きょう)” の例文
けれども自分じぶんでそれをやったおぼえはございませぬ。きょうとはちがって東国とうごく大体だいたい武張ぶばったあそごと流行はやったものでございますから……。
そのほかの人形は——きょう伏見ふしみ奈良なら博多はかた伊勢いせ秋田あきた山形やまがたなど、どなたも御存知のものばかりで、例の今戸焼いまどやきもたくさんあります。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一休いっきゅうさんも おかあさまとも わかれて きょうのみやこの かたほとりに、うばと ふたりで すむことに なったのです。
一休さん (新字新仮名) / 五十公野清一(著)
昔はこのきょうにして此ありと評判は八坂やさかの塔より高くその名は音羽おとわの滝より響きし室香むろかえる芸子げいこありしが、さる程に地主権現じしゅごんげんの花の色盛者しょうじゃ必衰のことわりをのがれず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろいまから千年余ねんあまりもむかし桓武天皇かんむてんのう京都きょうとにはじめて御所ごしょをおつくりになったころ、天子てんしさまのおともをして奈良ならみやこからきょうみやこうつってたうちの一人ひとりでした。
田村将軍 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それを御祝儀ごしゅうぎとも苗祝とも名づけて、常例にしていた土地も遠国にはあるが、蕉門しょうもんの人たちの熟知したきょう江戸えど中間の田舎には、近世はもうあまり聞かなかったのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
因州新田の領主で一万五千石、松平淡路守清直まつだいらあわじのかみきよなおの鉄砲洲十間町の上屋敷には、新たに造営した一角の女御殿があって、其処そこに玉の如き姫君——きょう姫というのを住ませて置きました。
小文治は居士の話にいろいろな疑念ぎねんをはさんだ。亀卜の易とはなにか? またきょうの鞍馬山から武州まで、きょうぶらりとやってきたというのも、自分の聞きちがいのような気がした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
声もなく眠っているきょうの町は、加茂川の水面みのもがかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々つじつじにも、今はようやく灯影ほかげが絶えて、内裏だいりといい、すすき原といい
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
阿波の高市たかまちに来た旅役者の嵐雛丸あらしひなまるも殺された。越後えちご縮売ちぢみうりの若い者も殺された。それからきょうの旅画師に小田原おだわらの渡り大工。浮島うきしま真菰大尽まこもだいじんの次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
このふねは、きょう大阪おおさかなどを見物けんぶつにでかける人々ひとびとをのせたふねでしたから、そのとちゅうでも、あちらこちらのみなとによって、見物けんぶつをしたり、ふねなかでは、ごちそうをひろげてさかもりをしてさわいだり
わたくしはもときょううまれ、ちち粟屋左兵衞あわやさひょうえもうして禁裡きんりつかえたものでございます。わたくし佐和子さわこ、二十五さい現世げんせりました。
「いっそ おかあさまが おなじ きょうのみやこに いることを はなして、おかあさまに おあわせして あげようか。」
一休さん (新字新仮名) / 五十公野清一(著)
このくるわにいる人でも大坂生まれは数えるほどで、近くてもきょう丹波たんば、遠くは四国西国から売られて来て、知らぬ他国で辛い勤め奉公しているのもある。
心中浪華の春雨 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
太子たいし摂津せっつくに難波なにわのおみやへおいでになって、それから大和やまときょうへおかえりになるので、黒馬くろうまって片岡山かたおかやまというところまでおいでになりますと、山のかげ一人ひとりものべないとみえて、るかげもなく
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
がくもんでは きょうのみやこで いちばんだ と いわれる さいごんじの おしょうさまも ころもは ぼろぼろ
一休さん (新字新仮名) / 五十公野清一(著)
『これはもときょううまれじゃが、』と老人ろうじんは一こうました面持おももちで『ごくおさな時分じぶん父母ふぼわかれ、そしてこちらの世界せかいてからかくまで生長せいちょうしたものじゃ……。』
さて太子たいし奈良ならきょうへおかえりになりましたが、そのあと片岡山かたおかやまのこじきは、とうとうんでしまいました。太子たいしはそれをおきになって、たいそうおなげきになり、あつくほうむっておやりになりました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)