“陳(なら)” の例文
表に面しているから、その中へ陳(なら)べておいたら見るだろう。買いたい奴なら、覗いて選るだろう——それ以上の注意をしていない。
大阪を歩く (新字新仮名) / 直木三十五(著)
茶の接待、水浴室の設備なども鄭重である。茶亭(さてい)には花卉の鉢を陳(なら)べ乃木東郷両大将の記念自署などが扁額として掛(かゝ)つて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
その日がきて夜になると果して輿馬(よば)の一行が新婦を送ってきた。嫁入り道具が非常に多くて、室の中に陳(なら)べてみると室の中に一ぱいになった。
胡氏 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、彼女の腕(かいな)には、そこに陳(なら)べてあった亀八作の蝋細工の死人形が、今しも、横ざまに、抱え込まれているではないか。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
街には宗徒簇(むらが)りて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端(のきば)には古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳(なら)べもしたり。
まだ完成(まとまっ)ていなかろうがどうだろうがそんな事に頓着(とんじゃく)はない、訥弁(とつべん)ながらやたら無性に陳(なら)べ立てて返答などは更に聞ていぬ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
それはこの民藝館に陳(なら)べてあるものは、各種のものに亘ってはいますが、常に工藝が中心で、いわゆる美術が中心ではないということです。なぜなのか。
日本民芸館について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
家にあるに手杯(てさかづき)を釈(お)かず、客至れば直に前に陳(なら)べた下物(げぶつ)を撤せしめて、新に殽核(かうかく)を命じた。そして吾家に冷羮残炙(れいかうざんしや)を供すべき賤客は無いと云つたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
それから一ト月余になるが羅甸(ラテン)語と希臘(ギリシヤ)語とを陳(なら)べた難かしい手紙が来たゞけで顔を見せないから、嬢様漸(やつ)と安心して先ず是で十九の厄を免れてノウ/\した。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
甲野さんは返事をする代りに、売店に陳(なら)べてある、抹茶茶碗(まっちゃぢゃわん)を見始めた。土を捏(こ)ねて手造りにしたものか、棚三段を尽くして、あるものはことごとくとぼけている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
処女にして文学者たるの危険などを縷々(るる)として説いて、幾らか罵倒(ばとう)的の文辞をも陳(なら)べて、これならもう愛想(あいそ)をつかして断念(あきら)めて了(しま)うであろうと時雄は思って微笑した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
巴里の三越と云つてよい大きなマガザンのルウヴルの三階などに陳(なら)べられて居るので、然(さ)まで珍しくも無いであらうが、白足袋を穿(は)いて草履(ざうり)で歩く足附が野蠻に見えるらしい。
巴里にて (旧字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
だめなことだ、あの老爺(おやじ)だもの。のべつに小癪(こしゃく)に障(さわ)ることばっかり陳(なら)べやがって、もうもうほんとに顔を見るのもいやなんだ。そのくせまた持ってるのだ! どうしたもんだろうなあ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
名画墨跡を膝下(しっか)に展(ひら)くも、名器を目前に陳(なら)ぶるも、道具屋一流の囚われた見方以外には一歩も前進してはくれない。俗欲を身につけることほど美の探求、真理の探求を邪魔するものはない。
現代茶人批判 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
『人の性(カラクテール)』という名著を遺した十七世紀フランスのラ・ブリュイエールは或時、知名の蔵書家の書庫を見て、金文字背皮の書冊が何万という程書架に陳(なら)べてあるのが一寸癪にさわったらしい。
愛書癖 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
程無く老婢(ろうひ)と共に齎(もたら)せる品々を、見好げに献立して彼の前に陳(なら)ぶれば、さすがに他の老婆子(ろうばし)が寂(さびし)き給仕に義務的吃飯(きつぱん)を強(し)ひらるるの比にもあらず、やや難捨(すてがた)き心地もして、コップを取挙(とりあぐ)れば
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
其夜汝の家で陳(なら)べ立つて来た我の云ひ草に気が付いて見れば清吉が言葉と似たり寄つたり、ゑゝ間違つた一時の腹立に捲き込まれたか残念、源太男が廃(すた)る、意地が立たぬ、上人の蔑視(さげすみ)も恐ろしい
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
鹿やんに、お伽話(とぎばなし)を聞いていた私は、そういう種類を、暫く中断されていたが、この貸本屋が出来て、講談本が、棚へ陳(なら)ぶと同時に
死までを語る (新字新仮名) / 直木三十五(著)
何故だか独りで極(き)めて掛って、惨澹たる苦心の末、雪江(せっこう)一代の智慧を絞り尽して、其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、嘘(うそ)八百を陳(なら)べ立て
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
数百の肖像画のみを陳(なら)べた室には※ンチ、ミケランゼロ、リツピ等の肖像もあつた。ミケランゼロのデツサンやスケツチを多く蔵(をさ)めて居るのも他(た)に類が無からう。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
『帝国文学』を課題とした川柳をイクツも陳(なら)べた端書を続いて三枚も四枚もよこした事があった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
立派な手廣な角店で、五彩目を奪ふ頭飾(かみかざり)の類が陳(なら)べてある。店頭には、雨の盛に降つてゐるにも拘(かゝは)らず、蛇目傘(じやのめがさ)をさし、塗足駄(ぬりあしだ)を穿(は)いた客が引きも切らず出入してゐる。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
父はこう云う場合には、よく自分の好きな書画骨董(こっとう)の話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳(なら)べたものである。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
美術館は美しい品を陳(なら)べる場所ですが、不思議にも美しく陳べている所は非常に少いのです。
日本民芸館について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そして開会の時に行ってみますと、大変にいい場所に私の隷書が陳(なら)べてありました。それが私の二十二歳の時だったのであります。二、三日してまた会場に行きますと、売約済の札が附いております。
能書を語る (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
殊に湯より上り來れば、虎の皮を敷き一閑張(かんばり)の大机を据ゑたる瀟洒なる一室には、九谷燒の徳利を載せたる午餐(ひるげ)の膳既に陳(なら)べられて、松蕈(まつたけ)の香(かぐ)はしき薫氣(かほり)はそこはかとなくあたりに滿てるにあらずや。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
その夜汝の家で陳(なら)べ立って来た我の云い草に気がついて見れば清吉が言葉と似たり寄ったり、ええ間違った一時の腹立ちに捲(ま)き込まれたか残念、源太男が廃(すた)る、意地が立たぬ、上人の蔑視(さげすみ)も恐ろしい
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ありったけの時計を、モスリンを、ショールを、ごちゃごちゃに陳(なら)べて、電燈を眩しくつけているだけである。
大阪を歩く (新字新仮名) / 直木三十五(著)
自身も恐らくは無理と知り宛(つつ)無理を陳(なら)べて一人で立腹して、また一人で立腹したとてまた一人で立腹して、罪も咎(とが)も無い文三に手を杖(つ)かして謝罪(わび)さしたので有ろう。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ル・ゴフさんの処方で病気が癒(なほ)つたので再びアンデパンダンの絵を観に行つた。セエヌ河の下流の左岸の空地(くうち)に細長い粗末な仮屋(かりや)を建てて千七百点からの出品が陳(なら)べてある。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
今までこれらのものの存在を見棄(みす)てたのは自覚の不足に依(よ)る。どの公な物産陳列所も、申し合せでもしたかのようにその地方の固有のものを陳(なら)べない。そうして都風(みやこふう)を摸(も)したものを目指している。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さうして気(き)が向(む)けば、いくらでも、蔵(くら)から出(だ)して来(き)て、客(きやく)の前(まへ)に陳(なら)べたものである。父(ちゝ)の御蔭(おかげ)で、代助は多少斯道(このみち)に好悪(こうお)を有(も)てる様になつてゐた。兄(あに)も同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
深雪が、顔を上げると、拝領物を飾る棚、重豪公の手らしい、横文字を書いた色紙、金紋の手箪笥、琴などが、綺麗に陳(なら)んでいた。そして、その前で、梅野は、紙張りの手焙(てあぶり)へ、手をかざしていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)