常磐津ときわず)” の例文
そのほかに直接間接に劇の趣味を涵養かんようしてくれたのは、かの定さんの借りている女髪結の家の娘が常磐津ときわずを習っていることであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こちとらにしたッて姐御と相良金吾の道行みちゆきを、常磐津ときわずのきれい事か何かのように、指をくわえて拝見しているわけにもまいりません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俳諧師はいかいし松風庵蘿月しょうふうあんらげつ今戸いまど常磐津ときわず師匠ししょうをしているじつの妹をば今年は盂蘭盆うらぼんにもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
仕立やの店は、その実女房おかみさんのお稽古所だったのだ。常磐津ときわずのおしょさんだった文字春もじはるさんの家が仕立や井坂さんになったのだ。
常磐津ときわずの名取りで、許しの書きつけや何かを、みんなで芸者たちの腕の批評をしていたとき、お絹が道太や辰之助に見せたことがあった。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
芝居で長唄ながうた常磐津ときわずなどの連中が舞台方に並んでいはゆる出語でがたりなる者をる事があるが、それは能の囃方や地謡の舞台に並んで居るのと同じ趣である。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
あの書斎へよく聞えて来た常磐津ときわずや長唄の三味線のかわりに、そこにはピアノを復習さらう音が高い建築物の上の方から聞えて来た。それが彼の頭の上でした。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二二※が四といえることは智識でこそ合点すべけれど、能く人の言うことながら、清元きよもとは意気で常磐津ときわずがあるといえることは感情ならではわからぬことなり。
小説総論 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
端唄、常磐津ときわず清元きよもと、なんでも一通りは心得て居て自分で自分の美音に酔いながら、口三味線でさも嬉しそうに歌い出す時は、誰もしみ/″\と聞かされます。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
常磐津ときわずやお針の稽古へいって、そこで聞く世間ばなしが、しばしば男女間の艶聞えんぶんに属し、ことに男というものが浮気で悪性だという定説になっていることを知り
寒橋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そうでなければ清元きよもと常磐津ときわず腐爛うじゃじゃけている御家人芝居。ここへ来ても、こんなものを見せられるのか。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先ず硯箱すずりばこと色紙とを持ち出して、老女が「これに一つおそめを」という。五百は自作の歌を書いたので、同時に和歌の吟味も済んだ。それから常磐津ときわずを一曲語らせられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
俺は鳳雲師匠のそばにいて、やっぱり彫り物をするほかには何一つこれといって坐興になるようなことを覚えもしなかったが、人間は、何か一つ、義太夫とか、常磐津ときわずとか
団扇うちわでパタパタ蚊を追いながら、浮世小路の何丁目で常磐津ときわずの師匠が出来たとか柳風呂やなぎぶろの娘は婀娜あだだとか噂話に余念のないさなか、そのトントントンが聞こえて来たのである。
日置流系図 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
両親共に三味線が好きで、ことにお母さんは常磐津ときわずが上手で、若い時には晩酌の微酔ほろえいにお母さんのいとでお父さんが一とくさり語るというような家庭だったそうだ(二葉亭の直話)。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
詩人啄木ので知られている函館の立待岬たてまちざきから、某夜あるよ二人の男女が投身した。男は山下忠助と云う海産問屋の公子わかだんなで、女はもと函館の花柳界かりゅうかいで知られていた水野よねと云う常磐津ときわずの師匠であった。
妖蛸 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そんなことを想いだすままに泡鳴に説明した。また鶴見のおさなかった時分には、おもて二階に意気な婆あさんがいて、折々三味線の音じめが聞える。町内の若衆わかいしゅを相手に常磐津ときわずでもさらっていたのだろう。
常磐津ときわず両面月姿絵ふたおもてつきのすがたえ
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
なまじいに写実にかいては面白くないというので、一種の浄瑠璃物のような形式を取って、この一幕は常磐津ときわずを用いてある。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
常磐津ときわずの師匠のところへ通っている向うの子でも、仲よしの通りの古着屋の子でも、一度も自分のようなしみったれた使いに出されたことがなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
常磐津ときわずの三味線をとって、師匠とも町芸者ともつかずに出たが、思わしくなかったので、当時開港場として盛んな人気の集った、金づかいのあらい横浜へ
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
筋向うには一中節いっちゅうぶしの師匠の家があり、その一軒置いて隣には名高い浮世画師の子孫にあたるという人の住む家があり、裏にはまた常磐津ときわずの家元の住居すまいなぞがあって
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
踊り、常磐津ときわず、清元などの稽古所の看板を出し、いずれも二人か三人ぐらい若い女を置いている。
雪と泥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
で、風流三昧ふうりゅうざんまいの蘿月はやむをえず俳諧はいかいで世を渡るようになり、お豊はその亭主に死別れた不幸つづきに昔名を取った遊芸を幸い常磐津ときわずの師匠で生計くらしを立てるようになった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
千代田型のと言っている時に聞えたのが生憎あいにく常磐津ときわずでもなく、清元きよもとでもなく、いわんや二上にあが新内しんないといったようなものでもなく、霜にゆる白刃の響きであったことが、風流の間違いでした。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
村からも渋皮の剥けた娘——村嬢そんじょういところを幾人か連れて来、酒宴の席へ侍らせたり、これも上尾の宿から呼んだ、常磐津ときわずの女師匠や、折から同じ宿にかかっていた、江戸の芝居の役者の中
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さうして東京の方をもととして居るのは、常磐津ときわず清元きよもとの類ひである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
裏手の露地の出口に住んでいる女髪結かみゆいの娘はもう常磐津ときわずの名取りになって、いわゆる狼連の若い衆を毎晩うならせていた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
たまには株も買ったりして、ふところの温かい時は、春よしの子供を呼んで、歌沢や常磐津ときわず咽喉のどを聞かせたりもした。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
町芸者常磐津ときわずの師匠ともつかずに出ていたおちょうが、開港場の人気の、投機的なのに目をつけて横浜にゆき、生糸王国をつくった茂木、野沢屋の後妻となり
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長唄や常磐津ときわずが普通の家庭にまで入っていることは、田舎育ちの下婢にめずらしく思われたのである。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ふと蘿月は何かそのへんに読む本でもないかと思いついて、箪笥たんすの上や押入の中を彼方あっち此方こっちのぞいて見たが、書物といっては常磐津ときわず稽古本けいこぼん綴暦とじごよみの古いもの位しか見当らないので
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
常磐津ときわずのうまい若い子や、腕達者な年増としま芸者げいしゃなどが、そこに現われた。表二階にも誰か一組客があって、芸者たちの出入りする姿が、簾戸すだれどごしに見られた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
父は尾州びしゅう家の藩士であったが維新後塩物問屋をいとなんでいるうち彼女の十一歳のおりに病死してしまった。その後は母の手一つに養育され常磐津ときわずなどをならっていた。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
見たりし盆興行は団菊両優は休みにて秀調しゅうちょう染五郎そめごろう家橘かきつ栄三郎えいざぶろう松助まつすけら一座にて一番目は染五郎の『景清かげきよ中幕なかまくは福地先生新作長唄所作事しょさごと女弁慶おんなべんけい』(秀調の出物だしもの)二番目家橘栄三郎松助の「玄冶店大喜利げんやだなおおぎり」家橘栄三郎の『女鳴神おんななるかみ常磐津ときわず林中りんちゅう出語でがたりなりき。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
常磐津ときわずの師匠に、その女房の師匠より一つ年上の自前の年増、按摩あんまのお神などがあり、藤川のお神は、名古屋で子供まで出来た堅気の嫁入り先を失敗しくじったのも
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「おぶんさんという、常磐津ときわずの地で、地弾じびきをしてくれる人が、あたしを可愛がってね。小石川伝通院でんづういんにいた、高名な三津江師匠のところへ連れてってくれたのだが芸はこわい。」
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
常磐津ときわずの師匠の口利きで抱えてみると、見てくれのよさとは反対に、頭がひどい左巻きであったりした。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「あのお虎婆め、常磐津ときわずもろくに弾けない、もぐり師匠だったのを、わすれやがったか。」
子供の時から聞き馴染なじんで来た義太夫ぎだゆう常磐津ときわずが、ビゼイやモツアルトと交替しかけていた時分だったが、この音楽ほど新旧の時代感覚を分明に仕切っているものはなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
隣家となり常磐津ときわず老婆おばあさん師匠が越して来て、負けずに窓のある部屋へ見えるように飾りたてたりしたが、のぞいて見ると、それは子供にも不思議に思えた男の子のつけているもののかたちを
常磐津ときわずの師匠のところへ遊びに来る、土地の役者の舞台姿などに胸をそそられて、その役者から貰ったかんざしして、嬉しがっていたことや、手を引き合いながら、暗い舞台裏を通って
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
長唄ながうたでも、富本とみもとでも、清元きよもとでも、常磐津ときわずでも、おしかさんは決して何処へでても負けはとらない腕きで、大柄な、年の加減ででっぷりして来たが、若い時分にはさぞと思われる立派な
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
師匠の大出勾当おおでこうとうは、江戸で名の知れた常磐津ときわず岸沢文左衛門きしざわもんざえもんの息子だった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長谷川うじ——あたしの父で、彼の婿である。常磐津ときわずの師匠の格子戸へ犬のふんをぬった不良若衆で、当時でのモダン代言人である。——あたしは、彼のデコボコ頭のひくみにたまったごみをながめた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
妹娘は常磐津ときわずを仕込んでいたが、勝川のおばさんの方へ多くいっていた。