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昌平黌
ふりがな文庫
“昌平黌”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
しょうへいこう
88.2%
しやうへいくわう
11.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
しょうへいこう
(逆引き)
父の死によって御届方という役名だけは継いでいたが、実際には無役だったので、かれは江戸へのぼって
昌平黌
(
しょうへいこう
)
へ入学することを願い出た。
新潮記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
昌平黌
(
しょうへいこう
)
と、道場のほかにも、武士が稽古に通うところがあるのを初めて知って、彼は、少し世間を考え直した。
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
昌平黌(しょうへいこう)の例文をもっと
(15作品)
見る
しやうへいくわう
(逆引き)
昌平黌
(
しやうへいくわう
)
に講説し、十年
榊原遠江守政令
(
さかきばらとほたふみのかみまさなり
)
に聘せられ、天保三年故あつて林氏の籍を除かれ、弘化四年榊原氏の臣となり、嘉永三年伊豆七島全圖を
著
(
あらは
)
して幕府の
譴責
(
けんせき
)
を受け、榊原氏の藩邸に幽せられ
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
寛政八年襄年十八、叔父頼杏坪に従つて東遊し
昌平黌
(
しやうへいくわう
)
に学び尾藤二洲の塾に在り。此行一の谷を過ぎて平氏を
吊
(
とむら
)
ひ、
湊川
(
みなとがは
)
に至りて楠氏の墳に謁し、京都を過ぎて帝京を見、東海道を経て江戸に入る。
頼襄を論ず
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
昌平黌(しやうへいくわう)の例文をもっと
(2作品)
見る
“昌平黌(昌平坂学問所)”の解説
昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)は、1790年(寛政2年)、神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関・施設。正式の名称は「学問所」であり「昌平黌」(しょうへいこう)とも称される。
(出典:Wikipedia)
昌
漢検準1級
部首:⽇
8画
平
常用漢字
小3
部首:⼲
5画
黌
漢検1級
部首:⿈
25画
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