たけなわ)” の例文
天地はすでに夏に入り、江南の駅路うまやじや、平野の城市はもう暑さを覚える頃だが、その山上も、一眸いちぼうの山岳地も、春はいまがたけなわである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
応接室にては三郎へいげんと卓子テエブルを隔てて相対し、談判今や正にたけなわなり。洋妾ラシャメンかたえに侍したり。かれは得々としてへいげんの英語を通弁す。
金時計 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
戦場ヶ原は秋正にたけなわである。東から北にかけての落葉松の林が続いていたように覚えているが、今は殆ど伐り尽されて、眺望は開闊になった。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
山が次第に深まるにれて秋はいよいよたけなわになる。われわれはしばしばくぬぎ林の中に這入はいって、一面に散り敷く落葉の上をかさかさ音を立てながら行った。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして酒たけなわなる時「おれはお前方まえがたの供をして、大ぶ世話になったことがあるが、今日は己もお客だぞ」といった。大丈夫だいじょうふ志を得たという概があったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
春もたけなわの遅桜、早桃が見渡す限りの筑紫野の村々に咲き乱れて、吾れ勝ちに揚る揚雲雀も長閑な博多東中洲の野菜畑の間を縫うて行く異様な二人連れがあった。
けだし春暖に至れば景隆の来り戦わんことをはかりて、燕王の請えるなり。春たけなわにして、南軍いきおいを生じぬ。四月さく、景隆兵を徳州とくしゅうに会す、郭英かくえい呉傑ごけつ真定しんていに進みぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
宴会がようやくたけなわの頃であった。貴族院議員小笠原某が別室へ来て、谷に面会を申しこんできた。谷は中座して、数分ののちには何事もなかった顔付でもどってきた。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
船中の人々は今を興たけなわの時なりければ、河童かっぱを殺せ、なぐり殺せとひしめき合い、荒立ちしが、長者ちょうじゃげんに従いて、皆々おだやかに解散し、大事だいじに至らざりしこそ幸いなれ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
王は学士や大臣に命じて宴席に陪侍ばいじさした。酒がたけなわになった時、宮女が進み出ていった。
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
いよいよ秋もたけなわになってすいすいと赤蜻蛉あかとんぼの飛び交う爽やかな陽射しとなってきたが
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
夏の盛りを三月あまりもして、秋たけなわならんとする頃に遂に空しくなりぬ。
秋のおさらいは昼よりも灯する頃より夜と共に興たけなわなるがつねだ。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
それは三ヶ月以前の春もたけなわな頃の出来事だった。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
妖姿冶態正春闌 妖姿ようし 冶態やたい まさはるたけなわなり
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
祭の神楽の音は今まさ劉喨りゅうりょうたけなわである。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
われ等の祭はたけなわなり。
中禅寺湖畔では秋が未だたけなわでないのに、尾瀬沼では既に冬の領となっている訳が成程と首肯うなずかれる。
尾瀬雑談 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
保は二月九日の母が天麩羅蕎麦てんぷらそばを食べて炬燵こたつに当り、史を談じてこうたけなわなるに至ったことを記憶している。また翌十日にも午食ごしょくに蕎麦を食べたことを記憶している。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
鐘さえ霞む日はたけなわに、眉をかすめる雲は無いが、うっすりとある陽炎かげろうが、ちらりと幻を淡く染めると、露地を入りかけた清葉は、風説うわさの吾妻下駄と、擦違うように悚然ぞっとした。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二三人の公卿たちが代る/″\立って舞い出した頃から、宴はだん/\たけなわになって行った。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その日は、二月二十八日、京洛けいらくの春もたけなわの頃だった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
準平は平素県令国貞廉平くにさだれんぺいの施設にあきたらなかったが、宴たけなわなる時、国貞の前に進んでさかずきを献じ、さて「おさかなは」と呼びつつ、国貞にそむいて立ち、かかげてしりあらわしたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
次第に、麦も、田も色には出たが、菜種なたねの花も雨にたたかれ、はたけに、あぜに、ひょろひょろと乱れて、女郎花おみなえしの露を思わせるばかり。初夏はおろか、春のたけなわな景色とさえ思われない。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
唯私は宴がたけなわに及んだとき既におびただしく酔つ払つて、間もなくその辺を泳ぎ廻つてゐた。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
まさたけなわになりて、この楽器のうちにひそみしさまざまのいとの鬼、ひとりびとりにきわみなきうらみを訴へをはりて、いまや諸声もろごえたてて泣響なきとよむやうなるとき、いぶかかしや、城外に笛の起りて
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そのうちに京都の夏は追ひ/\たけなわになつて来る。加茂川には床が張り出される。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
柳はほんのりとえ、花はふっくりとつぼんだ、昨日今日、緑、くれない、霞の紫、春のまさにたけなわならんとする気をめて、色の濃く、力の強いほど、五月雨さみだれか何ぞのような雨の灰汁あくに包まれては
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あの、紅また薄紅、うつくしい小さな天女の、水晶の翼は、きらきらと輝くのだけれど、もう冬で……遊びもたけなわに、恍惚うっとりしたらしく、夢を徜徉さまようように、ふわふわと浮きつ、沈みつ、ただよいつ。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わが十二の時、王宮の冬園ふゆそのに夜会ありて、二親みな招かれぬ。うたげたけなわなる頃、国王見えざりければ、人々驚きて、移植うつしうゑし熱帯草木そうもくいやが上に茂れる、硝子ガラス屋根の下、そこかここかと捜しもとめつ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
少し遠慮して、間をおいて、三人でひとしく振返ると、一脈の紅塵こうじん、軽く花片はなびらを乗せながら、うしろ姿を送って行く。……その娘も、町の三辻の処で見返った。春たけなわに、番町の桜は、しずかである。
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉あかとんぼの羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎かげろうという光ある幻影まぼろしが、春のたけなわなるごとく、浮いて遊ぶ。……
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、待て——蕈狩たけがり、松露取はたけなわの興にった。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)