歿ぼっ)” の例文
鹿島ゑ津さんはすなわち初代ぽん太で、明治十三年生だから昭和十一年には五十七歳になるはずで、大正十四年四十六歳で歿ぼっしたのである。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そうしてH氏は二週間もその苦痛を続けた後に歿ぼっせられたのですが、病院へ見舞に行き合せて氏のその悲痛な言葉を聞いた良人と私とは
婦人改造の基礎的考察 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
抽斎はその数世すせいそんで、文化ぶんか中に生れ、安政あんせい中に歿ぼっした。その徳川家慶いえよしに謁したのは嘉永かえい中の事である。墓誌銘は友人海保漁村かいほぎょそんえらんだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それが皆三の両親である。三人の男の子が生れた頃、どういふものか、祖父は突然その婿を離縁してやがて自分も歿ぼっした。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
之に遇えば物に害あり。ゆえ大厲だいれい門に入りて晋景しんけい歿ぼっし、妖豕ようしいて斉襄せいじょうす。くだようをなし、さいおこせつをなす。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
加うるに艶妻がたたりをなして二人の娘を挙げると間もなく歿ぼっしたが、若い美くしい寡婦は賢にしてく婦道を守って淡島屋の暖簾のれんを傷つけなかった。
霍去病かくきょへいが死んでから十八年、衛青えいせい歿ぼっしてから七年。浞野侯さくやこう趙破奴ちょうはどは全軍を率いてくだり、光禄勲こうろくくん徐自為じょじい朔北さくほくに築いた城障もたちまち破壊される。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
私は先生が歿ぼっするまで年をとるに従って愈々いよいよ交わりを親しくした友人である。最も畏敬する先輩として、実にあの人を失ったのは非常に悲しむのである。
祖父富五郎はちょうど私が十二歳で師匠の家に弟子でし入りした年、文久三年七十二歳の高齢で歿ぼっしました。
阿仏は鎌倉で歿ぼっし、引きつづいて弘安九年為氏六十五で薨ずると、二条家では嫡子為世がつづいて争い、ようやく二十七年たって正和しょうわ二年、冷泉為相の勝訴となった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
独逸の留学から帰って早く歿ぼっせられましたが、明治医界の先輩で、今の大阪の緒方医学博士の御一族です
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
歿ぼっする二日前に、心友の官兵衛孝高よしたかへ宛てて認めたものではあるけれど、その書中のことばは、一行半句たりと、自分の望みや交友のことに触れているのではない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ジルケ教授は日本絵画史の編纂へんさんに従事せしかどその業成らざるに先立ちて千八百八十年代に歿ぼっしき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
孝孺こうじゅの父は洪武こうぶ九年を以て歿ぼっし、師は同十三年を以て歿す。洪武十五年呉沉ごちんすすめを以て太祖にまみゆ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
杜国とこく亡びてクルーゲル今また歿ぼっす。瑞西すいっつるの山中に肺にたおれたるかれの遺体いたいは、故郷ふるさとのかれが妻の側にほうむらるべし。英雄の末路ばつろ、言は陳腐ちんぷなれど、事実はつねに新たなり。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
(私は世の中がめんどうになって、愛鶴軒という雅号なども捨ててしまった。そして幸田君にわけを話すと、幸田君は——愛鶴軒は歿ぼっしたり——と新聞に書いてくれた。)
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
実に情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致してくれた、あゝ面目ないが、母も歿ぼっしたか、うん
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その頃私が聞いたのでは、津村の家はしまうちの旧家で、代々質屋を営み、彼のほかに女のきょうだいが二人あるが、両親は早く歿ぼっして、子供たちは主に祖母の手で育てられた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
わたくしちちも、ははも、それからわたくし手元てもとめし使つかっていた、忠実ちゅうじつ一人ひとり老僕ろうぼくなども、わたくし岩屋いわやとき前後ぜんごして歿ぼっしまして、その都度つどわたくしはこちらから、見舞みまいまいったのでございます。
たまたま水汲みに来た婦ども互いに齢を語るが耳に入る。一婦いわく、妾は某大官がコンスタンチノープルへ拘引された年生まれた。次のはいわく某大官歿ぼっせし年と。第三婦言う雪多く降った年と。
「昭和四年二月十八日歿ぼっす、俗名ぞくみょう宗清民そうせいみんの霊……」
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
正保二年十二月二日に歿ぼっした細川三斎ほそかわさんさいが三斎老として挙げてあって、またそのやしきを諸邸宅のオリアンタションのために引合ひきあいに出してある事である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
父は大正十二年に七十三歳で歿ぼっしたから、逆算してみるに明治二十九年にはまだ四十六歳のさかりである。しかし父は若い時分ひどく働いたためもう腰がまがっていた。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
まさに年季が明けようというきわに師匠が歿ぼっしましたので、師匠歿後の高村家におりましたけれども
当人の意志も沙門しゃもんになく、両親も歿ぼっしておりますから、家名をおこさせねばならぬ身でございまする。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まきの言ふところによるとひろ子の店は、ひろ子の親の店には違ひないが、父母は早く歿ぼっし、みなしのひろ子のために、伯母おば夫婦が入つて来て、家の面倒をみてゐるのだつた。
蔦の門 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
御先妻のあさという婦人がおっかさまに不孝を致し、の婦人の為に屋敷を出る位であったが、其の妻なる者が歿ぼっして二度目のさいは此の近辺にる浪島とか云う者の妹が参ったとか
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
れ幽明の異趣、すなわ詭怪きかいの多端、之に遇えば人に利あらず、之に遭えば物に害あり。故に大厲だいれい門に入りて晋景しんけい歿ぼっし、妖豕ようしに啼いて斉襄せいじょうす。禍を降し妖をなし、さいを興しせつをなす。
牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
明和七年春信歿ぼっするやその門葉もんよう中より磯田湖龍斎いそだこりゅうさい出で安永あんえい年代の画風を代表せり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
武蔵が歿ぼっしたのは正保二年の五月十九日で、同年十二月には僧沢庵も逝去している。武蔵の歿年は、六十二歳ともいわれまた六十四歳であったとも伝えられ二説確定していない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浪々中ろう/\ちゅうお花は十月とつきの日を重ね、産落うみおとしたは女の子、母のお花は産後の悩みによって間もなく歿ぼっせしため、跡に残りし荒木左膳が老体ながらも御主君ごしゅくんのおたねと大事にかけて養育なせしが
賀茂真淵かものまぶち直系の国学者で幕府旗本の士である加藤宇万伎うまきつたが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿ぼっするまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
主君は歿ぼっし、国亡び、相手方吉良殿は無事と承わる今日に於ては、臣たる某共それがしどもには、自決の途はあるはずにござりまするが、ただ内匠頭の弟大学が控えておりまするままに、しばらく生をぬすんで
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然るに、忠明は歿ぼっするまで、忠明でとおしている。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)