焦躁しょうそう)” の例文
そこへ仁木義長とこう師直もろなおも、ふなべりを接している隣の船からはいって来て、同じような焦躁しょうそうをおもてに持ち、尊氏へむかって言った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
焦躁しょうそうの色おおうべくもなく、顔色さえ青ざめて、追いつめられたけだもののように、隙もあらば反撃せんと、血走る目をみはっていた。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私がその失敗の後に非常な焦躁しょうそうと不安とを感じたことをもって見れば私の企ての動機のなかに不純なものが含まれていたことは明らかである。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
蜘蛛の巣さえなければ、この男を助けておくのではなかったといった不思議な焦躁しょうそうが、新吉の胸をさいなみ始めた様子です。
それにどういうものか、こんどそれを見損ったら、一生見られないでしまうような焦躁しょうそうのようなものさえ感ぜられるのです。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
其処を通りぬけて心霊に響くからこそ、あの直接性があるのであろう。私は一時、一晩でも音楽をきかないと焦躁しょうそうに堪えられない時期があった。
触覚の世界 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
只管ひたすらに現状打破を望む性急焦躁しょうそうのものが、くべき方向の何たるかを弁ずるをえずして、さきにコンムュニズムに狂奔し今はファッシズムに傾倒す。
二・二六事件に就て (新字新仮名) / 河合栄治郎(著)
何んとも云いがたい焦躁しょうそうに胸の湧き立つのが感じられるのである。これは私自身の勝手な感情のはたらきかも知れない。
それでゐながら、早速皆三にふほどの勇気も出ない。日毎ひごと憂鬱ゆううつ焦躁しょうそうに取りこめられるやうにお涌はなつて行つた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
胸の奥のひそかな不安や焦躁しょうそうをまぎらしているのだけれども、お母さまは、この頃、目立って日に日にお弱りになっていらっしゃるように見える。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そういえばかんかんと日の高くなった時分に、その家のしきいまたいで戸外に出る時のいうに言われない焦躁しょうそうがまのあたりのように柿江の心によみがえった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
お前も材木をかつがねばならぬという、無意味な競争心と、愚劣な模倣のために、焦躁しょうそうする男ではありません。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁しょうそうと不安とにさいなまれているいたましい芸術家の姿を見出した。
沼地 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
さらに、それをおもうたびに、まるでショウ・ウィンドウの向うの一皿料理を見るみたいな、それに手のとどかぬ焦躁しょうそうと猛烈な嗜欲しよくと絶望とをかんじるのだ。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
詭弁きべんと真理とが相交じってる空気の中にはそれほど悪気がこもっていた。人の精神は、あたかも嵐の前の木の葉のごとく、社会の焦躁しょうそうのうちに震えていた。
こんなことから宮の御感情はまたまた硬化していくのに対して、夕霧が煩悶はんもん焦躁しょうそうで夢中になっている間、一方で雲井の雁夫人の苦悶くもんは深まるばかりであった。
源氏物語:40 夕霧二 (新字新仮名) / 紫式部(著)
姫は、立ってもても居られぬ、焦躁しょうそうもだえた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
だが、何の職業にもけず、世間にも知られず、ひたすら自分ひとりで、ものを書いて行こうとする男には、身をりさいなむばかりの不安と焦躁しょうそうが渦巻いていた。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
激しい焦躁しょうそうはひとまず政事の舞台から退いて、協調と忍耐とが入れかわりに進んだのである。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
晩秋の黄昏たそがれがはやしのび寄ったようなかげの中を焦躁しょうそうの色を帯びた殺気がふと行き交っていた。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
それは人心の焦躁しょうそうと無意識的ではあろうが不当な欲求との集積から生れ出る流行性の熱病である。そしてその防禦ぼうぎょには、科学はそして大抵の学者もまた案外無力なものである。
千里眼その他 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
帆村はW大学の図書館の閲覧室えつらんしつをあっちへ歩きこっちへ歩き、けつくような焦躁しょうそうの中に苦悶したけれど、どうにも分らない。アラスカのウェールス岬がどうしたというのだ。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
御簾みすの中から、少将の焦躁しょうそうが手にとるようにわかる。小督にとってもそれは辛いことであった。しかし、いったん君の想い者になった今では、軽はずみな真似まねは許されなかった。
古代を笑ふ近代マニヤ連中の内兜うちかぶとは、すつかり見透しなのだからね。あの連中の傲慢ごうまんな表情はじつは裏返された卑屈感と焦躁しょうそうにすぎない。あの連中とはつまりわれわれのことだ。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
李徴はようや焦躁しょうそうに駆られて来た。このころからその容貌ようぼう峭刻しょうこくとなり、肉落ち骨ひいで、眼光のみいたずらに炯々けいけいとして、かつて進士に登第とうだいした頃の豊頬ほうきょうの美少年のおもかげは、何処どこに求めようもない。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼女は、この気位の高い妹も、矢張内々は焦躁しょうそうを感じており、一と頃のように「見合い」に対してそう気むずかしいことを云わないような心境になっているのかも知れない、と察した。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
自分の見る点では、内匠頭はいよいよ最後の瞬間まではもっとずっと焦躁しょうそう憤懣ふんまんとを抑制してもらいたい。そうして最後の刹那せつなの衝動的な変化をもっと分析して段階的加速的に映写したい。
映画雑感(Ⅲ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
七三郎の巴之丞が、洛中らくちゅう洛外の人気をそそって、弥生狂言をも、同じ芸題だしもので打ち続けると云う噂を聞きながら、藤十郎は烈しい焦躁しょうそうと不安の胸を抑えて、じっと思案の手をこまぬいたのである。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
茂緒は自分の母のことをも思いだしながら、ごろっとその上にねころんだ。やっぱり修造のにおいがした。茂緒はうっとりとしていた。それは、不安と焦躁しょうそうをしずめる作用があるようだった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
病は苦悩の多く強いものでは無かったが、美しい花の日に瓶中へいちゅうしおれゆくが如く、清らな瓜の筺裏きょうりに護られながらようやく玉の艶を失って行くように、次第次第衰え弱った。定基は焦躁しょうそうしだした。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか——酒を飲んだあとに宿酔ふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
檸檬 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
感情というものは、暖かな誠実な感情は、いつも陳腐で役に立たないもので、芸術的なのはただ、われわれの損なわれた、われわれの技術的な神経組織が感じる焦躁しょうそうと、冷たい忘我だけなのです。
ぼくの焦躁しょうそうはひどいものでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
絶えず何か焦躁しょうそうを感じていた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「そうか……」と、すべてを聞き終った有村は、下唇を締めて、こうしてはおられないという焦躁しょうそうを、静かな動作のうちにゆるがせた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次とガラッ八は、不安と焦躁しょうそうに眼ばかり光らせている雇人の中をお勝手から納戸へ、奥の方へと通う廊下を導かれます。
不安と焦躁しょうそうと渇望と、何か知られざるものに対する絶望とでめちゃめちゃな日々を送り、遂に北海道移住を企てたり、それにもたちまち失敗したり
智恵子の半生 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
ひたいほおもがつしりしてゐて、熱情家らしい黒目勝ちの大きい眼が絶えずふるへてゐるやうに見えた。沈鬱ちんうつ焦躁しょうそうが、ときどきこの少年に目立つて見えた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
二日三日は、珠子の葬儀などにとりまぎれて、知らぬ間に過ぎ去ったが、五日十日と日がたつにつれて、守青年はどうにも出来ない焦躁しょうそうを感じ始めた。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それがゆえに彼の未来を切り開いて、自分の立場に一日でも早く立ち上がろうとする焦躁しょうそうは激しくなった。万事につけて彼の気持はそんな風に動いていった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
怒と焦躁しょうそうとが絶えず混淆こんこうしている。同じ理由から、今日では怒と憎みとの区別も曖昧あいまいになっている。怒る人を見るとき、私はなんだか古風な人間に会ったように感じる。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
昼のうちからお松の焦躁しょうそうの種をいていた、あのイヤな桶屋さんの置き放した桶の前まで来ると、一人ずつが素早く、その大きな修繕半ばの天水桶を無雑作に押傾けると
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうして、妻の焦躁しょうそうは無言の時、一際ひときわはっきりと彼の方へ反映して来るようであった。その高い額の押黙って電灯にさらされている姿が、今も何となく彼には堪えがたくなる。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
あの米騒動以来、だれしもの心を揺り動かさずには置かないような時代の焦躁しょうそうが、右も左もまだほんとうにはよくわからない三郎のような少年のところまでもやって来たかと。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と後悔やら恐怖やら焦躁しょうそうやらで、胸がわくわくして、生きて居られぬ気持になり
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして彼の焦躁しょうそうがどうにも待ちきれなくなり、遂に一大爆発をしようとした午後九時になって、廊下に跫音あしおとも荒々しく、待ちに待った牧山大佐がひどく興奮した面持をして這入はいってきた。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
世の溷濁こんだくと諸侯の無能と孔子の不遇とに対する憤懣ふんまん焦躁しょうそうを幾年か繰返くりかえした後、ようやくこの頃になって、漠然とながら、孔子及びそれに従う自分等の運命の意味が判りかけて来たようである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
これで間違いが起ったとしても、責められるのは二人でなくて自分ではないか。何としても、これは片時も捨て置けない。こうしている間も気懸りである。………彼女は堪え難い焦躁しょうそうを感じた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とまでいったという柴田勝家の焦躁しょうそうは、焦躁としても、さすがに兵家の老練といっていい。玄蕃允のあまい公算とは大きにちがう。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小助は不安と焦躁しょうそうにかき廻されて、日頃の落着きを失っているらしい店の者や近所の衆をかきわけて、奥のささやかな部屋に平次を案内しました。