ひる)” の例文
再拝、慇懃いんぎん、態度は礼をきわめているが、玄徳のまなこには、相手へつめ寄るような情熱と、吐いてひるまない信念の語気とをもっていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
並んで坐ると、それがちょうど膝になろうというんだから、おおいひるんだ。どうやら気のせいか、むくむく動きそうに見えるじゃないか。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひるみ掛けて又思い直した様子で、一層眼に力を込めて再び秀子の顔を見詰めた、此の時の彼の目は実に鋭い、非常な熱心が籠って居る
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
しかるに前述せし通りヨブは信仰において知識において遥かに三友を凌駕りょうがせる故、ゾパルの振廻ふりまわす天然知識くらいにてひるむべきはずがない。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
容易ならない私の剣幕にナオミはいささかひるんだ形で、今更後悔したように殊勝らしくうなじを垂れ、小さくなってしまうのでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
新八の皮肉や嘲笑をも避けようとはせず、面上にすすんで唾を受けようとする態度が、新八をしぜんとひるませたようであった。
星をさされて、兼輔はいよいよひるんだが、叔父にいやな顔をされるのはもとより覚悟の上であるので、彼はかくさず答えた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
人間の死に對してもあまりひるまず、佛教などで鍛へ上げられた、透徹した觀念を既に持つた人の目であつたにちがひない。
黒髪山 (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
立臼の一撃で、折助どもも少しひるんだが、直ぐに盛り返して梯子や小屋掛の丸太を足場にして、続々と登りはじめました。
と云われて長二が少しひるむを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸のあたりを右の手で力にまかせ突倒して
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その中でも特別あつらえの奴と見えて、相手は二人と見てもひるまなかった。因縁を附けてイタブリにかかる気配であった。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
鬼が出るか蛇が出るか分らないそのノートを、受け取りながら、一糸みだれたところも、ひるんだところも見せなかつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
けれどもみづから其場に臨んで見ると、ひるむ気は少しもなかつた。ひるんで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
大急ぎでたたきつけるような人々をはばかって、擲きつけられるのをこわがって、私の道を曲げ、ひるんではいられません。
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そのことか或は私の顏付が、彼をひるますと知るや、私は勝に乘じてその上に、彼をやりこめようとした。しかし、彼は、もうとつくに母親のところにゐた。
しょうが過ぎかた蹉跌さてつの上の蹉跌なりき。されど妾は常にたたかえり、蹉跌のためにかつて一度ひとたびひるみし事なし。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
また自分のたましいが自由になったにかかわらず、自分の心の働き、すなわち意思や感情や理性がまだまだ泥にまみれているという現実の状態にもひるまない。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
もう一人の支那人、——鴉片あへんの中毒にかかっているらしい、鉛色の皮膚ひふをした男は、少しもひるまずに返答した。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
とそう言われると青年はにわかにひるんで、すみませんと言ったきり、首をれてしまった。そしてその瞬間、男性的なマスタアへのハルミの信頼が強められた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
が、実際は額に汗をかくどころでは無い、鶏肌立つくらい寒かったので、諸士軍卒もいささひるんだろう。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ひるんで一同たじたじと引き下がったのにいらってか、十郎次が剃り立て頭に血脈を逆立てながら代って襲いかかろうとしたのを、一瞬早く退屈男の鋭い命が下りました。
決してひるみは見せぬ雪之丞も、思いがけないところから現れた、根性のひねくれた、浅間しい望みに狂った、つまらない踏みはずしの女を敵にして、今や途方に暮れざるを得なかった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
しかも国民的自覚の大意力はつて百錬の氷鉄ひようてつの如く、発して焦天の大火焔の如く、旗裂けてひるまず、馬倒れて屈せず、剣折れてたゆまず、砲弾と共に躍進して遂に随所に凱歌を奏し得たり。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
おだてられて、にんじんはり返った。そういわれて、できなければ恥だ。彼はひるむ心と闘う。最後に、元気をつけるために、母親は、痛いめにわすといい出した。そこで、とうとう——
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
殊に足のすべり方が烈しかったが、それでも思いの外に、ひるまずに登りついた。
雪中富士登山記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
ところが法王は少しもひるむ気色なく、いつでも我が国では英国と合戦をやるというような意気込いきごみで、誠に愉々快々ゆゆかいかいとして豪傑ごうけつの本色を表わして居ったというて、感心して居った人がありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
キリキリキリキリと車が軋り、尼はひるまず叫びつづける。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と女史はひるむ気色もせず云い放った。
三人の双生児 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すこしもひるまず
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
しかしなお崖の肌にペタとくッついたままひるまない敵もある。それをも余さないためには、次に巨大な材木を横ざまにころがして落す。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯此一点が藻西の無罪を指示す最も明かなる証拠にして又最も強き箇条なれば是には目科の細君も必ずひるみて閉口するならんと思いしに
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
御用だ。と大喝一声、ひるむ処を附け入って、こぶしいなずま手錬のあてに、八蔵は急所をたれ、蹈反ふんぞりて、大地はどうと響きけり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
忌々いまいましいとは思うけれど、ばばあの云うことはたしか真実ほんとうである。市郎も少しくひるんだが、ここで弱味を見せては落着おさまりが付かない。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼女ガドコカデ彼ト逢ッテ来タヿガ明ラカデアル時ニモ、ソノ夜夫カラいどマレテひるム色ヲ見セタヿハ一度モナイ、バカリカ挑ンデ来ルノデアル。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
新八はいま、ひるまない眼つきで、甲斐を見て云った、「これでさっぱりしました、どうか目付役へ引渡して下さい、どんな罰でもよろこんで受けます」
代助は今道徳界に於て、これ等の登攀者とうはんしゃと同一な地位に立っていると云う事を知った。けれども自らその場に臨んでみると、ひるむ気は少しもなかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
二十人を越す大勢に対して、すこしもひるむところなく、まさかりをもって立ち向った俊寛の勇ましい姿は、少女の俊寛に対する愛情を増すのに、十分であった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
仙「己はもう喧嘩は止めだ、若い時分はもう少し強かったが、年をるとひるむから、うっかり喧嘩は出来ねえ」
ですから、どんな難儀にっても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩もひるまずに進んで参りました。これは勿論私一人の、くする所ではございません。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
小野田のひるんだところを見て、外へ飛出したお島は、何処どこへ往くという目当もなしに、幾箇いくつもの町を突切って、不思議に勢いづいた機械のような足で、ぶらぶら海岸の方へと歩いて行った。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「然り! 士道八則にも定むるところじゃ。斬るべしと知らばひるまずしてこれを斬り、斬るべからずと知らば忍んでこれを斬らず、即ち武道第一のほまれなりとな。これもやはり御意に召さぬかな」
ああ言えばこう言う、少しもひるまぬ少年。
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
位置を変えて、弟が逆に兄へ食ッてかかるときの盲目的な顔を見ては、その暴言の底のものに、尊氏もはっとひるまずにいられなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでも犬はなかなかひるまないらしく、一、二間さがったままでまだ執念ぶかく吠えつづけているので、千枝太郎もじれた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一旦男が承知した事だからひるみも成らず、立って行って壁に掛けた着物を取り、言葉の通りに其の裏から衣嚢を握って引きむしり、爾して夫人の傍へ持って行くと
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
惚れた芸者の工面の可いのは、客たるもの、無心を言われるよりなおひるむ、……ここでまた怯まされた。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と聞いて囚人めしゅうどは顔と顔とを見合せて、少しくひるみました様子でございます。先に立ちたる二三の者は
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
川島は真顔まがおにたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しもひるまずに云い返した。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
鋼鉄のごとき心とうのは、恐らく今の場合の夫人の心を云うのだろう。鬼が出るか蛇が出るか分らないそのノートを、受け取りながら、一糸みだれたところも、ひるんだところも見せなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わたしのゆく道は改めて云うまでもあるまい、おまえも秀之進の妻であるからには、良人おっとのゆく道を怖れはしない筈だ、いいか、なにごとがあっても怖れたりひるんだりしてはならんぞ……あとを
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)