やまひ)” の例文
嘗て茶山に「死なぬやまひ」を報じたやうに、今又起行の期し難きをさとつたであらう。其胸臆を忖度そんたくすれば、真に愍むべきである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
すでにして大夫たいふ鮑氏はうしかうこくぞくこれみ、景公けいこうしんす。景公けいこう穰苴じやうしよ退しりぞく。しよやまひはつしてす。田乞でんきつ田豹でんへうこれつてかうこくうらむ。
劉填りうてんいもうと陽王やうわうなり。陽王やうわうちうせられてのち追慕つゐぼ哀傷あいしやうしてやまひとなる。婦人ふじんこのやまひいにしへよりゆることかたし。とき殷※いんせんゑがく、就中なかんづくひとおもてうつすにちやうず。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
三三ゆゑなき所に永くらじと、三四おのが身ひとつをぬすみて国にかへみちに、此のやまひにかかりて、思ひがけずも師をわづらはしむるは、身にあまりたる御恩めぐみにこそ。
更にまた一夜に百金を散じた昔の榮華を思出してうゑやまひとにをのゝきながら斃れた放蕩息子のらむすこはてもあツたらうし
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
危岸、険崖なくんば可なり、柔櫓じうろ声中、夢を載せて、淀川を下る旅客を学ぶも差支なしといへども、若れ我文明の中にやまひを存し、光れる中に腐敗を蔵するを見ば
翌三年十月、武田信玄は大挙して上洛を志し遠江とほたふみに侵入し、徳川家康を脅かしたが、翌天正元年四月、やまひを得て「明日旗を瀬多せたに立てよ」のうは言も悲しく陣歿した。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
往きはよい/\復りはこはいやまひを獲て、鼻のない顏を生涯、村に晒しつゝ、有り難い記念を留むるものもあるけれど、そんなことは頓着なしに、若い衆たちは指折り數へて
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
美しい女の美と見えたものは、実は心の栄養の全く不充分な、そしてやまひつかれとが産んだ反自然はんしぜん畸形児かたはものであつたのだ。現にここにかうして向合つて居る女がそれだ。俺がそれだ。
瘢痕 (新字旧仮名) / 平出修(著)
くだきて我が妻のやまひ平癒へいゆ成さしめ給へと祈りしかば定まりある命數めいすうにや日増ひましつかおとろへて今は頼み少なき有樣に吉兵衞は妻の枕邊まくらべひざさしよせ彼是かれこれと力をつけ言慰いひなぐさめつゝ何かべよくすり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ここで父の平凡化は別な色合いろあひを以て姿を変へたのであつた。それから『平凡治癒』といふ概念である。これは実地医家は必ず思当おもひあたるに違ひない。やまひは幾ら骨折つても癒えぬときがある。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
宮の悔、宮の恨、宮のなげき、宮のかなしみ、宮のくるしみ、宮のうれひ、宮が心のやまひ、宮が身の不幸、ああつひにこれ宮が一生の惨禍! 彼の思は今たこのあはれむに堪へたる宮が薄命の影を追ひて移るなりき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
憤懣はいまやまひにかはり
春と修羅 第三集 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
「津軽屋如何いかゞ。春来は不快とやら承候。これも死なぬやまひにもや候覧さふらふらむ。何様宜奉願上候。市野翁いかが。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
左門聞きて、かなしき物がたりにこそ。あるじの心安からぬも一三さる事にしあれど、病苦の人はしるべなき旅の空に此のやまひうれひ給ふは、わきて胸窮むねくるしくおはすべし。
不治ふぢやまひたりければ、合戰かつせん
鬼桃太郎 (旧字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
罪はいまやまひにかはり
病中幻想 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
その末期まつごことばに、一四〇当時信長は一四一果報いみじき大将なり。我平生つねかれあなどりて征伐を怠り、一四二此のやまひかかる。我が子孫もやがかれほろぼされんといひしとなり。謙信けんしんは勇将なり。
俊の病は今これをつまびらかにすることが出来ぬが、此冬やまひおこつた初に、俊は自ら起つべからざるを知つて、辞世の詩歌を草し、これを渋江抽斎の妻五百いほしめした。五百は歌を詠じて慰藉した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)