-
トップ
>
-
望生
>
-
ぼうせい
三十七
年九
月十四
日、
幻翁望生の
二人と
共に
余は
馬籠に
行き、
茶店に
荷物や
着物を
預けて
置き、
息子を
人夫に
頼んで、
遺跡に
向つた。
右端を
玄子。それから
余。それから
幻翁。それから
左端を
望生。これで
緩斜面を
掘りつゝ
押登らうといふ
陣立。
いくら
立つても
望生が
戻つて
來ぬ。これに
心配しながら
二人で
行つて
見ると、
大變だ。
殺氣立つて
居る。
望生も
不快の
顏をしながら、
之見ろとばかり、
布呂敷包を
解くと、
打石斧が二百七十六
本※
並んで
掘つて
居る
望生の
膝頭が
泥に
埋つて
居るのを、
狹衣子が
完全な
土器と
間違へて
掘出さうとすると、ピヨイと
望生が
起上つたので、
土器に
羽根が
生えたかと
驚いたのも
其頃。
已むを
得ず、一
時、
松林の
方に
退却したが、
如何も
掘りたくて
耐えられぬ。それで
余と
玄子とは
松林に
待ち、
望生一
人を
遣つて『いくらか
出すから、
掘らして
呉れ』と
申込ましたのである。
余と
望生とは
徒歩である。
幻花佛骨二
子は
自轉車である。
自轉車の二
子よりも、
徒歩の
余等の
方が
先きへ
雪ヶ
谷へ
着いたなどは
滑稽である。
如何に二
子がよたくり
廻つたかを
想像するに
足る。
蠻勇に
於ては
余よりも
豪い
望生も、
少からずヘキエキして
見えた。
人相の
惡い
余と
望生。それが
浴衣がけに
草鞋脚半、
鎌や
萬鍬を
手に
持つて
居る。
東京だと
云つたり、
又品川だとも
答へる。
怪しむのは
道理だ。それが
又石を
掘るといふのだから、一
層巡査は
怪しんで。