いたわ)” の例文
旧字:
よそ行着ゆきぎを着た細君をいたわらなければならなかった津田は、やや重い手提鞄てさげかばんと小さな風呂敷包ふろしきづつみを、自分の手で戸棚とだなからり出した。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わたくしが、たゞ、こどものようにかぶりを竪に振ったり横に振ったりしさえすれば返事になる、相手はそつのないいたわり方でした。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
妹に向うと特にそうであるが、愛情やいたわりをやさしい言葉で表わせない、わざと怒ったりふきげんになるのが、いつもの兄の癖であった。
おばな沢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いたわり、あんたは無暗に駈けるから歩けやアしない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
としみじみいたわって問い慰める、真心は通ったと見えまして、少し枕を寄せるようにして、小宮山の方を向いて、お雪は溜息ためいききましたが
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
美しい女子ではあり、先方から参ったものではありして、拙者、遠慮なく、いたわり、介抱いたし……女子も満足いたしたかして眠ってござる。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
殿下もまた、快くこれらの哀れなる者たちを御引見になって、それぞれの福祉機関へお世話になったり、いたわって金品をお恵みになっている。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
その貧しい間にありながら、妻は何の不平もなく五人の子供を育て、私をいたわり励ましてきた。よく、貧乏に堪えた。そして、愛を護ってきた。
盗難 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
そして、正勝の姿が物陰に消えてから、紀久子は急所の重苦しい痛みに悩んでいる敬二郎を静かに部屋の中へいたわり入れた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
と、信長からいたわられたことは、最大なおめであるとうれしく思われたので、寝不足のまぶたに、思わず涙が沁みたのであった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私はね、分けて貰った金で小商売こあきないでもしたいし、当分は身体の方もいたわろうと思うの。それよりね、そんな事が、いつまで続くとは考えていないさ。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
相川が、もっともらしい口吻で、いたわるような視線を向けると、おかみさんは膝にもたれて眠っている三つくらいの女の子の髪の毛を撫であげながら
度のすぎたいたわりや祝辞は云々は全く恐縮で、これから本当にお止め? しかし、もし相当ちゃんとしているのだとしたら、お止めの理由もないわけね。
猟師さんのほかに、わたくしをいたわって下さる方があることを知って、これはその方のお住居だなとさとりました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
太郎左衛門はそのへやへ出入して、二人の者をいたわっていたが、その目前めのまえにはわかい白い顔が浮ぶようになっていた。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、あわれなものを、いたわるかとおもえば、また、いじめるというふうに、矛盾むじゅんした光景こうけいそらえがきながら。
からす (新字新仮名) / 小川未明(著)
お婆さんの態度には、いたずら娘をいたわっている母親のようなやさしさが感ぜられた。また人間と犬との違いはあっても、女は女同士といったようなところもあった。
犬の生活 (新字新仮名) / 小山清(著)
これは伝道の助手としてのみでなく、イエスの伴侶はんりょとして、イエスの愛の特別の対象として、またイエスを身近くいたわり慰むべき者として選み出されたものでしょう。
あれ程までに自分の恋したっていた葉子、あれ程までに自分をいたわってくれていた由子——それが、この一寸した手違いから、もう遠く自分から離れてしまったのだ。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
家の前途を、一人で背負って悩んでいる新子は、時には誰かに慰めいたわられたいような気持がした。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
娘をいたわる心とてはなく、かへつてその身の衣服まで売却うりなして今は親子三人が着のみ着のままなる困苦くるしみをば、ひとへに夫の意気地なきに帰して、夫を罵り、お袖にあたり
小むすめ (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
ものにこだわらない明るい気性で、後で考えると私共を実によくいたわってくれたことがわかる。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
そのまっ黒によごれた手をいきなり引っつかんで熱い口びるでかみしめていたわってやりたいほどだった。しかし思いのままに寄り添う事すらできない大道だいどうであるのをどうしよう。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「それはそれは、とんだ苦労をなされましたな」と、小平太も相手をいたわるように言った。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
不断に武装をつづけて、多端な政務に張り切っていた心が、ふと家臣をいたわってやったことから、計らずも人の心に立ちかえって思わぬまに湧き上った涙だったに違いないのである。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
しきりにいたわっておいでになりましたが、私は、あなたの毎朝の、おいとこそうだよ、という歌を歌っておいでになるお姿を思い出し、何がなんだかわからなくなり、しきりに可笑しく
きりぎりす (新字新仮名) / 太宰治(著)
ヴィテルの病院で、マタ・アリは、盲目の恋人をいたわりながら、飛行隊の将校連と日増しに親しくなりつつある。と思うと、ぞくぞく不思議なことが起こって、飛行機の恐慌におちいった。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
ヨブの病中はそばに寄りつく事だにしなかった兄弟姉妹知友たち、今ヨブが病えて昔日以上の繁栄に入るや、にわかに彼の家をおとのうて飲食し、すでに慰めいたわる必要なきヨブを慰めいたわ
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
亡母ははによく似ている年とったそこもとをよくいたわって進ぜたなら、草葉のかげで母もさぞかし喜ぶであろうとこう思うによって、これからはそこもとを実の母同様に扱うから、そちも
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
階段を駆け下りた女たちは、いたわるようにみのりを長椅子ながいすに連れていった。
宝石の序曲 (新字新仮名) / 松本泰(著)
兼康は、とかく、あとあと宰相から恨まれるのがこわいから、かゆいところに手の届くようないたわり方で、少将の心を何とか慰めようとするのであるが、少将の方は一日として楽しまぬのである。
孔子は郷人とともに酒を飲んだのであり、そうして郷党の老人をうやまいたわったのである。また郷人の行なう祭儀にはまじめに共感を表明したのである。そこには村落共同態への従順な態度が見られる。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
検事は子供をいたわるように立上って、草川巡査の背中を撫でた。
巡査辞職 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「心の臓をいたわってくれよ」とあの人は仰言る。
この中老の女とて終始、子供のためを想うとか幼なごゝろを飽くまでいたわるとかそういう筋目のとおった性質ではございません。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「さーてね」老人はちょっと考えてから、いたわるように云った、「——あるかもしれないな、世間ずれのしていない、箱入り女房ともなればな」
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
駈け寄って来た人々が、ほっと、安堵あんどのいろを浮かべ、そして左右からいたわりぬくのを、ばばは殆どよろこぶ様子もなく
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美人は鉄をいたわりて、「お前、何悪いことをしやったえ。お丹はあの通り気短きみじかだから恐怖こわいよ。私がわびをしてあげる。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一つは体をいたわられるため、一つは粘液質の鈍感者流が自分の云っていることが自分に解らず、そのめ人にも解るまいと、そこで眼を怒らせ声を大にし
小酒井不木氏スケッチ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
逆に彼をいたわり、母親ぶり「貴女に判らないこともあるのですよ」と云いたげな口つきをしているではないか。
或る日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
用水桶の蔭に隠れていた浪人ていの怪しの者は、背に引きかけていた一人をいたわって駕籠の中へ入れると
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
併し、青は、坑内に働いている誰からも愛されていた。みじめな老人をいたわるようにして労られていた。
狂馬 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「小母さん、そう働らいちゃ悪いだろう。先生の膳は僕が洗って置くから、彼方あっちへ行って休んで御出おいで」と婆さんをいたわっていた。代助は始めて婆さんの病気の事を思い出した。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
祖父なども私たちを授りものというような心持で、非常にいたわってくれた。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
朝な夕なに他の女子がその良人おっといたわるを見て、我独り旧時の快を忘るべけんや、ああ神よ我が良人おっとをしてつつがなからしめよ、彼の行路をして安からしめよ、今我は彼に着きまとい心を尽す能わずとも
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
こう愛情で心身の撫育を添えいたわりながら、智子の教え込む色別を三木雄は言葉の上では驚くべき速度で覚えて行った。
明暗 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
独り泣くやまいのある少年には、独り泣くたましいの楽しみが同時にあった。泣いて泣いて泣きぬいていると、天地があわれといたわり慰めてくれるのである。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すっかり聞き終ってから、みつ枝はやさしくうなずき、弟をいたわるように微笑した、「そしてその方とは、その後もずっとおたよりを交わしていらっしゃいますの」
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
片手に洗髪あらいがみを握りながら走り寄りて、女の児を抱起だきおこして「危いねえ。」といたわる時、はじめてわっと泣出だせり。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お母さんは余りこれまで御丈夫でなかったし、御無理だったから、すこしこの際おいたわりになる方がよいのです。そちらもこんなにいい天気でしょうか。どうかお元気に。