狂歌きやうか)” の例文
かくの如く遊されて本門寺ほんもんじへ渡し是を御門へ張置はりおくべしと仰渡おほせわたされけりよつて右の狂歌きやうか張置はりおきければ是にはぢかさねてさやうないたづらをばせざりしとかや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これまへにもまうしましたとほり、狂歌師きやうかしつて狂歌きやうかひらきをいたす時、なにかおたがひ可笑をかしい話でもして、ワツと笑ふはうからうとふので、二三くわいやつて見るととん面白おもしろいから
落語の濫觴 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
そこの雑誌とふのは、半紙はんし両截ふたつぎり廿枚にぢうまい卅枚さんぢうまい綴合とぢあはせて、これ我楽多文庫がらくたぶんこなづけ、右の社員中から和歌わか狂歌きやうか発句ほつく端唄はうた漢詩かんし狂詩きやうし漢文かんぶん国文こくぶん俳文はいぶん戯文げぶん新躰詩しんたいし
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
この菊塢きくう狂歌きやうかしゆ発句ほつくあり、(手紙と其書そのしよ移転ひつこしまぎれにさがしても知れぬは残念ざんねんにもかくにも一個いつこ豪傑がうけつ山師やましなにやらゑし隅田川すみだがは」と白猿はくゑんが、芭蕉ばせうの句をもじりて笑ひしは
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
奪取うばひとられ彌々難澁なんじふせまり又々大坂へ立越たちこえしが左右とかく困窮こんきうに困窮をかさね終に通仙は病死し跡には母と娘のみ益々ます/\貧窮ひんきうに迫りしが當頃そのころ鯛屋大和たひややまと云者いふもの狂歌きやうかに名高く俳名はいみやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
馬鹿ばかな事をふな、手前てめえ江戸えどぢやアねえぞ、十一のときしう西尾にしをざいから親父おやぢが手を引いてうちれてて、何卒どうぞ置いてくれとたのまれる時、おれねづみ半切はんぎれ狂歌きやうかを書いてつたツけ
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
狂言きやうげんのあらましを面白おもしろさうに話して、だん/\取入とりいり、俳優やくしや表方おもてかたの気にも入り、見やう聞真似きゝまね発句ほつく狂歌きやうかなど口早くちはや即興そくきようにものするに、茶屋ちやや若者わかいものにはめづらしいやつと、五代目白猿はくゑん贔屓ひいきにされ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
向島むかうじま武蔵屋むさしや落語らくごくわい権三ごんざますと、四方よも大人うしふでにみしらせ、おのれ焉馬えんば判者はんじやになれよと、狂歌きやうかの友どち一ぴやく余人よにん戯作げさくの口を開けば、遠からん者は長崎ながさきから強飯こはめしはなし、近くば
落語の濫觴 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
わきまへずして大膽だいたんの者ども不屆千萬ふとゞきせんばん言語同斷ごんごどうだんの致し方なり然しながら御門の事なれば其方ともにも嚴敷きびしく取計も成難なりがたかくせよとて大岡殿白紙はくしへ一首の狂歌きやうかをなされ是を御門へはるべしとなり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いかなる奇功きこうたてたるやはかりがたし、こと此地このちに一名園めいゑんくはへたるは私利しりのみなりといふべからず、さて菊塢きくう老年らうねんには学問も少しは心がけしと見え、狂歌きやうか俳句はいくのみ手づゝにはあらず
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
落語らくご濫觴らんしやうは、昔時むかし狂歌師きやうかし狂歌きやうかひらきときに、たがひに手をつかねてツクネンと考込かんがへこんでつてはくつします、そこ其合間そのあひまに世の中の雑談ざつだんたがひに語りうて、一うつつたのが濫觴はじまりでござります。
落語の濫觴 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)