トップ
>
赤坂
>
あかさか
ふりがな文庫
“
赤坂
(
あかさか
)” の例文
二人は精養軒で食事を済せると自動車を呼ばせて、明智の泊っている
赤坂
(
あかさか
)
の
菊水
(
きくすい
)
旅館に向った。紋三は妙にうれしい様な気持だった。
一寸法師
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
尋ね出して
夫
(
をつと
)
道十郎殿の惡名を
雪
(
すゝ
)
がせん者をと夫より心を定め
赤坂
(
あかさか
)
傳馬町
(
でんまちやう
)
へと引取られ同町にて
表
(
おもて
)
ながらも
最
(
いと
)
狹
(
せま
)
き
孫店
(
まごだな
)
を
借受
(
かりうけ
)
爰に
雨露
(
うろ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
赤坂
(
あかさか
)
から青山の通りをぬけ——そこらはみんなむざんな
焼跡
(
やけあと
)
だった——それから
渋谷
(
しぶや
)
へ出た。渋谷も焼けつくしていたがおまわりさんが
辻
(
つじ
)
に立っていた。
一坪館
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
深川
(
ふかがわ
)
、浅草、
日本橋
(
にほんばし
)
、
京橋
(
きょうばし
)
の全部と、
麹町
(
こうじまち
)
、神田、
下谷
(
したや
)
のほとんど全部、
本郷
(
ほんごう
)
、
小石川
(
こいしかわ
)
、
赤坂
(
あかさか
)
、
芝
(
しば
)
の一部分(つまり東京の商工業区域のほとんどすっかり)
大震火災記
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
芭蕉の句に、夏の月
御油
(
ごゆ
)
より出でて
赤坂
(
あかさか
)
や……だが、そんな風流気は、いまの主水正主従にはございません。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
何
(
なん
)
でもそれによると、Hの教師をしてゐる学校が
昨日
(
きのふ
)
赤坂
(
あかさか
)
の或御茶屋で新年会を
催
(
もよほ
)
したのださうである。
東京小品
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
いつかは、何かの新聞で、東海道の
何某
(
なにがし
)
は雀うちの老手である。並木づたいに
御油
(
ごゆ
)
から
赤坂
(
あかさか
)
まで
行
(
ゆ
)
く間に、雀の
獲
(
え
)
もの約一千を下らないと言うのを見て
戦慄
(
せんりつ
)
した。
二、三羽――十二、三羽
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
蘇山人湖南の
官衙
(
かんが
)
にあること
歳余
(
さいよ
)
病
(
やまい
)
を得て再び日本に来遊し
幾何
(
いくばく
)
もなくして
赤坂
(
あかさか
)
一
(
ひと
)
ツ
木
(
ぎ
)
の寓居に歿した。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
「
昨朝
(
きのう
)
ちょっと寄って来た。
叔母様
(
おばさん
)
も元気でいなさる。が、もう君たちが帰りそうなものだってしきりとこぼしていなすッたッけ。——
赤坂
(
あかさか
)
の方でもお変わりもありませんです」
小説 不如帰
(新字新仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
博奕
(
ばくち
)
打ちの仲間へ入って、博奕は打つ、
赤坂
(
あかさか
)
の勘兵衛長屋の
比丘尼
(
びくに
)
狂いはする、そのうえ、このごろは、その比丘尼をうけだして、夜も昼も入り浸ってると云うことだが、だいち
四谷怪談
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
夏の初、月色
街
(
ちまた
)
に満つる夜の十時ごろ、カラコロと鼻緒のゆるそうな
吾妻下駄
(
あずまげた
)
の音高く、
芝琴平社
(
しばこんぴらしゃ
)
の後のお濠ばたを十八ばかりの
少女
(
むすめ
)
、
赤坂
(
あかさか
)
の方から物案じそうに首をうなだれて来る。
二少女
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
明治七年一月には、ついに征韓派たる高知県士族
武市熊吉
(
たけちくまきち
)
以下八人のものの手によって東京
赤坂
(
あかさか
)
の途上に右大臣岩倉
具視
(
ともみ
)
を要撃し、その身を傷つくるまでに及んで行った。そればかりではない。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
鉄三郎が
徳安
(
とくあん
)
と改め、維新後にまた磐と改めたのである。磐の嗣子
信治
(
しんじ
)
さんは今
赤坂
(
あかさか
)
氷川町
(
ひかわちょう
)
の姉壻
清水夏雲
(
しみずかうん
)
さんの
許
(
もと
)
にいる。三十九年には脩が入京して
小石川
(
こいしかわ
)
久堅町
(
ひさかたちょう
)
博文館印刷所の校正係になった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
それは
赤坂
(
あかさか
)
学院も立派な学校には違いございますまい。
或る女:1(前編)
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
東京市は
頻
(
しきり
)
に西洋都市の外観に
倣
(
なら
)
わんと欲して近頃この種の楓または
橡
(
とち
)
の
類
(
たぐい
)
を各区の路傍に植付けたが、その最も不調和なるは
赤坂
(
あかさか
)
紀
(
き
)
の
国坂
(
くにざか
)
の往来に越す処はあるまい。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
赤坂
(
あかさか
)
の
見附
(
みつけ
)
に
近
(
ちか
)
い、
唯
(
と
)
ある
珈琲店
(
コオヒイてん
)
の
端近
(
はしぢか
)
な
卓子
(
テエブル
)
で、
工學士
(
こうがくし
)
は
麥酒
(
ビイル
)
の
硝子杯
(
コツプ
)
を
控
(
ひか
)
へて
云
(
い
)
つた。
人魚の祠
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
某
(
ある
)
商人
(
あきんど
)
が
深更
(
よふけ
)
に
赤坂
(
あかさか
)
の
紀
(
き
)
の
国
(
くに
)
坂を通りかかった。左は
紀州邸
(
きしゅうてい
)
の
築地
(
ついじ
)
塀、右は
濠
(
ほり
)
。そして、濠の向うは
彦根
(
ひこね
)
藩邸の
森々
(
しんしん
)
たる木立で、深更と言い自分の影法師が
怖
(
こわ
)
くなるくらいな物淋しさであった。
狢
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
つぎは
赤坂
(
あかさか
)
。名物、
青小縄
(
あおこなわ
)
、網、
銭差
(
ぜにさ
)
し、
田舎
(
いなか
)
っくさいものばかり。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
「
赤坂
(
あかさか
)
かい。お安くないね」
五階の窓:01 合作の一(発端)
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
夏の月
御油
(
ごゆ
)
より出でて
赤坂
(
あかさか
)
や
芭蕉雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
医者とも見える眼鏡の紳士が一人。汚れた
襟付
(
えりつき
)
の
袷
(
あわせ
)
に
半纏
(
はんてん
)
を重ねた
遣手婆
(
やりてばば
)
のようなのが一人——いずれにしても
赤坂
(
あかさか
)
麹町
(
こうじまち
)
あたりの電車には、あまり見掛けない人物である。
寺じまの記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
執筆
(
しつぴつ
)
の
都合上
(
つがふじやう
)
、
赤坂
(
あかさか
)
の
某旅館
(
ぼうりよくわん
)
に
滯在
(
たいざい
)
した、
家
(
いへ
)
は
一堪
(
ひとたま
)
りもなく
潰
(
つぶ
)
れた。
露宿
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
二人の生活は、最初家を借りた
赤坂
(
あかさか
)
から
芝公園
(
しばこうえん
)
へ引越した後、更に移って
東中野
(
ひがしなかの
)
へ落ちついた頃には、何も知らない人の目には
羨
(
うらやま
)
しいほど平和に幸福に見られるようになっていた。
ひかげの花
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
私
(
わたし
)
たちは
七丁目
(
なゝちやうめ
)
の
終點
(
しうてん
)
から
乘
(
の
)
つて
赤坂
(
あかさか
)
の
方
(
はう
)
へ
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
た……あの
間
(
あひだ
)
の
電車
(
でんしや
)
は
然
(
さ
)
して
込合
(
こみあ
)
ふ
程
(
ほど
)
では
無
(
な
)
いのに、
空
(
そら
)
怪
(
あや
)
しく
雲脚
(
くもあし
)
が
低
(
ひく
)
く
下
(
さが
)
つて、
今
(
いま
)
にも
一降
(
ひとふり
)
來
(
き
)
さうだつたので、
人通
(
ひとどほ
)
りが
慌
(
あわたゞ
)
しく、
一町場
(
ひとちやうば
)
二町場
(
ふたちやうば
)
人魚の祠
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
赤
常用漢字
小1
部首:⾚
7画
坂
常用漢字
小3
部首:⼟
7画
“赤坂”で始まる語句
赤坂見附
赤坂区
赤坂喰違
赤坂城
赤坂以來
赤坂台町
赤坂氷川
赤坂表町
赤坂離宮
赤坂豊川稲荷