知合しりあひ)” の例文
沈黙家むつつりやではあつたが、世間並に母親おふくろが一人あつた。この母親おふくろがある時芝居へくと、隣桟敷となりさじきかね知合しりあひなにがしといふ女が来合せてゐた。
改札口の所には平井夫婦、外山とやま文学士などと云ふ鏡子の知合しりあひが来て居た、靜の弟子で株式取引所の書記をして居る大塚も来て居た。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
勘次かんじころからおしなのいふなりにるのであつた。二人ふたりとほくはけないので、隣村となりむら知合しりあひとうじた。兩方りやうはう姻戚みよりさわした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ロミオ 御坊ごばうか、消息たよりなんとぢゃ? 殿との宣告いひわたしなんとあったぞ? まだらぬ何樣どのやう不幸ふしあはせが、わし知合しりあひにならうといふのぢゃ?
そしてニズニイまでの道のりの半分まで来ますと、リアザンの町から来た、或知合しりあひの商人に出あひました。
ざんげ (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
夫婦は三越の松居松葉しようえふさんのさんの旧い知合しりあひで、自分達も松葉しようえふさんの紹介で面会を求めて置いたのであつた。客室には広重や其他そのた日本の版画が飾られてあつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ふのが情婦いろで、「一所いつしよにキヤツとつて、跣足はだし露地ろぢくらがりを飛出とびだしました。それつきり音信いんしんわかりませんから。」あわててかへつた。——知合しりあひたれとかする。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
三四郎は原口と云ふ名前を聞いた時から、大方おほかたあの画工ゑかきだらうと思つてゐた。それにしても与次郎は交際家だ。大抵な先輩とはみんな知合しりあひになつてゐるからえらいと感心してかたくなつた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
武士は家もなかつたし、京都には知合しりあひもなかつた。売つてお金になるのは刀だけであつた。が、仇敵を討つための道具をどうして手離すことが出来よう。武士はどうしたものかと途方にくれた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
あのお子は昔からのお知合しりあひといふ主張をなすつていゝのですし、それから今迄の習慣として權利を持つてゐらつしやいます。あなたがいつも玩具おもちやを下さるのがならはしだつたと仰しやいますもの。
ことながあひだ野田のだ身上しんしやうつて近所きんじよくら親方おやかたをしてるのが郷里きやうりちかくからたので自然しぜん知合しりあひであつたが、それが卯平うへい引退いんたいすゝめた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
その真野博士が去年の夏、樺太かばふとへ往つた事があつた。知合しりあひの男に二頭立の馬車を周旋して呉れるものがあつたので、博士は大喜びでその馬車に乗つた。
一驚いつきやうきつしたわたしつくゑまへでハタとかほはせたのは、知合しりあひのそのをとこで……眞青まつさをつてる。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
其頃岡崎から程近ほどちか黒谷くろたに寺中ぢちう一室ひとまを借りて自炊じすゐし、此処こヽから六条の本山ほんざんかよつて役僧やくそう首席しゆせきを勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知合しりあひであつたし、う云ふ碩学せきがく本山ほんざんでもはばいた和上わじやう
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
『シエーキスピア物語』で日本人にもよく知られてゐるチヤールス・ラムが、ある時多くの知合しりあひと一緒に誰かの晩餐にばれた事があつた。皆が食卓につくと、主人役は
うちからの出が非常に遲かツたものだから、そこ/\に用は足したが、知合しりあひの店先で
月見の夕 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ところで、その、お差支さしつかへのなさをうらがきするため、かね知合しりあひではあるし、綴蓋とぢぶた喜多きた家内かないが、をりからきれめの鰹節かつをぶしにんべん買出かひだしにくついでに、そのねえさんのうち立寄たちよつて、同行三人どうかうさんにん日取ひどりをきめた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
京都の西川一草亭氏は、相馬御風氏の論文を見て、こんなに始終しよつちゆう人生の事ばかり考へて居ては、さぞ肩が凝つて溜るまいと、自分の実弟おとうとかねて相馬氏と知合しりあひの津田青楓に訊いてみた。
雨宿あめやどりに駈込かけこんだ知合しりあひをとこ一人ひとりと、内中うちぢうみせすくまつた。
霰ふる (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)