あらは)” の例文
壽阿彌は一部の書をもあらはさなかつた。しかしわたくしは壽阿彌がいかなる書をも著はすことを得る能文の人であつたことを信ずる。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
羅子らし水滸すいこせんして、三世唖児あじみ、紫媛しゑん源語げんごあらはして、一旦悪趣につるは、けだごふのためにせまらるるところのみ。
記録きろくあらはれたものもほとんく、弘仁年間こうにんねんかん藥師寺やくしじそう景戒けいかいあらはした「日本靈異記にほんれいいき」がもつとふるいものであらう。今昔物語こんじやくものがたりにも往々わう/\化物談ばけものだんる。
妖怪研究 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
金澤かなざはばかりかとおもひしに、久須美佐渡守くすみさどのかみあらはす、(浪華なにはかぜ)とふものをめば、むかし大阪おほさかのことあり——二日ふつかあけなゝどきまえより市中しちうほらなどいて
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
○又尾張の名古屋の人吉田重房があらはしたる筑紫記行つくしきかう巻の九に、但馬国たじまのくに多気郡たけこほり納屋村なやむらより川船にて但馬の温泉いでゆいた途中みちしるしたるくだりいはく、○猶舟にのりてゆく
終りにのぞんで讀者諸君に一言す。余は以上の風俗考を以て自ら滿足まんぞくする者に非ず、尚ほ多くの事實を蒐集總括して更に精しき風俗考をあらはさんとはの平常ののぞみなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
穰苴じやうしよ區區くくとして小國せうこくめにるがごとき、なん司馬しば兵法へいはふ(三九)揖讓いふじやうおよぶにいとまあらんや。すで司馬しば兵法へいはふおほし、ゆゑもつろんぜず、穰苴じやうしよ列傳れつでんあらはす。
つひに『山陵志さんりようし』といふほんあらはしたりしたころから、御陵ごりよう研究けんきゆうにつれておこつたのでありました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
仏蘭西フランスなどに在つては何かの機会で世にあらはれた詩人の下積したづみに成つて、おいも若きも多数の作家はまつたうかぶ瀬を失ひ、勢ひヌエの様に諦めを附けてひとりを楽しむ外は無いのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加をあらはしつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。
平八郎のあらはした大学刮目だいがくくわつもく訓点くんてんほどこした一にんで、大塩の門人中学力のすぐれた方である。此宇津木が一昨年九州に遊歴して、連れて来た孫弟子がある。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
宝暦年中平賀鳩渓きうけい(源内)火浣布をはじめてせいし、火浣布考くわくわんふかうあらはし、和漢の古書を引、本朝未曾有みそう奇工きこうほこれり。ぼつしてのち其術そのじゆつつたはらず、好事家かうづか憾事かんじとす。
○又尾張の名古屋の人吉田重房があらはしたる筑紫記行つくしきかう巻の九に、但馬国たじまのくに多気郡たけこほり納屋村なやむらより川船にて但馬の温泉いでゆいた途中みちしるしたるくだりいはく、○猶舟にのりてゆく
俄羅斯オロシアの人ツルゲニエフ小説喧嘩買けんくわがひ、Bretojór をあらはす。獨逸の人ヰルヘルム・ランゲ其文を讀みて作者が喧嘩買をにくみながらもあへて一貶辭へんじさしはさまざるを稱へて止まず。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
宝暦年中平賀鳩渓きうけい(源内)火浣布をはじめてせいし、火浣布考くわくわんふかうあらはし、和漢の古書を引、本朝未曾有みそう奇工きこうほこれり。ぼつしてのち其術そのじゆつつたはらず、好事家かうづか憾事かんじとす。
昌平黌しやうへいくわうに講説し、十年榊原遠江守政令さかきばらとほたふみのかみまさなりに聘せられ、天保三年故あつて林氏の籍を除かれ、弘化四年榊原氏の臣となり、嘉永三年伊豆七島全圖をあらはして幕府の譴責けんせきを受け、榊原氏の藩邸に幽せられ
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)