苛々いらいら)” の例文
下心を知りあって、そのためにフミキリのつかなくなった私は、よけいに苛々いらいらジリジリと虚しい苦痛の時間を持たねばならなかった。
三十歳 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
今日ばかりは三人のしゃべるのを聞いていると苛々いらいらして来て、いやだと思うと一層体が大儀になり出して、つい顔色にも現れるので
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
何か苛々いらいらして来て、ひたむきに美沢を追う気になれず、その不満をまぎらすために、姉の酒場バーで働いていると、そこへ美沢が現れて
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この待合室に一杯詰つてゐる人々も、今皆わたしと同じ運命にあつてそれが同じ事ばかり訊くので、驛員も氣が苛々いらいらしてゐるのらしい。
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
菊千代は急に不安になり、苛々いらいらした声で「帰る——」と云うと、立って大股おおまたに馬のほうへいった。うしろで半三郎があっといった。
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
文麻呂 (苛々いらいらして)さあ、清原。坐ろう、坐ろう! 坐って大納言を堂々と待伏せするんだ! (ぺったりと坐る)……坐れよ!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
そうした心を抱いて苛々いらいらしていた時分であった。ある日私が、学校から帰って来て、大叔父の店の横路地を裏口へ曲ろうとすると
この南九州の熊本市まで、東京からあわただしく帰省してきた左翼作家鷲尾わしお和吉は、三日もつともうスッカリ苛々いらいらしていた——。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
それが邪魔になってその横顔を覗くことが出来ないので、かれは苛々いらいらしながら付けてゆくと、娘はやがて権田原につづく広い草原に出た。
離魂病 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
余裕よゆう綽々しゃくしゃくとした寺田の買い方にふと小憎こにくらしくなった顔を見上げるのだったが、そんな時寺田の眼は苛々いらいらと燃えて急にいどかかるようだった。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
つい無思慮な二人の間の因縁の結ばれた郊外の質素なホテルで、余寒の苛々いらいらしい幾日かを過ごそうというだけのことであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
これも甚だ不正確ふたしかなので、ハテ、何処だつたかと、気が少し苛々いらいらして来て、東京ぢやなかつたらうかと、無理な方へ飛ぶ。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
それに阿母さんという人が、女でも煙草屋の店に坐って、頑張っていようという人だから、北村君の苛々いらいらした所は、阿母さんには喜ばれなかった。
北村透谷の短き一生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
苛々いらいらしさ……何よりも芸術の粋を慕ふ私の心は渾然としたその悲念のとろましさにわけもなくいぢめられ、魅せられ、ひき包まれ、はたまた泣かされる。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
そして思ふことがうまく口に出ないときにやる、一心な、どこか苛々いらいらした目つきになりながら、殆ど癇癪を起しさうになりながら、やつと云つた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々いらいらする。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。
伊庭も、何時までも田舎暮ゐなかぐらしも出来ないので、苛々いらいらしてゐるのだらうと、ゆき子は、早々と荷物を送りつけて来てゐる伊庭一家の気持が察しられた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
彼女は其処そこに在った長い煙管を取りあげて煙草を吸った。その人を馬鹿にしたような態度に壮助は急に苛々いらいらしてきた。
生あらば (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
警官の奴、気を苛々いらいらしているぞ。何といっても開けるものか。そしてこの間に、すっかり溶かしてしまわなくちゃ。
殺人の涯 (新字新仮名) / 海野十三(著)
弟の五郎将文まさぶみは、兄の無気力に、苛々いらいらしていった。具足の腰に付けていた革の水筒を解いて、馬上から馬上へ
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうしたものだろうか」平一郎は飯を食い、バナナを食ったせいも加わって、机に頬杖ついたまま考え込むというよりも苛々いらいらしい心持で夢みつづけていた。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
清二は外から帰って来ると、いつも苛々いらいらした気分で妻にあたり散らすのであったが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠ひきこもって、せっせとミシンを踏んだ。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図いちず苛々いらいらして、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっとしゃくに障れば、妾三人でかっとした。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
伊東は苛々いらいらしながら裏の小窓を開けて、雨の吹き込む中にやみを透かしたり、また表側に回っていって、怒濤どとうの荒れ狂う暗い海の中に見えないボートを捜し求めた。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
「こればっかしぢゃ仕方ないわ。あたしの光でそこらが赤く燃えるやうにならないくらゐなら、まるでつまらないのよ。あたしもうほんたうに苛々いらいらしてしまふわ。」
まなづるとダァリヤ (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
くちばしひげで、プツリと穴を明けて、中をのぞき込んで、呪っているのではあるまいかと、神経が苛々いらいらする。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
最初は爺いさんを邪魔にして、苛々いらいらしたような心持になっていた末造も、次第に感情を融和させられて、全く預想よそうしなかった、しんみりした話をすることになった。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
が、遅れてはいって来た春子は、いかにも腹が立つように、苛々いらいらそこらを歩いて、つばを吐いたりした。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
唇に唇を合せようとしたりする苛々いらいらしい二つの影が壁を透したふしぎな室のなかに、ずるずると畳擦れの音とともに女の視覚と神経とをすっかり支配しつくしたとき
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
実際私達にしろこの坂に達した時分になると余程よほど自分ではしっかりしているつもりでも神経が苛々いらいらとして来て、藪蔭やぶかげで小鳥が羽ばたいても思わず慄然として首を縮め
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
相憎あいにくさま、ふふんだと肚の中で呟いた、だが、考へやうによつては、おきよが苛々いらいらしてゐるのももつともだと云ふ気がしないではなかつた、どうせ、飲み屋のことだから
一の酉 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
ぼんやり立つて、玄関で編上げの靴のひもを結んでゐる兄を待つてゐたが、待つてゐると、何かしなければならないことが沢山あると云ふやうな、苛々いらいらした気持になつてきた。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
それが一歩を進めると、衆人しゅうじんの前に出るのを恐れるようになり、いわゆる気弱きよわとなる。また胃弱者いじゃくしゃのごときもまた同じく、気が始終苛々いらいらし、つねに人と交際するのをわずらわしく思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
僕は勿論もちろん腹も減りはじめた。しかしそれよりもやり切れなかったのは全然火のと云うもののない控室の中の寒さだった。僕は絶えず足踏みをしながら、苛々いらいらする心もちをおさえていた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
時雄は常に苛々いらいらしていた。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆しょしからも催促される。金もしい。けれどどうしても筆を執って文をつづるような沈着おちついた心の状態にはなれなかった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
二階をにらめあげて、苛々いらいらと目をながら、思いかえし、思い直しては、また、歯を喰いしばっていたが、矢庭やにわに腰の小刀しょうとうを抜いて、平七の手に押しつけると、うめくような声で新兵衛が言った。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
唯重苦しい苛々いらいらした気持ちだけなのだ。
と少し苛々いらいらしたやうな調子で
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「帰れますか。心配で……しかし、ほかに客がいるのに、僕が上って来たら、可笑おかしいので、苛々いらいらしながら、下で待っていたんですよ。」
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
腹立たしさをこらえながら苛々いらいらしていたが、出がけにトーストを食べただけなのが今になると答えて、たまらなく腹が減って来た。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
殊に主人の病根をよく知っている彼は、なんにも知らない師冬が一人で苛々いらいらしているのを気の毒に思い、おかしくも思った。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
主人は昨夜、寝室へ来てから、無慙むざんなほど、やつれはてておりましたのです。苛々いらいらと、寸時も居たたまらぬていで、脅えきっている様子でした。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
年が明けて春の近づくころから、菊千代はまた気持が苛々いらいらし、かんたかぶって、例月のさわりの前後には、再びあの忌わしい夢を見るようになった。
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
やがて隣りの部屋では、乱暴に椅子を引き寄せたり、洋服箪笥を開けたりしてゐる、加野の苛々いらいらした気配が聞えてゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
渠は心が頻りに苛々いらいらしてるけれど、竹山の存外平気な物言ひに、取つて掛る機会しほがないのだ。一分許り話は断えた。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
帆村は帳面をとりあげると、念入りに一ページ一頁と見ていった。丘田医師は次第に苛々いらいらしている様子だった。そのうちに帆村は、投薬簿をパタリと閉じた。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ある時も銀子が栗栖の座敷にいると、彼は気がめてならず、別の座敷へ上がってよその芸者をかけ、わざと陽気に騒いだりして、苛々いらいらする気分を紛らせていた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そして今ではもう苛々いらいらした気持で、アンナ・セルゲーヴナは自分のことなんか忘れてしまっているのだ、もしかするともう他の男を相手に遊びまわっているかも知れない
彼女は岸本の苛々いらいらとした沈黙を彼女自身に対する何かの不満という風にって書いてよこした。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そしてそのことが妙に彼を苛々いらいらさした。眼をつぶるとあの時の光景がはっきり浮んできた。
生あらば (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)