“樣(よう)” の例文
新字:様
火山地方(かざんちほう)の地下熱(ちかねつ)の利用(りよう)などもあることだから、使(つか)ひ樣(よう)によつては人生(じんせい)に利益(りえき)を與(あた)へる時代(じだい)もやがて到着(とうちやく)するであらう。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
夫(そ)れが爲(た)めに大邊(たいへん)危險(きけん)が有(あ)るとの事(こと)ですが、私(わたくし)が田舍(いなか)に居(お)りまする時分(じぶん)、之(これ)れに就(つい)て實見(じつけん)した事(こと)が有(あ)りますから、夫(そ)れをば申(まう)し上(あ)げ樣(よう)と存(ぞん)じます、夫(そ)れは二歳(さい)斗(ばか)りの子供(こども)が
何(なん)の事(こと)アねへ態々(わざ/\)心配(しんぱい)して見(み)たさに飮(の)む樣(よう)なもんで一盃(いつぱい)が一盃(いつぱい)と重(かさ)なれば心配(しんぱい)も重(かさ)なつて來(く)る
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
右(みぎ)の樣(よう)な次第(しだい)であるから、著者(ちよしや)の結論(けつろん)としては、地割(ぢわ)れに吸込(すひこ)まれるような現象(げんしよう)は、わが國(くに)にては絶對(ぜつたい)に起(おこ)らないといふことに歸着(きちやく)するのである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
唯(たゞ)僕(ぼく)が心配(しんぱい)でならぬは家内(かない)の眼(め)——眼(め)だ。殊(こと)に頬(ほう)が紅(べに)を點(さ)した樣(よう)になつて呼吸(こきう)が忙(せわ)しくなる。僕(ぼく)之(これ)を見(み)るのが實(じつ)に辛(つら)い。先生(せんせい)は家内(かない)と同(おな)じ疾(やまい)のものが挑動(いらだ)つ時(とき)の呼吸(こきう)を聞(きい)た事(こと)があるかネ。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
其時(そのとき)集(あつま)ツて居(お)ツた、一同(どう)の者(もの)の喜(よろこ)びは何(ど)の位(くらい)で有(あ)りましたか、商家抔(せうかなど)では多(おう)く錢(おわし)を取扱(とりあつ)かつて居(お)るから、醫者(いしや)を呼(よ)ぶも間(ま)に合(あ)はぬと云(い)ふ樣(よう)な時(とき)は、實驗上(じつけんぜう)隨分(ずいぶん)用(もち)ひて宜敷(よろし)き法(ほう)の樣(よう)に存(ぞん)じます。
但(たゞ)し地震(ぢしん)の起(おこ)り樣(よう)、即(すなは)ち地震(ぢしん)はいかなる場所(ばしよ)に於(おい)てどんな作用(さよう)で起(おこ)るかの大體(だいたい)の觀念(かんねん)を得(う)るため、地球(ちきゆう)の表面(ひようめん)に近(ちか)き部分(ぶぶん)の構造(こうぞう)を述(の)べさして貰(もら)ひたい。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
かような根本(こんぽん)の相違(そうい)がある上(うへ)に、器械(きかい)は大抵(たいてい)地面(ぢめん)其物(そのもの)の震動(しんどう)を觀測(かんそく)する樣(よう)になつてゐるのに、體驗(たいけん)を以(もつ)て測(はか)つてゐるのは家屋(かおく)の振動(しんどう)であることが多(おほ)い、もし其家屋(そのかおく)が丈夫(じようぶ)な木造(もくぞう)平家(ひらや)であるならば
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)