“饗”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
きょう35.2%
14.8%
もてな14.8%
きやう7.4%
ふるま5.6%
3.7%
3.7%
あえ1.9%
あるじ1.9%
さかもり1.9%
さん1.9%
にえ1.9%
にへ1.9%
もて1.9%
もてなし1.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そして、座頭以上、勾当こうとう、別当、検校けんぎょうなどの六、七十名だけが残って、しばらくは等持院の内で、茶と点心てんしんきょうをうけていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国ヶ岩君が香をかぎつけて『一杯んで呉れ』と入つて来た。『これぢや食へんからのう』と差出す賄の上には塩鮭が一切れ佗しく戴つてあつた。
相撲の稽古 (新字旧仮名) / 岡本一平(著)
神武天皇御東征の時に、大和の土人弟猾おとうかしは生酒を以て皇軍をもてなしたと「日本書紀」にある。牛肉を肴として酒を飲んだものであろう。
牛捨場馬捨場 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
その間に僕等に茶をきやうすることを命じたり、ぼんたんを持つて来て食はせることを命じたり、いろいろ細かいところに気が付いてゐた。
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
それを喰い終りますと米飯にバタに砂糖と乾葡萄と小さき柿とを混ぜた物をふるまい、夕飯あるいは終宴の時分には卵饂飩たまごうどんあるいはシナ料理を御馳走する者もある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
次年元治紀元甲子四月五日に異母兄徴が歿し、ついで慶応紀元乙丑八月に母も亦歿した。徴は年をくること僅に三十八であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此等眷属を引き連れて来て、田植ゑのすむまで居て、さなぶりをけて還る。此群行の神は皆簑を着て、笠に顔を隠してゐた。謂はゞ昔考へたおにの姿なのである。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
天平宝字三年春正月一日、因幡いなば国庁に於て、国司の大伴家持が国府の属僚郡司等にあえした時の歌で、家持は二年六月に因幡守に任ぜられた。「新しき」はアラタシキである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
八二老衲らうなふもしこの鬼を八三教化けうげして本源もとの心にかへらしめなば、こよひのあるじむくひともなりなんかしと、たふときこころざしをおこし給ふ。
ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御屋形おやかたさかもりへ御出になった帰りに、にわかに血を吐いて御歿おなくなりになってしまいました。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ある記事には、隠者の窟に年老いた隠者が繩の帯をしめて、旅客に食をさんし、酒を飲ませるところなどが書いてある。
ヴエスヴイオ山 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
鳰鳥(かいつぶり)は水にかずくので、葛飾かずしかのかずへの枕詞とした。葛飾は今の葛飾かつしか区一帯。「にえ」は神に新穀を供え祭ること、即ち新嘗にいなめの祭をいう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
鳰鳥にほどり葛飾かづしか早稲わせにへすともかなしきをてめやも 〔巻十四・三三八六〕 東歌
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
主人は茶事を好んで、あの金襴きんらんの袋から井戸いどの茶碗を取り出す。だが私をもてなす番茶器はあのコバルトの湯呑ゆのみである。そうしてあのヌーボー式の絵を染附けた色絵の菓子器である。私は洋館に通る。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
わが心はかの諸〻のもてなしのためにひろがりて己を離れ、そのいかになりしやを自ら思ひ出で難し 四三—四五
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)