瓦解がかい)” の例文
この泥濘ぬかるみ雪解ゆきげと冬の瓦解がかいの中で、うれしいものは少し延びた柳の枝だ。その枝を通して、夕方には黄ばんだ灰色の南の空を望んだ。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私ももとはこちらに屋敷もって、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解がかいの折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼はけわしい眼を閉じるとボロジンの南昌入によって新たな時局の転廻となるか、恐らくは最期の瓦解がかいとなる二つの道を告げるのであった。
地図に出てくる男女 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
その任あまりに多く、しかも功を急ぐの結果、彼の英身が、かえって蜀の瓦解がかいへ拍車をかけるの形をなしてしまったことである。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
袁世凱はすでに帝号を称して即位、支那革命は瓦解がかいひんしていた。しかも東北革命軍の頼みの綱の武器は門司でおさえられたままである。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
オリウールの峡路を荒した山賊ガスパール・ベスの一隊が瓦解がかいした後、その首領の一人であったクラヴァットという者が山中に逃げ込んだ。
ちょうど何もかも徳川瓦解がかいの後を受けたドサクサの時代で、その頃の政治家という人たちは多くお国侍くにざむらいで、東京へ出て仮りの住居すまいをしておって
数週間雨を得ないでいる田舎いなかのことや、すてきな葡萄ぶどうの出来ばえのことや、その日の夕刊にのってる内閣瓦解がかいのことなどを、平然と話していた。
よ、徳川氏瓦解がかいに際し、旗下きかの士にして、御蔵元おくらもとに負債したる総高、ほとんど一千万円に上りしというにあらずや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この時にあたり徳川政府は伏見ふしみの一敗た戦うの意なく、ひたすらあいうのみにして人心すで瓦解がかいし、その勝算なきはもとより明白なるところなれども
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
徳川家が瓦解がかいになって、明治四五年しごねんの頃大分だいぶ宿屋が出来ましたが、外神田松永町そとかんだまつながちょう佐久間町さくまちょうあの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが
そのうち例の瓦解がかいで、江戸も東京となってしまいましたから、詮議もそれぎりで消えました。運のいい奴ですね
翌千八百六十八年幕府瓦解がかいして江戸は東京となり日本美術は日本の国土と並びて欧洲人の眼前に展開せられき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
事はまだぜんぜん瓦解がかいしてしまったのではないかもしれない、二人の婦人に関しては『十分、十分』回復の見込みさえあると、こんな風に考えたことである。
そのころ、三代将軍家光の死を流布する者があり、しかし幕府瓦解がかいの怖れがあって喪の発表をさしひかえ死をヒタ隠しにしている、というような風聞があった。
安吾史譚:01 天草四郎 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
が、幕府が瓦解がかいし時勢が一変し、順風に帆を揚げたような伊藤の運勢がくだざかに向ったのを看取すると、天性の覇気が脱線してけたはずれた変態生活に横流した。
が、いまのはわたしの子供の時分のとは代を異にしている。もとのそのうちは二十年ほどまえ瓦解がかいした。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
その頃は幕府瓦解がかいの頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人ごけにんが、一時に微禄びろくして生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり
梵雲庵漫録 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
明治維新のことを老人たちは「瓦解がかい」という言葉をもって話合っている。「瓦解」とは、破壊と建設とをかねた、改造までの恐しい途程みちのり言表いいあらわした言葉であろう。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「柳沢の勢力は瓦解がかいした、甲府城も幕府の手に押えられた、夢は終ったんだ、むだな騒ぎはやめろ」
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
池田 要するに、扶持米ふちまいを貰って食わせてもらっておるから、頭をさげる。それだけのことじゃあないか。おれは、こういう世の中の仕組みは、遠からず瓦解がかいするものと思う。
稲生播磨守 (新字新仮名) / 林不忘(著)
何でも徳川様瓦解がかいの時分に、父様おとっさんの方は上野へへえんなすって、お前、お嬢さんが可哀かわいそうにお邸の前へ茣蓙ござを敷いて、蒔絵まきえの重箱だの、お雛様ひなさまだの、錦絵にしきえだのを売ってござった
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
宗右衛門の父祖は北国ほっこくある藩の重職にあつた。が、その藩が一不祥事の為め瓦解がかいふや、草深い武蔵野むさしのの貧農となつて身をくらました。宗右衛門の両親は、その不遇の為めに早世した。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
わたくしはこんな夢を見て暮らしているうちに、ある日わたくしの夫婦生活の平和が瓦解がかいしてしまいました。夫が不実になったと云うことは、田舎の女のためには夫婦の破滅でございます。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
はじめのたらたらのお世辞がその最後の用事の一言でもって瓦解がかいし、いかにもさもしく汚く見えるものである。それゆえ、勇気を出して少しも早くひと思いに用事にとりかかるのであった。
ロマネスク (新字新仮名) / 太宰治(著)
あの混沌こんとんとした建武中興瓦解がかい後の京都では、生活を守るには数寄の生活のほかなかったであろう。かかる人々は政権争奪からのがれて、架空の小宇宙をその精神生活の中に建立するのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
やがて瓦解がかいになった。それはたちまち若い夫婦に決定的な打撃を与えた。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
伯母はくわしく身の上を語ることを避けたがっていたが、その話の筋は、山岡屋は最初、泥棒に入られ、それから番頭に使い込まれ、次に商売が大損で、とうとう瓦解がかいしてしまったということです。
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
……もしそれが実をむすべば、関東のかたちは一変して、幕府は足もとからたちまち瓦解がかいの物音をあわただしく始めるに相違ございませぬ
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はその主唱者とにらまれたのだ。たとえようのないこころもちで、彼は山村氏が代官屋敷の跡に出た。瓦解がかいの跡にはもう新しい草が見られる。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だからばあさんである。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
が、すぐに幕府は瓦解がかいした。株を売った真の徳川御家人の一人は、先見のめいをほこって、小金貸こがねかしでもはじめたであろうが、みじめなのは、ニュー湯川金左衛門邦純であった。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
フランスの旧社会の瓦解がかい、彼の一家の零落、一七九三年の悲惨な光景、恐怖の念を深めて遠くからながむる亡命者らにとっては、おそらくいっそう恐ろしかったろうその光景
瓦解がかいの時はまだお若かったのですから、三十五ぐらいにおなりでしょうか。」
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今や彼は衆を圧し、老練な一番々頭をまで抜いて店の主権をかち得ようとした。その時、突然、主人夫妻は、流行の悪疫で同時に死んで行つてしまつたのである。店は間もなく瓦解がかいした。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ねえ、あなた、現実とか自然とかいうものは実に重要なものですよ。時とすると、それは周到をきわめた計画をも瓦解がかいさしてしまいますからね! ま、ま、老人のいうことをお聞きなさい。
杉浦誠は幕府瓦解がかいの際箱館奉行の職にあった杉浦兵庫頭ひょうごのかみ勝静である。かつて詩を枕山に学んだ。『枕山詩鈔』三編丁卯の集に「梅潭杉浦君箱館ニ赴任スルヲ送ル。」七絶一首が載っている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
末法の世とは仏法が全く力を失う時代をいうのであるから、「末世がきたった」という声は、宗教以上に高い思想を所有しなかった時代の人にとっては、世界の瓦解がかいの響きに似ていたのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
江戸町々の豪商ものもちはいうまでもなく、大名方の贔屓ひいきこうむったほどの名人で、其のこしらえました指物も御維新ごいっしん前までは諸方に伝わって珍重されて居りましたが、瓦解がかいの時二束三文で古道具屋の手に渡って
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
殊に、町人芸術の勃興ぼっこうした徳川期の文化文政以後からその瓦解がかい時代にはいって刹那せつな的享楽気分が迎えられて、よけいに著しい。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瓦解がかいの際、駿府すんぷへ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然はっきり宗助の頭に残っていなかった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それらの人たちはまた、閲歴も同じくはないし、旧幕時代の役の位もちがい、ろくも多かったものとすくなかったものとあるが、大きな瓦解がかいの悲惨に直面したことは似ていた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
父親が歿なくなると、男振りのよいせがれたちはじきに店をつぶしてしまった——もっともそれには御維新の瓦解がかいというものがあったせいもあろうが——二人の忰はありったけの遊びをして
幕府が瓦解がかいの後、久住は無禄移住を願い出て、旧主君にしたがって駿府すんぷ(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって駿府へ移ったが、もとより無禄というのであるから
有喜世新聞の話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『いったい、いったいあの話はほんとうにもうあれきりとり返しのつかぬほど瓦解がかいして、おじゃんになってしまったのだろうか? いったいもう一度やってみるわけにゆかないだろうか?』
執政官制ディクテーター終焉しゅうえん。ヨーロッパの全様式は瓦解がかいした。
万一、お粂にまちがいがあったひには、この一座はみじめな瓦解がかいだし、お粂が助かってこっちが災難をうけたひにはなお取り返しのつかないこと。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
目に見えない瓦解がかいはまだ続いて、失業した士族から、店の戸をおろした町人までが互いに必死の叫びを揚げていた。だれもが何かに取りすがらずにはいられなかったような時だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江戸人は瓦解がかいと一口にいうが、その折悲惨みじめだったのは、重に士族とそれに属した有閑階級で、町人——商人や職人はさほどの打撃はなかった。扶持ふちに離れた士族は目なし鳥だった。
わたくしは文久ぶんきゅう元年酉歳とりどしの生れでございますから、当年は六十五になります。江戸が瓦解がかいになりました明治元年が八つの年で、吉原の切解きりほどきが明治五年の十月、わたくしが十二の冬でございました。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)