うめ)” の例文
「違う。……違う」うめくように、彼はくりかえした。彼は、今日のあの女を、十二時間も同じ場所にいたあの娘のことを思っていた。
待っている女 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
言葉も叫びもうめきもなく、表情もなかった。伊沢の存在すらも意識してはいなかった。人間ならばかほどの孤独が有り得る筈はない。
白痴 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
と、うめきながら、枕元で途方に暮れている、吾が子をぎょろりと睨むように見詰めると、枯木のようにせ細った手で、引き寄せて
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
アイーが歓喜だ! それが語尾で ch-inチイン と変化する儂の言ったとおりだ! 最後に、グロルール、グロルールとうめいている。
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
と蚊のうめくようなる声して、ぶつぶついうその音調は、一たび口を出でて、唇を垂れおおえる鼻にってやがて他の耳にきたるならずや。
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小間使のまさがとんで来たとき、おしのは両手で胸をきむしり、けもののような声でうめきながら、夜具の中で身もだえをしていた。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
秀吉が、茂山から方向を転じ、狐塚方面へ進軍してくると、途々みちみち、乱軍のあと、無数の手負いが、炎熱の地上にうめいているのを見た。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その度毎に仙吉の苦しさうなうめごゑがきかれた。池の水は多くの波紋を作つて揺れた。若者たちが去ると仙吉は柿の木の下に来た。
反逆の呂律 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
「お、お、おれは」と其の時まで独り黙っていた松山が苦しそうにうめいた。「おれは頭が痛い。眩暈めまいがする。少し休みたい、ウウ」
麻雀殺人事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
久左衛門の門口や裏口は、こんな主婦たちに攻められ通しだが、今はもう誇張ではない、雨の中のうめきになった「もう死ぬ。」だ。
そんなことをうめきながら、迂路うろつきまわっているうち、源吉の頭の中には、何時の間にか、恐ろしい計画が、着々と組立られていた。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「うむ」と長谷川氏はうめくやうに言つて額を撫でた。「無い事はない。種子田たねだといつて、若い秀才がゐる、それから鈴木といつて……」
また、ギンがしゃべっているとき、金五郎が身うごきしてうめいた。それは無意識に発した苦痛の声であったろうが、マンの耳には
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
二人は帽子をしっかりおさえたまま、強いしめっぽい風に頭を下げた。風は樹々の葉をふるった枝のなかで、きしんだりうめいたりしている。
あの石の飛び込んだ音の後から聞いたといううめき声は、死人のものなどではないことになる……これアだいぶん事情が違ってきた
灯台鬼 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
やがて、受話器から、なんともいえぬ悲痛なうめき声が耳をつんざくように響いてきた。一郎の声だ。あの美青年の声に違いない。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
クリストフはうめき声をたてた。オリヴィエはびっくりして駆けてきた。クリストフは口がきけなくて、テーブルの上の手紙をさし示した。
彼をかつせしいかりに任せて、なかば起したりしたいを投倒せば、腰部ようぶ創所きずしよを強くてて、得堪えたへずうめき苦むを、不意なりければ満枝はことまどひて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
例の気象で、伯父はそれを、目をつぶってじっとこらえようとするのである。時として、こらえに堪えた気力の隙から、かすかなうめきが洩れる。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
白髪の油に埃がつき、それが蒲団に覗いて乱れ、寝てゐるかと思へば、不意に啜り泣きのやうな迫つたうめき声を立てたりした。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
かく神を怨みてやまざるは、神を忘れ得ずまた神に背き得ざる魂のうめきであって、やがて光明境に到るべき産みのくるしみである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
血に染ってのたうっていた父親のうめきがかなしみになって切なく胸もとにこみあげるのだ。だらだらとなま温く涙が流れて来た。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
母の、恐ろしいうなり声が美奈子の魂をおののかしたが、母のうめき声を聴いた途端に、悪夢はれた。が、不思議に呻き声のみは、なお続いていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
やたらにのどがかわいて、まくらもとのコップに少し残っていた砂糖水を飲もうとしたら、同室のおじいさんの患者が、みず、みず、とうめいている。
苦悩の年鑑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「わたし、夢現ゆめうつつに女のうめき声を聞いて目を覚ますと、お店をだれか駆けていく足音を聞いたんですよ。泥棒が入ったんじゃあないでしょうか」
宝石の序曲 (新字新仮名) / 松本泰(著)
「おお、」と母親ははおやうめいた。「わたしは千じょうもあるそこへでもはいっていたい。あれをかされちゃア、とてもたまらない。」
幾度か測候所などの立つてゐる丘の下を疾駆する車内のクッションから尻を浮かせて「あゝゝ」とわめきうめいたのであつた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
つまりナオミは天地の間に充満して、私を取り巻き、私を苦しめ、私のうめきを聞きながら、それを笑って眺めている悪霊あくりょうのようなものでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と同時に、二人の顔にさっと驚愕の色がひらめいた。検事はウーンとうめき声を発して、思わずくわえていたたばこを取り落してしまった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そして時どき苦しそうな声を出してうめいた。隣室に寝ていた住持も其の声を聞きつけて起きて来た。二人の介抱で玉音の苦しみはすぐ治まった。
法華僧の怪異 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
すると行く手から、一人の男がやって参りましたが、お台所ちかくまで参りますと、にわかにうめき声をあげて、地へ倒れたではございませんか。
怪しの者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私は歔欷むせびないている自分の哀れな心の中に痛い傷痕をかんじて、我知らず手足を折られでもした者のようにうめき声を放った。
ただそのどよみは前のような、勢いのい声援の叫びではなく、思わず彼等の口をれた驚歎のうめきにほかならなかった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
労働服をつけたひとりの男は、腹に銃剣の一撃を受けて、その窓から投げ出され、地上に横たわって最後のうめきを発した。
短銃ピストルの台尻で彼に一撃を喰わせ、次いで支配人に迫ったが、倒れた筈の岩見がうめき声を挙げたので、遂に曲者は目的を果さずに逃げたのであった。
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
黙ってきいていた母の顔は土色になってむしろ何かにおびえているようだった。そしてただ最後に、「まあ可哀相に……」とうめいたばかりであった。
苦しげなうめごえから喚び起されて妻が語った夢は、彼には途轍とてつもなく美しいもののようにおもえた。その夢の極致が今むこうの空に現れている……。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ぐぐぐぐと云ううめきの聞えた当初から、その時の七人の位置、ゲーム中の黒子の男の言葉、態度、面識、感じ、そんなものまでが細々と訊ねられた。
撞球室の七人 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
フィロクテテスの深い不幸な魂のうめきは、私の心につよく響き、そしてなぐさめに近い同悲の情を呼び起こしました。ヨブなどの運命を思いました。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
結果は彼が最初に敵の腕に与えた痛撃と同様、ウムと苦痛にうめく刹那の隙を得たりとばかりドーブレクの喉と頸に両手をかけてぎゅっと絞め上げた。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
えぐられている——それは胸か、腹か、はらわたか知らないが、両刃もろはの剣をもって抉られた瞬間でなければ出ない声だと思われる、大地を動かすうめきでした。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼は海綿を取ると、それを浸してその死人のやうな顏をしめし、私の香ひ瓶をとつて鼻孔びこうに持つて行つた。メイスン氏は間もなく眼を開けてうめいた。
この恐ろしい角度の違いは、低くごろごろいうような、またはうめくような音とともに急速に増した。またたくまに部屋はその形をかえて菱形となった。
落穴と振子 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
見ていけないものを見たような気持で、思わず目を外らしたとき、うめくような小さな声で、吉良兵曹長の声がした。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
それから一寸経てから、こわごわ頭を出して様子をきいて居ますと、又々人のうめくような声がきこえて来ました。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
お前達の母上からは私の無沙汰を責めて来た。私はついに倒れた。病児と枕を並べて、今まで経験した事のない高熱の為めにうめき苦しまねばならなかった。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼女はおよそ何時間ぐらいその床の上にうめき続けたかもよく覚えなかった。唯、しょんぼりと電燈のかげに坐っているような弟の顔が彼女の眼に映った。
ある女の生涯 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それと同時に、私達は、花子の絶望的なうめきが彼女の唇から洩れるのを聞いた。すると、闖入者の顔には、記憶から記憶を一瞬に過ぎる深刻な影が走った。
バルザックの寝巻姿 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
ここには人生の荊棘けいきょくに血を流しうめく声のかわりに、ハックルベリーのの饗宴に充ち足り、想いをガンジスの悠久な流れにはせる、自信にみちた独白がある。
ここには人生の荊棘けいきょくに血を流しうめく声のかわりに、ハックルベリーのの饗宴に充ち足り、想いをガンジスの悠久な流れにはせる、自信にみちた独白がある。