参籠さんろう)” の例文
旧字:參籠
この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠さんろうをあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
過ぐる文久ぶんきゅう三年、旧暦四月に、彼が父の病をいのるためここへ参籠さんろうにやって来た日のことは、山里の梅が香と共にまた彼の胸に帰って来た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ええ、望み——と申しますと、まだがあります。実は願事があって、ここにこうして、参籠さんろう、通夜をしておりますようなものです。」
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夫婦ふたりして長谷はせへお礼詣りに行って参籠さんろうしたせつ、いただいて来た命名とやら。何ぞ長谷へがんを結んでいたことがあったのかもしれませぬ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、参籠さんろうを済ましてから宿の選択にかかる。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
女の子がとりすがったのを縁側からおとして家を出たとか、後年、長谷寺はせでら参籠さんろうすると、行いすます尼と出会う、これが昔のわが妻であったとかいう類で
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
それよりしまへおあがりなされて一と夜参籠さんろうあそばされ、あくる日佐和さわやまへおわたりになりまして、いちにちふつか御きゅうそくなされましてから御ほっそくあそばし
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
長らく秘密の殿堂に参籠さんろうして男性魅縛みばくの術を体得したのち、とつじょ風雲急なるヨーロッパに現われて、その蠱惑的こわくてき美貌と、不可思議な個性力と、煽情せんじょう的な体姿とを武器に
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
で、北の方のすすめにしたがって、長谷の観音に参籠さんろうし、子をさずけられるように祈った。
けがれを去り悪念あくねんに遠ざかり、一夜を神の前に参籠さんろうすることによって、団体共同の幸福が得られると思っていたことは、仏法の教えよりも、むしろ国固有の神道の方に近かった。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
香の煙のたちこめた大寺だいじの内陣で、金泥きんでい緑青ろくしょうところはだらな、孔雀明王くじゃくみょおうの画像を前に、常燈明じょうとうみょうの光をたのむ参籠さんろうの人々か、さもなくば、四条五条の橋の下で、短夜を芥火あくたびの影にぬすむ
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
おれは娘の病気の平癒へいゆを祈るために、ゆうべここに参籠さんろうした。すると夢にお告げがあった。左の格子こうしに寝ているわらわがよい守本尊を持っている。それを借りて拝ませいということじゃ。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ツイ一年ばかり前に開いた、ささやかな祈祷所ですが、信心の善男善女絶間もなく、五両以上の喜捨をした者には、奥殿の参籠さんろうを許して、この世ながらの極楽浄土を拝ませるといううわさ
この塔今もあり癩病等の重患者貴賤を問わず百余人常に参籠さんろうす、身を虎に施した太子はわが先身、師の仙人はわが次に成道じょうどうすべき弥勒菩薩だ、われ衆生を救うため身を惜しまなんだから
わざわざにでもここへきて、終夜、参籠さんろう祈願し、来世の安楽往生をお願いしなければならないところであるが、今夜はちょうどよい折であるから、大師廟で終夜お念仏を唱えることにしようではないか
男爵は暫く比叡山に参籠さんろうしてゐるといふ話であつた。
垂水 (新字旧仮名) / 神西清(著)
阿修羅河の岸なる夜叉神社に参籠さんろうし、三七日さんしちにち
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
画工一代の悲願と、腕みがきのため、御山みやま金天聖廟きんてんせいびょうの壁画を描くべく娘の玉嬌枝ぎょっきょうしを連れて、数日間、がんがけの参籠さんろうをしていたものだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と半蔵は妻に言って、父の病をいのるために御嶽おんたけ神社への参籠さんろうを思い立った。王滝村とは御嶽山のすそにあたるところだ。木曾の総社の所在地だ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いやいや、御堂みどう御社みやしろに、参籠さんろう通夜つやのものの、うたたねするは、神のつげのある折じゃと申す。神慮のほどもかしこい。……ねむりを驚かしてはなるまいぞ。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それから時方ときかたは京へ行って山寺へ忍んで参籠さんろうしていると上手じょうずにとりなしをしておけと言ってくれるがいい
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
抑々そもそも当流ノ元祖戸田清玄ハ宿願コレ有ルニヨツテ、加賀国白山権現ニ一七日ノ間、毎夜参籠さんろう致ス所、何処いづこトモナク一人ノ老人来リ御伝授有ルハレコノ流ナリ」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
すなわち女は女どうし戸をしめて家にこもり、男はまたどこか一処に集まって、この晩の参籠さんろうをしていたので、それと同じ事を、今でも月々の二十三夜待にしている村々は少なくないのみか
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「なに、これで善い運がさずかるとなれば、私だって、信心をするよ。日参をしたって、参籠さんろうをしたって、そうとすれば、安いものだからね。つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
貞応じょうおう二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、日吉ひえ参籠さんろうして一七日いちしちにちの間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
古い仏典のなかに、そのカギはありはしないか”そうして参籠さんろう百日近いある夜、聖徳太子の夢告の一を見たというのです。
親鸞聖人について (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、半蔵には御嶽おんたけ参籠さんろうまでしてもらったがね、おれの寿命が今年ことしの七十歳で尽きるということは、ある人相見から言われたことがあるよ。」
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それからさまざまの艱難かんなんを経て、ある時は相模さがみ大山石尊おおやませきそん参籠さんろうし、そこで二十四の時に真言しんごんに就いて出家をとげ、それより諸国を修行し、或いは諸所の寺々の住職をし
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
九州の人たちは三日参籠さんろうすることにしていた。右近はそれほど長くいようとは思っていなかったが、この機会おりに昔の話も人々としたく思って、寺のほうへ三日間参籠すると言わせるために僧を呼んだ。
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
またここの八幡宮は、源頼義が参籠さんろうして、四方の兇徒を討ち平げ、諸民を安からしめたという縁起えんぎがある。その縁起もよい。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そりゃだれがなんと言ったって、おとっさんのためにお山へ参籠さんろうまでして、御全快をいのりに行くようなことは、半蔵さまでなけりゃできないことです。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこで、安然法師は歎息し、程近き「投げ足の弁天」へ参籠さんろうして泣訴することには
「法華経一巻、あと、奥書だにすれば写経が終る。それをたずさえて山上の金剛山寺こんごうせんじにおさめ、参籠さんろうをも遂げてまいりたい」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おっかさん、留守をお願いしますよ。」と半蔵は言った。「わたしもそんなに長くかからないつもりです。三日も参籠さんろうすればすぐに引き返して来ます。」
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「てめえは夜籠りの遍路だろう、何をグズグズいっているんだ、ついでに海部の百姓牢へも参籠さんろうして行きたいというのか」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いよいよ参籠さんろうの朝も近いと思うと、半蔵はよく眠られなかった。夜の明け方には、勝重のそばで目をさました。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夢想と流名にとなえても、彼の百日参籠さんろうには、何らの奇蹟的なはなしも伝えられなかった。けれど奇蹟のないところに、彼の真実な魂の神化があった。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が父の病をいのるための御嶽おんたけ参籠さんろうを思い立ち、弟子でし勝重かつしげをも伴い、あの山里の中の山里ともいうべきところに身を置いて、さびしくきこえて来る王滝川の夜の河音かわおとを耳にした時だった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さいごの“けつ”は、やはり高時に仰ぐわけなので「——ともあれ、ご参籠さんろう先の江ノ島へ、早舟でお知らせだけでも」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの時もおれは清助さんに止められて、あんな若い人を一緒に参籠さんろうに連れて行かれますかッて言われた。それでも勝重さんは行きたいと言うもんだから、しかたなしに連れて行った。懲りた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「べつに、こちらにも、詳しいことは何も書いてない。お山には、度々参籠さんろうしてござるようじゃ。供の者が、幾歳いくつぐらいか、そんなことまで分らんよ」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半蔵は勝重かつしげを連れて、留守中のことを案じながら王滝おうたきから急いで来た。御嶽山麓おんたけさんろく禰宜ねぎの家から彼がもらい受けて来た里宮参籠さんろう記念のお札、それから神饌しんせんの白米なぞは父吉左衛門をよろこばせた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「まだ、二十歳はたちぐらいな若い僧さ。三尊の拝殿から入って、いちばん奥の廟窟びょうくつゆかに、ひとりで坐りこんだまま、ものも食わずに、参籠さんろうしているのだ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうじゃ、聖徳太子しょうとくたいしと、そのおん母君、おきさき、三尊の御墳みつかがある太子びょうもうでて、七日ほど、参籠さんろういたしたい」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから、或はもう、そこに老母は参籠さんろうしているかも知れない——と又八は考えたのである。するとあながち彼の考え方も、空だのみでないかも知れなかった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義貞は日吉ひえの大宮権現ごんげんにひとり参籠さんろうして、氷のようなゆかに伏した。夜もすがらなにか一念の祈願をこめ、あわせて願文がんもんと重代の太刀鬼切とを、社壇へおさめた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亀山に帰国してからの一夜、愛宕あたごの社に参籠さんろうして、神鬮みくじを引いたそのときに、むらむらとわいた出来心だ。その証拠にはその夜から彼の態度というものが変っている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきには、京都の紹巴じょうはに招き状を送り、いまは愛宕の参籠さんろうを先触れさせていた。彼は、天の味方を信じながら、天のまなこをあざむくことに、自己の聡明を駆使くししていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤吉郎は、伊吹神社に参籠さんろうの者と称して、土地の田舎いなか宿に二日ほど泊っていた。そしてその一晩
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かたがた、こよいは参籠さんろうのつもりでまいった。なにかと供華くげの用意などもしてもらいたい」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)