冷々ひやひや)” の例文
のみならず彼女はややともすると、いてそれを断行しようとする夫の裏側をのぞき込むので、津田はそのたびに少なからず冷々ひやひやした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこで、お綱は、初めて、しぼるような汗の冷々ひやひやと肌をぬらしているのに、ホッと息をついて、乱れ毛を耳の根へなでつけたのである。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日は朝から急に涼風すずかぜが立つて、日が暮れるともう単衣ひとへものでは冷々ひやひやするくらゐでしたが、不思議なことにはその晩つともお客が無いんです。
赤い杭 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
お種は狭い町中の住居すまいをめずらしく思うという風で、取散した勝手元まで見て廻ろうとするので、お雪はもう冷々ひやひやしていた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その木材の蔭になって、日の光もあからさまには射さず、薄暗い、冷々ひやひやとした店前みせさきに、帳場格子ちょうばごうしを控えて、年配の番頭がただ一人帳合ちょうあいをしている。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「やっと芝居が無事にすんだね。おれはお前の阿父おとうさんに、毎晩お前の夢を見ると云う、小説じみた嘘をつきながら、何度冷々ひやひやしたかわからないぜ。」
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
フロイスは冷々ひやひやしながらこの信長の運命を見まもっていたのであったが、それは彼の希望する通りに開けて行った。彼はこの騒ぎの最中、五月の末に、こう書いている。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
さて、今は切りたる中を開きて見定むるなるべし。時として身のうちに響くこともありけれど、のみ痛しとも堪えがたしとも思われず、折々、水注ぎ洗うが冷々ひやひやと覚えらる。
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「あっ!」と叫びを上げたのは、父の額が水のように、冷々ひやひやえていたからである。
南蛮秘話森右近丸 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
火のように上気した僕の頬を夏の夜乍ら冷々ひやひやと夜気がうちあたるのを感じました。
壊れたバリコン (新字新仮名) / 海野十三(著)
草履を穿いてゐる兄の方はかへつて足が疲れ息切れがしてゐたが、冷々ひやひやした山上の風に汗を乾かして爽やかな氣持になると、今までの沈默を破つて、弟に向つていろ/\の話を仕掛けた。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
むづかしげに暮山ぼさんめぐりし雲は、果して雨と成りて、冷々ひやひや密下そぼふるほどに、宵の燈火ともしびも影けて、壁にうつろふ物の形皆寂く、なまじひに起きて在るべき夜頃よごろならず。さては貫一もまくらに就きたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
歩るいてさえ冷々ひやひやする峠路とうげみち馬背ばはいによりて行くとは、少し猛烈過ぎるけれども、吾々はそんな事にひるむ人間ではない。冒険は元々覚悟の上だ。「よかろう。それも面白いだろう」とたちまち一決。
お化粧をしていたおもては絵に見るもののように美しくありました。裲襠の肩が外れて、着物のつまも裾もハラハラと乱れていました。見れば真白な素足に、冷々ひやひやする露の下りた橋板の上を踏んでいます。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「そう急がなくても、地下室一杯になるにはたっぷり二時間かかるのだ。今頃はもうくるぶしの所まで来たろう。君のお父さんはさぞかし、生きた空がなくて、冷々ひやひやしているだろうて。だが、そう急ぐ事はないて」
計略二重戦:少年密偵 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
この拍子に応じて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅速じんそくなお手際で、拝見していても冷々ひやひやする。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それは「どうも困ります」のくもった日で、桑畑をふいて来る湿った風は、宿の浴衣ゆかたの上にフランネルをかさねた私の肌に冷々ひやひやみる夕方であった。
磯部の若葉 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小松原はまた肩のあたりに、冷い汗を垂々たらたらと流したが、大分夜も更けた様子で、冷々ひやひやと、声もない、音もせぬ風が、そよりと来ては咽喉のどかすめる。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
下婢かひを相手に、茶の間へ、食膳を出していた彼女は、日吉の言葉づかいや、野良で出すような大声に、冷々ひやひやしていたが
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時によると、御寝衣おねまきのまま、冷々ひやひやした山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
季節は一月、所は大森林、凍りつくばかりに冷々ひやひやする。ヒューッ、ヒューッと風の音がする。梢を渡っているのだろう。だが樹が密生しているためか、森の中には吹き込んで来ない。
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こみちかぶさった樹々の葉に、さらさらと渡って、すそから、袂から冷々ひやひやはだに染み入る夜の風は、以心伝心二人の囁を伝えて、お雪は思わず戦悚ぞっとした。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「いかに和田でも、羽田の尾白おじろは仕留められまい。——そのうわさを聞くたびに、わたしは冷々ひやひやします。」
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし、この野辺山が原へ上って来て、冷々ひやひやとしたすずしい秋の空気を吸うと、もう蘇生いきかえったようになりましたのです。高原の朝風はどの位心地こころもちのよいものでしょう。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
串戯じょうだんじゃありませんぜ。ね、それ、何だかうっすりと美しい五色の霧が、冷々ひやひやかかるようです。……変にすごいようですぜ。亀が昇天するのかも知れません。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お雪は足袋たび穿いていなかった。多くの女のように、薄着でもあった。それでも湯上りのあたたかさと、燃えるような身体の熱とで、冷々ひやひやとした空気を楽しそうに吸った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昼間の汽車の中とは違って、ここらの夜風は冷々ひやひやと肌にしみるようです。こういう時に油断すると風邪をひくと思いながら、僕は足を早めて行くと、眼の前に眠ったような灯のひかりが見える。
指輪一つ (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
新さん、手巾これでね、汗を取ってあげるんですがね、そんなに弱々しくおなんなすった、身体から絞るようじゃありませんか。ほんとに冷々ひやひやするんですよ。
誓之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
殊にその女房が箕を高く差揚げ風に立てているのが見える。風は身に染みて、冷々ひやひやとして来た。私の眼前めのまえに働いていた男の子は稲村に預けて置いた袖なし半天を着た。母も上着うわっぱり塵埃ほこりを払って着た。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
冷々ひやひやとした侘住居わびずまいである。木綿縞もめんじま膝掛ひざかけを払って、筒袖のどんつくを着た膝をすわり直って、それから挨拶した。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
冷々ひやひやとした空気は三吉が心の内部なかまでも侵入はいって来た。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
冷々ひやひやと濡色を見せて涼しげな縁に端居はしいして、柱にせなを持たしたのは若山ひらくわずらいのある双の目をふさいだまま。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今までその上についてあたたかだった膝頭ひざがしら冷々ひやひやとする、身体からだれはせぬかと疑って、彼処此処あちこちそでえりを手ではたいて見た。仕事最中、こんな心持こころもちのしたことは始めてである。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その名残なごりに奥の部屋の古びた油団ゆとん冷々ひやひやと見えて、突抜けの縁の柱には、男の薄暗い形があらわれる。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
風はつめたし、呼吸いきぬきかたがた、買った敷島をそこで吸附けて、かしながら、堅い薄縁うすべりの板の上を、足袋の裏冷々ひやひやと、い心持ですべらして、懐手で、一人で桟敷へ帰って来ると
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
は更けて、夏とはいえど、風冷々ひやひやと身に染みて、戦慄ぞっと寒気のさすほどに、えいさえめて茫然と金時は破垣やれがき依懸よりかかり、眠気つきたる身体からだ重量おもみに、竹はめっきと折れたりけり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
風が出て、雨は冷々ひやひやとして小留おやむらしい。
第二菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)