昌平黌しやうへいくわう)” の例文
昌平黌しやうへいくわうに講説し、十年榊原遠江守政令さかきばらとほたふみのかみまさなりに聘せられ、天保三年故あつて林氏の籍を除かれ、弘化四年榊原氏の臣となり、嘉永三年伊豆七島全圖をあらはして幕府の譴責けんせきを受け、榊原氏の藩邸に幽せられ
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
寛政八年襄年十八、叔父頼杏坪に従つて東遊し昌平黌しやうへいくわうに学び尾藤二洲の塾に在り。此行一の谷を過ぎて平氏をとむらひ、湊川みなとがはに至りて楠氏の墳に謁し、京都を過ぎて帝京を見、東海道を経て江戸に入る。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)