“多年(たねん)” の例文
會(くわい)の名(な)は——會費(くわいひ)が九圓九十九錢(きうゑんきうじふきうせん)なるに起因(きいん)する。震災後(しんさいご)、多年(たねん)中絶(ちうぜつ)して居(ゐ)たのが、頃日(このごろ)區劃整理(くくわくせいり)に及(およ)ばず、工事(こうじ)なしに復興(ふくこう)した。
九九九会小記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
此點(このてん)に付(つい)ては國民(こくみん)一般(ぱん)に愬(うつた)へて、さうして國民(こくみん)と共(とも)に此(こ)の多年(たねん)解決(かいけつ)の出來(でき)なかつた大問題(だいもんだい)を解決(かいけつ)する方策(ほうさく)を立(た)てたのである。
金解禁前後の経済事情 (旧字旧仮名) / 井上準之助(著)
そう言(い)われるお爺(じい)さんのお顔(かお)には、多年(たねん)手(て)がけた教(おし)え児(ご)の身(み)の振(ふ)り方(かた)のついたのを心(こころ)から歓(よろこ)ぶと言(い)った、慈愛(じあい)と安心(あんしん)の色(いろ)が湛(ただよ)って居(お)りました。
宗助(そうすけ)と一所(いつしよ)になつて以來(いらい)、御米(およね)の毎日(まいにち)膳(ぜん)を共(とも)にしたものは、夫(をつと)より外(ほか)になかつた。夫(をつと)の留守(るす)の時(とき)は、たゞ獨(ひと)り箸(はし)を執(と)るのが多年(たねん)の習慣(ならはし)であつた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
然(され)ば嘉川主税之助家來(けらい)安間平左衞門の兩人は多年(たねん)の積惡(せきあく)一時に顯(あらは)れ又々此度再應(さいおう)の吟味に及ばれける處に安間平左衞門はとても遁(のが)れぬ處と覺悟(かくご)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それなら、大学(だいがく)の研究室(けんきゅうしつ)へ寄付(きふ)していただきましょう。ひじょうに、有益(ゆうえき)な研究資料(けんきゅうしりょう)となるのです。私(わたし)が、多年(たねん)探(さが)していたものが手(て)に入(はい)って、うれしいのです。
銀河の下の町 (新字新仮名) / 小川未明(著)
遺骨(ゐこつ)は三四體(たい)、合葬(がつそう)した形跡(けいせき)がある。其所(そこ)にも此所(こゝ)にも人骨(じんこつ)が横(よこた)はつて居(ゐ)るが、多年(たねん)泥水(どろみづ)に浸(した)されて居(ゐ)たので、手(て)に觸(ふ)れると宛然(まるで)泥(どろ)の如(ごど)く、形(かたち)を全(まつた)く取上(とりあ)げる事(こと)は出來(でき)ぬ。
中でも兄は、これで多年(たねん)の志が遂げられたやうな気がした。東京に行きさへすれば、どんな目的でも達せられる。何(ど)んな豪(えら)い人にでもなれる。馬車に乗るやうな立派な人にもなれる。
朝 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
元来野蛮の蒙古人が山奥に棲むこと多年(たねん)、其(そ)のますます蛮化したのは怪(あやし)むに足らぬ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『コレコレ、汝(そち)は何(なん)の為(た)めに多年(たねん)精神統一(せいしんとういつ)の修行(しゅぎょう)をしたのじゃ。統一(とういつ)というものは斯(こ)うした場合(ばあい)に使(つか)うものじゃ……。』
山(やま)には、せみやひぐらしが鳴(な)いていました。老人(ろうじん)は、もう多年(たねん)この山(やま)の中(なか)に生活(せいかつ)をしています。
山へ帰りゆく父 (新字新仮名) / 小川未明(著)
鸚鵡(あうむ)は多年(たねん)馴(な)らしてあつて、土地(とち)の言語(げんご)は固(もと)よりだし、瓜哇(ジヤワ)、勃泥亞(ボルネヲ)の訛(なまり)から、馬尼剌(マニラ)、錫蘭(セイロン)、澤山(たんと)は未(ま)だなかつた、英吉利(イギリス)の語(ご)も使(つか)つて、其(それ)は……怜悧(りこう)な娘(むすめ)をはじめ、誰(だれ)にも、よく解(わか)るのに
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
そなたはいよいよ神(かみ)として祀(まつ)られることになり、多年(たねん)連添(つれそ)った良人(おっと)として決(けっ)して仇(あだ)やおろそかには考(かんが)えられない。