安政あんせい)” の例文
すると安政あんせい六年の秋、伝吉はふと平四郎の倉井くらい村にいることを発見した。もっとも今度は昔のように両刀を手挟たばさんでいたのではない。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
このお爺さんこそ安政あんせいの末から万延まんえん文久ぶんきゅう元治がんじ、慶応へかけて江戸花川戸はなかわどで早耳の三次と謳われた捕物の名人であることがわかった。
安政あんせい年間には有名な水戸の天狗党が、諏訪の地を蹂躪した。又文久年間には、高倉たかくら三位となのる公卿が、贋勅使として入り込んで来た。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
抽斎はその数世すせいそんで、文化ぶんか中に生れ、安政あんせい中に歿ぼっした。その徳川家慶いえよしに謁したのは嘉永かえい中の事である。墓誌銘は友人海保漁村かいほぎょそんえらんだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
諭吉ゆきちのまちのぞんでいたときが、やがておとずれました。それは、諭吉ゆきちが二十一さいとなった、安政あんせいがん(一八五四)ねんがつのことでした。
そして安政あんせい六年には横浜その他の貿易港が開かれ、神奈川在の一寒村横浜は彼らの商業的制覇のもっとも有力な基地として繁栄したのです。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし外の力は偉大であって、時局は益々急を告げ、ついに安政あんせい元年(西紀一八五四年)ペルリに対し神奈川条約を以て国を開くこととなった。
安政あんせい末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわ海端うみばたを通る。夜はつ過ぎ、ほかに人通りは無い。しば田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火がちゅうまようて来る。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
これは過ぐる安政あんせい四年、江戸の将軍謁見えっけんを許された後のハリスが堀田備中守ほったびっちゅうのかみの役宅で述べた口上の趣である。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そも/\日本にほんには天地開闢以來てんちかいびやくいらいほとん連續的れんぞくてき地震ぢしんこつてゐたに相違さうゐない。その程度ていど安政あんせい大正たいしやう大震だいしん同等どうとうしくはそれ以上いじやうのものもすくなくなかつたらう。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
予の初めて先生をりしは安政あんせい六年、月日はわすれたり。先生が大阪より江戸に出で、鉄炮洲てっぽうず中津藩邸なかつはんていすまわれし始めの事にして、先生は廿五歳、予は廿九歳の時なり。
安政あんせいころ本所南割下水ほんじよみなみわりげすゐんで、祿高ろくだかごくりやうした大御番役おほごばんやく服部式部はつとりしきぶやしきへ、おな本所林町ほんじよはやしちやう家主惣兵衞店いへぬしそうべゑたな傳平でんぺい請人うけにんで、中間ちうげん住込すみこんだ、上州じやうしう瓜井戸うりゐどうまれの千助せんすけふ、とし二十二三のせなあ
片しぐれ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
安政あんせい年間の事であった。両国りょうごくくら栄蔵えいぞうと云う旅商人あきんどがあった。
沼田の蚊帳 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ゆっくりした歩度で、安政あんせい町にある友田喜造邸の前に来た。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
安政あんせい二歳次乙卯きのとう夏日」と云う日附けがある。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのため安政あんせい三(一八五六)ねんに、ハリスがアメリカの総領事そうりょうじとして、伊豆いず下田しもだ静岡県しずおかけん)へやってきて、幕府ばくふとこうしょうしました。
去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳とおの年に日本橋で安政あんせいおお地震に出逢ったそうで、子供の時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
摂津守を総督そうとくに任じて随行ずいこうには勝麟太郎かつりんたろう(今の勝安芳やすよし)以下長崎伝習生でんしゅうせいを以てし、太平洋をわたりて北米ほくべい桑港サンフランシスコくことを命じ、江戸湾を解纜かいらんしたるは、実に安政あんせい六年十二月なり。
幕府からは嘉永三年以後十五人扶持ふち出ることになり、安政あんせい元年にまた職務俸の如き性質の五人扶持が給せられ、年末ごとに賞銀五両が渡されたが、新しい身分のために生ずる費用は
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
江戸えど町醫者まちいしや小田東叡をだとうえい安政あんせいねん十二ぐわつ出版しゆつぱん防火策圖解ばうくわさくづかい)なるものかかべすぢかひをれることを唱道しやうだうしたくらゐのことでそれ以前いぜんべつ耐震的工夫たいしんてきくふう提案ていあんされたことはかぬのである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
安政あんせい二年卯の年、十月二日真夜中の大地震まで、八重洲河岸で武家を相手に手広く質屋を営んでいた叶屋かのうやは、最初の揺れと共に火を失した内海紀伊うつみきいさまの中間部屋の裏手に当っていたので
山里へは旧暦二月末の雨の来るころで、年も安政あんせい元年と改まった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
安政あんせいの頃の名人形師立木と申す人の作と申すことでございます。
人でなしの恋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
……安政あんせい地震ぢしんときは、おふくろのはらにゐたといふぢいさんが
十六夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
安政あんせい三年の初夏である。江戸番町ばんちょう御厩谷おんまやだにに屋敷を持っている二百石の旗本根津民次郎ねづたみじろうは箱根へ湯治に行った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのは、諭吉ゆきち江戸えどへでてくる四かげつほどまえの、安政あんせい五(一八五八)ねんがつ十九にちのことでした。
もと稲村いなむら氏で漁村の門人となり、後に養われて子となったのである。文政七年のうまれで、抽斎の歿した時、三十五歳になっていた。栲窓は名を直寛ちょくかんあざな士栗しりつという。通称は安斎あんさいのち父の称安政あんせいいだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
安政あんせい時代の大コレラというのはどんなでしたか、人の話に聴くばかりでよく存じませんが、明治時代になりましては、十九年のコレラが一番ひどかったと申します。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)