永代橋えいたいばし)” の例文
明智の運転する自動車は、芝公園をぬけ、京橋にはいり、永代橋えいたいばしをわたって少し行った、隅田川すみだがわぞいの、さびしい場所でとまりました。
青銅の魔人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ところでその晩、川見廻りの役人に怪しまれて、永代橋えいたいばしの川番所へ、繩に曳かれて行ったのは、お蝶を乗せた苫被とまかぶりの売女舟です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その長さは永代橋えいたいばしの二倍ぐらいあるように思われる。橋は対岸の堤に達して、ここにまた船堀小橋という橋につづき、更にむこうの堤に達している。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたしは、じつ震災しんさいのあと、永代橋えいたいばしわたつたのは、そのがはじめてだつたのである。二人ふたり風恰好亦如件ふうつきまたくだんのごとし……で、運轉手うんてんしゆ前途ゆくてあんじてくれたのに無理むりはない。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
永代橋えいたいばしの上を通りかかりますと夜泣きそばが、屋台をおろしていましたので、立ち寄って一杯ひっかけましたが、そのそば屋と云うのが、十三、四の小僧でございます。
奉行と人相学 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
永代橋えいたいばしと、河口に近づくに従って、川の水は、著しく暖潮の深藍色しんらんしょくを交えながら、騒音と煙塵えんじんとにみちた空気の下に、白くただれた目をぎらぎらとブリキのように反射して
大川の水 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ケイズ釣りというのはそういうのと違いまして、その時分、江戸の前の魚はずっと大川おおかわへ奥深く入りましたものでありまして、永代橋えいたいばし新大橋しんおおはしより上流かみの方でも釣ったものです。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その一方は駿河台するがだいへ延びて神田かんだを焼きさ、伝馬町てんまちょうから小舟町こぶなちょう堀留ほりどめ小網町こあみちょう、またこっちのやつは大川を本所ほんじょに飛んで回向院えこういんあたりから深川ふかがわ永代橋えいたいばしまできれえにいかれちゃった
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
永代橋えいたいばし近くの社に着くと、待構へてゐた主人と、十一月二十日發行の一面の社説についてあれこれ相談した。逞しい鍾馗髯しようきひげを生やした主人は色のせた舊式のフロックを着てゐた。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
永代橋えいたいばしが焼けおちるのと一しょに大川おおかわの中へおちて、あとでたすけ上げられた或婦人なぞは、最初三つになる子どもをつれて、深川の方からのがれて来て、橋の半ば以上のところまで
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
いきたる母にもの云う如く袖を絞って泣き伏して居ますのがやゝ暫くの間で、其のうちう日が暮れかゝりましたから霊岸を出て、深川の木場を廻りふけるをまっ永代橋えいたいばしへ掛りました。
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
囚人を伝馬町てんまちょうの牢からひきだして駕籠に乗せ、南と北の与力と同心がおのおの二人ずつ八人がつきそって御浜おはま永代橋えいたいばし、さもなければ蠣店かきだな新堀しんぼり、そのどこかの河岸まで持って行きますと
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
永代橋えいたいばしから一たるの酒をこぼせば、その中の分子の少なくもある部分はいつかは、世界じゅうの海のいかなる果てまでも届くであろうように、それと同じように、楽器でも言語でも、なんでも
日本楽器の名称 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
永代橋えいたいばし上流かみに女の死骸が流れ着いたとある新聞紙の記事に、お熊が念のために見定めに行くと、顔は腐爛くさってそれぞとは決められないが、着物はまさしく吉里が着て出た物に相違なかッた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
間もなく佐兵衛の死体は永代橋えいたいばしの下流に浮上がったのです。
さるが故に、私は永代橋えいたいばしの鉄橋をばかへつてかの吾妻橋あづまばし両国橋りやうごくばしの如くにみにくいとは思はない。新しい鉄の橋はよくあたらしい河口かこうの風景に一致してゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
いましがた、永代橋えいたいばしわたつたところで、よしとけて、あの、ひとくるまげて織違おりちがふ、さながら繁昌記はんじやうき眞中まんなかへこぼれてて、あまりそのへんのかはりやうに、ぽかんとしてつたときであつた。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
永代橋えいたいばし西河岸にしがしで、橋のたもとから川下流しものほうへ、足数にして十五、六歩ほど歩いた所の川の中だそうで。——あの辺にゃ、くいが多うございますが、その杭よりも外側へ投げこんだと云いましたが』
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
屋敷うちにいた時は気が張って居りますからえいが出ませんが、外へ出ると一よいが発したから、歩くにも足元が定まらんので、小僧が心配を致し、介抱しながら漸く永代橋えいたいばしかついで通った様なもので
既に永代橋えいたいばしを南に越えて、品川湾しながわわんへと流れていた。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
晩春の曇り日に、永代橋えいたいばしを東へ渡った。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
第三図は童児二人紙鳶たこを上げつつ走り行く狭き橋の上より、船のほばしら茅葺かやぶき屋根の間に見ゆる佃島の眺望にして、彼方かなたよこたはる永代橋えいたいばしには人通ひとどおりにぎやかに
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一週に一度永代橋えいたいばしを渡って往復する。
Liber Studiorum (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
吾妻橋あづまばし両国橋りやうごくばし等の眺望は今日こんにちの処あまりに不整頓にして永代橋えいたいばしに於けるが如く感興を一所に集注する事が出来ない。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
江戸時代にさかのぼつてこれを見れば元禄九年に永代橋えいたいばしかゝつて、大渡おほわたしと呼ばれた大川口おほかはぐち渡場わたしば江戸鹿子えどかのこ江戸爵抔えどすゞめなど古書こしよにその跡を残すばかりとなつた。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
永代橋えいたいばしを渡って帰って行くのが堪えられぬほどつらく思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨さいとうりょくうの如くほろびてしまいたいような気がした。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
八月十日の風雨には親船が永代橋えいたいばしに衝突して橋を破壊したと『武江年表』に記載せられている。『枕山詩鈔』には「風雨歎」七言古詩の作が載っている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ゆるやかに西南のかたへと曲っているところから、橋の中ほどに佇立たたずむと、南のかたには永代橋えいたいばし、北の方には新大橋しんおおはしよこたわっている川筋の眺望が、一目に見渡される。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸時代にさかのぼってこれを見れば元禄九年に永代橋えいたいばしかかって、大渡おおわたしと呼ばれた大川口おおかわぐち渡場わたしばは『江戸鹿子えどかのこ』や『江戸爵えどすずめ』などの古書にその跡を残すばかりとなった。
人力車じんりきしゃ賃銭ちんせんの高いばかりか何年間とも知れず永代橋えいたいばし橋普請はしぶしんで、近所の往来は竹矢来たけやらいせばめられ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、れも彼れも
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたくしはことごとくこれを永代橋えいたいばしの上から水に投じたので、今記憶に残っているものは一つもない。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのもあらず一同を載せた屋根船は殊更に流れの強い河口のうしおに送られて、夕靄ゆうもやうちよこたわ永代橋えいたいばしくぐるが早いか、三股みつまた高尾稲荷たかおいなりの鳥居を彼方かなたに見捨て、暁方あかつきがたの雲の帯なくかなかずの時鳥ほととぎす
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)