海人あま)” の例文
「あはは、しびよ。そちはさかなだ。いかにいばっても、そちをきに来る海人あまにはかなうまい。そんなにこわいものがいては悲しかろう」
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
落魄らくはくして漁民となったのだといわれているが、彼自身は「片海の石中いそなかの賤民が子」とか、「片海の海人あまが子也」とかいっている。
かくの如きはもちろん除外例ではあるが、中世までも彼らは山人やまひと海人あまと連称せられて、一般人民との間に或る区別が認められたのであった。
海岸で網を引上げるために、網引く者どもの人数をそろえいろいろ差図手配する海人あまのこえが、離宮の境内まで聞こえて来る、という歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
それとも、いざとなつたらその名のごとく海人あまのたつきにも堪へようし、杣人の暮らしなんぞはお茶の子に相違あるまい。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
さらば内部の作業員に多分の病人でも出来たのか、海人あまや海女たちが競争心の結果、潜水の度が過ぎて、身体からだでもこわしてのけたのではないか。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かれ諺に、「海人あまなれや、おのが物から泣く一四」といふ。然れども宇遲の和紀郎子は早くかむさりましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。
前駆の人払いの声の遠くなるとともに涙は海人あまり糸をれんばかりに流れるのを、われながらあさましいことであると思いつつ中の君は寝ていた。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
隠岐からもまた再三、海人あまの便りに託しての密使があった。——それらはすでに去年のことに属している。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私はすぐ石川の女郎の 志可の海人あま刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに を思ひ出した。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
旅人が乗馬して海人あまに赤貝を買い取って見る拍子にその貝馬の下顎したあごい付き大いに困らす。
あたひたかき物は海人あまの家にふさはしからず。父の見給はばいかにつみし給はんといふ。豊雄、一三三たからつひやして買ひたるにもあらず。きのふ一三四人のさせしをここに置きしなり。
此の絶景を占領して居る万作が家は主人あるじだけ無風流だ。歌に詠んでこそ海人あまだが、内はしきりもない一間に炉を切って、煤だらけな自在をかけ、其処らじゅう漁の道具何かで一ぱいだ。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
口の減らないじじいめが、何を痴事たわごとかしおる! 我が日本ひのもとは神国じゃ。神の御末みすえは連綿と竹の園生そのうに生い立ちおわす。海人あまが潮汲む浦の苫屋とまやしずまき切る山の伏屋ふせや、みなこれ大君おおぎみの物ならぬはない。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ほかにも、とほつてゐるふねがある。自分じぶんふねつて、たびをしてゐる。あゝして、むかうとほつてゐるふねかられば、われ/\をばこの藤江ふぢえうらで、すゝきりをしてゐる海人あま村人むらびとてゐるだらうよ。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
世の中はつねにもかもななきさ漕く海人あまの小舟の綱手かなしも
歌よみに与ふる書 (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
春の日の浦々ごとに出でて見よ何わざしてか海人あまは過ぐすと
二人の女歌人 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
海人あまが子がもぐり漕ぎたみみるめ刈るここの漣かぎり知られず
雲母集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
あらたへの藤江の浦にいさりする海人あまとか見らん旅行く我を
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
桃畑を庭としつづく海人あまが村冬枯れはてて浪ただきこゆ
またおも釣船つりぶね海人あまの子を、巖穴いはあなかぐろふ蟹を
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
海人あまの舟路を慕ひしが
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
海人あまの釣船
お伽草紙 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
麻続王おみのおおきみが伊勢の伊良虞いらごに流された時、時の人が、「うちそを麻続をみおほきみ海人あまなれや伊良虞が島の玉藻たまも刈ります」(巻一・二三)といって悲しんだ。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
コウゾの長い綱を延ばして釣をする海人あまの釣り上げた大きなすずきをさらさらと引き寄せあげて、つくえもたわむまでにりつぱなお料理を獻上致しましよう
「音に聞く松が浦島うらしま今日ぞ見るうべ心ある海人あまは住みけり」という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
海人あまはあっちへ行ったり、こっちへ来たり、それが二度や三度ではなかったので、とうとう行ったり来たりにくたびれて、しまいにはおんおんきだしてしまいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
 大磯の追儺つゐなの男豆打てば脇役がいふ「ごもつともなり」 その大雪の光景は又 海人あまの街雪過ちて尺積むと出でて云はざる女房も無し と抒述されてまるで眼前に見る様だ。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
これらの海人あまを載せて、船の沈下している海上まで運ぶべき介添船かいぞえぶねは、海岸に待っている。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また安曇氏は海人あまの長とあって、海人の中には明らかに土蜘蛛の子孫と称せられたものもあり、しからざるもこれが多く先住民の後たることは、種々の点から認定せられるのである。
手長と足長:土蜘蛛研究 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
あらたへの ふぢえがうらすゝき海人あまとからむ。たびくわれを
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
世の中はつねにもがもななぎさ漕ぐ海人あま小舟おぶねの綱手かなしも
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また思ふ釣船の海人あまの子を、巌穴いはあなかぐろふかに
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
海人あまの釣船
お伽草紙 (旧字旧仮名) / 太宰治(著)
なお、人麿の覉旅歌には、「飼飯けひの海のにはよくあらしかりごものみだれいづ見ゆ海人あまの釣船」(巻三・二五六)というのもあり、棄てがたいものである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
かくてオホサザキの命とウヂの若郎子とお二方、おのおの天下をお讓りになる時に、海人あまが貢物を獻りました。
近所で時々煙の立つのを、これが海人あまの塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山でしばべている煙であった。これを聞いた時の作
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
このほかにも鬼の子孫だという旧家は所々にあったが、要するにこれらは、先住民族の子孫だということを認めておったものでありましょう。山人が山間にのこった様に、海浜にも海人あまが遺る。
そのときある海人あまが、天皇へ献上けんじょうする物を持ってのぼって来ました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
世の中はつねにもがもななぎさ海人あま小舟おぶね綱手つなでかなしも
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
海人あまならひ
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人あまにへを貢りつ。
まだ迷っているのですか、「風のなびき」(にけりな里の海人あまの煙心弱さに)
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
海岸島嶼に離れて住んだ海人あまの徒が、またしばしば鬼と呼ばれていた事は、かの鬼が島の童話や、能登の鬼の寝屋の話や、今も出雲の北海岸の漁民を俗に夜叉と呼んでいることからでも察せられ
大宮の内まで聞ゆ網引あびきすと網子あごととのふる海人あまの呼び聲 長奧麻呂
愛国百人一首評釈 (旧字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
漁から帰った海人あまたちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ここに兄はいなびて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に許多あまたの日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、海人あまは既に往還ゆききに疲れて泣けり。
漁夫はすなわち海人あまで、古えにいわゆる海部あまべの部族である。
しほしほとづぞ泣かるるかりそめのみるめは海人あまのすさびなれども
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一人ながめしよりは海人あまの住むかたを書きてぞ見るべかりける
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)