時、とつとして横あいに傍観していた一人の男が、野中の一本杉の根本からついと彼の前へ寄ってきて両手をひろげ、彼をして
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、末座の方から「このごろ都にはやるもの……」という今様いまようを歌い出す者があった。たちまち、大勢がそれに唱和する。はちをたたき、手拍子てびょうしをそろえ、清盛も歌う、忠盛も歌う。
という呟きは、吉宗がいつか、藪八を前においてもらした腹の底からの嘆息だったが、とつとして、昨日きのうは、その越前守からも、もう一度、吹上において、御拝顔を得たいと、願い出て来た。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、立ちふさがった武家がある。三人だった。ひとりは、藪田助八。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま、とつとして、眼のまえに、思いがけない家臣のすがたを見、その忠胆ちゅうたんからしぼり出るような声をも、あきらかに耳にはしたが、彼はなお茫然ぼうぜんとしていた。容易に信じられなかったのである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
し、われらのみの力で、領土に加えたものだ。家康の力をかりて取得した地ではない。——それを何で、とつとして、北条家へ明け渡せと命ずるのか。徳川家に、どうしてそんな権能けんのうがあるのか
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつ、自斎の怖るべき気当が、あやうく新九郎の総身をふわりとかし立てるように響いた。同時に小野門の大半が居並んでいるこの大道場は、人なき如く、シーンと厳粛な空気に凍ってしまった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると文観は、眠っていた羅漢らかんが、とつと、大欠伸おおあくびでも発するように
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのとき伊吹城の鼓楼ころうの太鼓が、とつと、鳴り響いていたからだろう。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、お味方の馬蹄ばていもとと聞こゆるならば——小牧の堅塁、いかに備えたりといえ、また、家康、いかに武門の大器なりといえ——攻めずして、かれの内より、総崩れをきたすは必定ひつじょうとおもわれる
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄者あにじゃ! ……」と、正季はとつとして何かに胸をつかれたらしく。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平常の取捨は、熟慮のいとまもあるが、生涯の大運は、とつとして来る。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、朝廷から秀吉にたいし、関白の宣下せんげがあった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沈思していた信長が、とつとして左右の者へいったとき
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうとつ。これも、小さい戦法といえようか。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつと、町の辻から、叫ぶ者がある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつ——犬の声だった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、吩咐いいつけた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)