播州ばんしゅう)” の例文
「これにおるは、播州ばんしゅう小寺政職おでらまさもとが家老、黒田職隆もとたかが子にあたる官兵衛孝高よしたかである。——そちはまだ初めてであろう。ごあいさつせい」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あたかも江戸にも播州ばんしゅうにも和歌山にも皿屋敷があったり、真言宗が拡まった国には必ず弘法大師三鈷さんこの松類似の話があったり
藤森弘庵、通称は恭助、名は大雅ひろまさ、字は淳風じゅんぷう、後に改めて天山てんざんと号した。父は播州ばんしゅう加東郡小野の城主一柳ひとつやなぎ家の右筆ゆうひつであった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かえで 播州ばんしゅうの山の奥よ。病身なのよ。(考える)おとうさんのないのと、おかあさんの無いのとどちらが不幸でしょうか。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
播州ばんしゅう船阪山の水掛地蔵は、堂の脇にある古井の水をんで、その中で地蔵を行水させ、後でその水を信心の人が飲みました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その他、播州ばんしゅうには明石あかし人丸ひとまる神社がある。この神社より古来、火よけと安産の守り札が出ることになっている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
近頃は以前のように、やれ播州ばんしゅうの米がうまいとか、越後米にかぎるとかいうような話はあまり聞かない。
お米の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
また播州ばんしゅう〔兵庫県南部〕ではオコリオトシというそうだが、これもその草をせんじて飲めば味がにがいから、病気のオコリがオチル、すなわちなおるというのであろう。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
母の実父、すなわち私の祖父は、播州ばんしゅう(兵庫県)林田はやしだの旧藩主であったが、まだ生きていたのであった。母は、その生家の建部家をたよって、東京に出たのである。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
南京にいるわが駆逐艦は名も勇ましい『旗風はたかぜ』だ。艦長はたちばな少佐、播州ばんしゅう赤穂あこうに生まれた快男児である。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
そこで鶴江殿は産れ故郷の播州ばんしゅう姫路ひめじに立帰り、そのまま縁付いたのが本多家の御家来小笠原兵右衛門ひょうえもん
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そう改まると少しきまりが悪いが、何を隠しましょう、私の本国は播州ばんしゅう姫路、酒井様に仕えて、世にある時は百五十石をみましたが、——今からちょうど三十一年前
そういう状態で彼は友に招かれたり、また伴れに誘われたりして備後びんごから播州ばんしゅうの寺々をあさり歩いた。彼は体力が強いので、疲れた伴れの三人分の荷物を一人で引受けたりした。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
播州ばんしゅうでは明石を振り出しに見学の旅を続けましょう。この町の名にちなんだものとしては「明石縮あかしちぢみ」がありますが、仕事はかえって京都の西陣や越後の十日町の方に奪われました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
手前事、長年、播州ばんしゅう侯のお名を偽って遊里を徘徊はいかいしたが、まことにもって慚愧ざんきのいたり
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そのうちで一番私を不愉快にしたのは播州ばんしゅう坂越さごしにいる岩崎という人であった。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その後、肥後の白川しらかわ、都近くは江口、神崎かんざき、東海道の駅々には、大磯、黄瀬川きせがわ、池田などに名をうたわれた。遊女屋としてややたいを成しかけたのは、播州ばんしゅう室津むろつあたりであろうとのことです。
富井於菟女史は播州ばんしゅう竜野たつのの人、醤油しょうゆ屋に生れ、一人いちにんの兄と一人いちにんの妹とあり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
城主においとまい、老妻と共に出家して播州ばんしゅうの清水の山深くかくれたのを、丹後その経緯を聞き伝えて志に感じ、これもにわかにお暇を乞いけ、妻子とも四人いまさらこの世に生きて居られず
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
播州の瓢水 その昔、播州ばんしゅう瓢水ひょうすいといふ隠れた俳人がありました。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
ここは播州ばんしゅう姫路の城下、八重樫主水やえがしもんどの道場である。
半化け又平 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一、酒井雅楽頭さかいうたのかみ様、(播州ばんしゅう姫路ひめじ藩主)深川ふかがわ一円。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ただ播州ばんしゅう一国の変ではありませぬ。いまや尼子あまこ勝久は、その臣、山中鹿之介らを擁して、秀吉の力をかり、上月城を占拠せんきょしておる。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武州大里吉見おおさとよしみ辺にも同じことをするという。播州ばんしゅうなどでは十夜ととは全く別であって、亥の子は中の亥の日の夜いわゆる藁鉄砲のあそびをする。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
こんどは政祐の死で急養子にとられ、たちまち播州ばんしゅう姫路の城主になりあがった。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
播州ばんしゅうには那波屋なばや殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干あぼしというところにいるその子の乳母の家に追い
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし、さすがは播州ばんしゅう第一の骨ッぽい武将と勇卒ゆうそつのたてこもっただけのものはあって、今なお士気は凛々りんりん秋霜のごときものを示している。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪の下という名も知ってはいたが、子供や女は皆ユツグサといっていた。ユツは播州ばんしゅうなどでは井戸のことである。
播州ばんしゅう船坂山ふなさかやまの隠れ家へ帰って、一月ほど前に旅装を解いた鐘巻自斎は、落ちつく間もなく、また再び旅衣をけなければならなかった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私などもまだ播州ばんしゅうにいたころ、大きな西洋釘せいようくぎに紙のふさを附けたものを、地面に打付うちつけているのを見たことがあるが、あぶないといって持つことを許されなかった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
丹波には久下くげ一族をのこし、但馬たじまには細川、仁木。播州ばんしゅうには赤松。そのほか、四国、山陽の諸所の要々かなめかなめにはキメ石を打って、退いていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう印南いんなみ郡の土筆採りの童詞として、郡誌には次のような唄が載せてある。
もっとも、この播州ばんしゅうにいて、僻地へきちの数郡を領すに過ぎない地方の一城主に、そんな達見を望むのは無理だともいえるのである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これと全く同じ話は、また播州ばんしゅう加古川かこがわの教信寺の池にもありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
出航の奉行は、彼と、赤松一族の信濃守範資のりすけ(室山城主)とが協力でしていた。——ここら播州ばんしゅうの沿海はあらまし赤松円心の勢力下である。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高さは五尺ばかり、周りに垣をして大切にしてありますが、これは昔菅公かんこう筑紫つくしに流された時、度会春彦わたらいのはるひこという人が送って行って、帰りに播州ばんしゅうの袖の浦という所で、拾って来たさざれ石でありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
中国の総督そうとく、羽柴筑前守秀吉、安土へ上府じょうふす——と公然にとなえて、彼は、その任地播州ばんしゅう姫路からものものしくも出向いて来た。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
拙者の家は、播州ばんしゅう赤松の支流、平田将監しょうげんの末で、美作みまさか宮本村に住し、宮本無二斎とよぶものの一子、同苗どうみょう武蔵であります。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一面、秀吉は十月の中旬信長の命に接するや、電光石火、安土に勢揃いして、中国陣総指揮の資格を以て播州ばんしゅうへ入った。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう飾磨しかま玲珠膏れいじゅこうの本家で名物の目薬を買ったことのある者ならこのむすめには見覚えのあるはずであるが、菊女はめったに往来へも出なかった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼としては、勿論、もう平定した播州ばんしゅうと中央とのあいだの往来などは、さして危険ともしていなかったが、信長はなお
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう今宿いまじゅく(姫路市の西郊)から美作路みまさかじの杉坂越えまでには、途中、夢前川ゆめさきがわがあり揖保川いいぼがわの上流があり、たとえ身がるな二日路としても、らくではない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(自分は、播州ばんしゅう牢人、係累けいるいもなく少しばかり学問をこころざして、京都や江戸に学んだから、この土地で行く末は、良い塾でも持って落着きたいと思う)
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おおいの布を払って披露された品々は、その一端をあげても——お小袖こそで之料二百余反、播州ばんしゅう杉原紙二百そく鞍置物くらおきものぴき明石あかしだい千籠、蛛蛸くもだこ三千連、御太刀幾振
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう備州の境、帆坂ほさか船坂ふなさかの二つ峠は山陽道第一の悪路です。輦輿の人馬もそこでは行きなやむにちがいなく、かつはみな東国勢のこと、道は不案内にきまっている。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは播州ばんしゅう飾磨しかまうらで、志賀磨川しかまがわの水が海へそそぎ出る所、三角形になっている河口の漁村。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『夜でも、昼でも、雨や風でも、一刻も休まずに肩継かたつぎいたせ。——播州ばんしゅう赤穂あこうの城下まで』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生みの親は播州ばんしゅう龍野たつのから御当領の愛知あいち朝日村あさひむらに移り住んでおりまする木下七郎兵衛家利いえとしが娘で、一男二女の三人の子の、うちの一女をもらいうけて育てあげたのでござります。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを、人囲いに取り巻いて、なだめていると、側を通った播州ばんしゅう竜野たつのの城主脇坂淡路守あわじのかみ
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう加古川かこがわで渡し守をしているということが世間の笑い話になってから「加古川の教信沙弥しゃみ」といえば堕落僧だらくそうの代名詞のようになって落首らくしゅ俗謡ぞくようにまでうたわれたものだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)