幽邃ゆうすい)” の例文
幽邃ゆうすいなる杉並木が、富士の女神にさす背光を、支持する大柱であるかの如く、大鳥居まで直線の路をはさんで、森厳に行列している。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
それはくだってまた昇るのであるが、暫くは密林帯で、数町の間樹木におおわれて、日の目も漏らぬトンネルのような幽邃ゆうすいな谷がつづく。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
この東嶺寺と云うのは松平家まつだいらけ菩提所ぼだいしょで、庚申山こうしんやまふもとにあって、私の宿とは一丁くらいしかへだたっていない、すこぶる幽邃ゆうすい梵刹ぼんせつです。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「まだこの辺は御本丸の出端ではずれ、風趣が浅うござります。さ、この鷲の森を抜けて、もう少々幽邃ゆうすいな深山へ御案内いたしましょうか」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もっと荘厳な、もっと幽邃ゆうすいな景である。汽車は雪よけのトンネルを出たり入ったり、静かな雪の世界に響くような音をたてて行く。
五色温泉スキー日記 (新字新仮名) / 板倉勝宣(著)
この部屋は、光線の取り方も苦心をして幽邃ゆうすいを漂わせているから、此処こそ参詣者のぬかずく場所と、私も合点して合掌したのであった。
褐色の求道 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
其の庭園の向ヶ岡の阻崖に面してすこぶる幽邃ゆうすいの趣をなしていたので、娼楼の建物をその儘に之を温泉旅館となして営業をなすものがあった。
上野 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
空色の単衣に青磁色の帯は、紫陽花あじさいのような幽邃ゆうすいな調子があって、粋好みのお秀が好きで好きでたまらない取合せだったのです。
両岸の絶壁は鬱蒼うっそうたる老樹の緑、神田川の間を貫いて、市中とは思われぬ幽邃ゆうすい気分、詩人はこぞって「小赤壁」と呼んだくらい。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
恵那峡の幽邃ゆうすいはともすると日本ラインの豪宕ごうとうしのぐ。ここまでのぼって来なければ木曾川の綜合美は解せられない。すばらしい、すばらしい。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
幽邃ゆうすいの趣きをたたえた山裾やますその水のほとりを歩いたりして、日の暮れ方に帰って来たことなどもあって、また二日三日と日がたった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
栂に交って唐檜、椈、白樺なども少しはあるが、十文字峠の幽邃ゆうすいなるには及ばざること遠しの感がある。馬酔木あせびの大木が多いのには驚嘆した。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
深い谷間には檜葉ひばの木が沢山生えて居りますが杜鵑ほととぎすは月の出たのを悦びてか幽邃ゆうすいなる谷の間より美しい声を放って居ります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
湖のおもては、相変らず肌寒い水を漫々まんまんたたえて、幽邃ゆうすいな周囲の山々や、森の緑をうかべて、あの自家発電用の小屋も、水門の傍らに建っています。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
「乾隅」が暗く幽邃ゆうすいな位置を表象し、そして「ゆかしき」という言葉が、詩の全体にかけて流動するところの、情緒の流れとなってるのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「山紫水明、幽邃ゆうすい閑寂、などという通俗なことではない、そこはちょっと適当な形容を思いつかぬが、ともあれ静かで、人情純朴ないいところだ」
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
冬はその方が暖かで助かることもあるが、夏の晩はどんな幽邃ゆうすいな避暑地へ逃れても、先が旅館である限り大概都ホテルと同じような悲哀につかる。
陰翳礼讃 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
つばめ温泉に行った時、ルビーのような、赤い実のついている苔桃こけももを見つけて、幽邃ゆうすいのかぎりに感じたことがあります。
果物の幻想 (新字新仮名) / 小川未明(著)
この神社も古雅な、なかなか結構な社地で、とても幽邃ゆうすいなところでして、この辺からすでに桜がちらほら見えます。
女の話・花の話 (新字新仮名) / 上村松園(著)
神田川にそそぐお茶の水の堀割は、両岸の土手が高く、樹木が鬱蒼うっそうとして、水戸みと家がへいした朱舜水しゅしゅんすいが、小赤壁しょうせきへきの名を附したほど、茗渓めいけい幽邃ゆうすいの地だった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
なんぴともここに来たりて弁天を拝し、その水にて銭を洗えば金がたまるといわれている。余も鎌倉客中にたずねて見たが、すこぶる幽邃ゆうすいな巌窟である。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
竹逕ちくけい涼雨りょうう怪巌かいがん紅楓こうふう蟠松ばんしょう晴雪せいせつ……育徳園いくとくえん八景といって、泉石林木せんせきりんぼく布置ふち幽邃ゆうすいをきわめる名園がある。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
利根川、白砂沢、また、花咲峠から渓水を運んでくる塗川にも渓流魚は豊富である。仏法僧で名高い迦葉かしょう山に源を持つ発知川と池田川は、幽邃ゆうすいそのものだ。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
大きい竹藪の間に人家の見える所へも来た。水の音がしきりに聞こえて、いかにも幽邃ゆうすいな趣がある。あれこそ寺だろうと思っていると、それは水車屋だった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
死の様な静けさ、さも幽邃ゆうすいにしつらえた人造の峡谷、ブリキ細工の奇岩怪石、枝を交えた老樹の影、そこに小波一つ立たぬ黒い池が不気味に黙り返っていた。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
くま鹿しかむという、幽邃ゆうすいな金門公園をけて、乗っていたロオルスロオイスが、時速九十キロで一時間とばしても変化のないような、青草と、羊群のつづく
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
「素晴らしい庭ですな。彼処あすこの杉林から泉水の裏手へかけての幽邃ゆうすいな趣は、とても市内じゃ見られませんね。五十万円でも、これじゃ高くはありませんね。」
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
一風呂ひとふろゆあみに二人は今日の疲れをいやし、二階の表に立って、別天地の幽邃ゆうすいに対した、温良な青年清秀な佳人、今は決してあわれなかわいそうな二人ではない。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
今日交通の便開けた時代でも、身延山詣でした人はその途中の難と幽邃ゆうすいさとに驚かぬ者はあるまい。
独言ひとりごとが出た。山手の家は林泉の美が浜のやしきにまさっていた。浜のやかた派手はでに作り、これは幽邃ゆうすいであることを主にしてあった。若い女のいる所としてはきわめて寂しい。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
甲州一と里人の自慢している大杉が幾株か天を突いて、鳥一つ啼かぬ神々こうごうしき幽邃ゆうすいの境地である。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
Tの家は宮司ぐうじで、街道からすこし離れた幽邃ゆうすいな松原湖のほとりにある。Tは私達を待受けていたのだ。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
華麗、陰惨、明快、幽邃ゆうすい、重厚、深遠、平和、兇猛……、山の美は選ぶ人の心により各様である。或る人は富士を佳い山といい、或る人は穂高ほど素晴らしい山はないと言う。
山想う心 (新字新仮名) / 松濤明(著)
公園もこのあたりになると、ちょっと幽邃ゆうすいな感じがして、遊歩の人の姿もきわめてまれである。早春のあわい日影が、それでも木の間を通して地上に細かなくまを織り出していた。
地図にない街 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
河の流れをたどって行く鉛筆の尖端が平野から次第に谿谷けいこく遡上さかのぼって行くに随って温泉にぶつかり滝に行当りしているうちに幽邃ゆうすいな自然の幻影がおのずから眼前に展開されて行く。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
うさぎは弱い動物だ。その耳はやむ時なき猜疑さいぎに震えている。彼は頑丈がんじょう石窟せっくつに身を託する事も、幽邃ゆうすいな深林にその住居を構えることも出来ない。彼は小さなやぶの中に彼らしい穴を掘る。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
有名な富田屋では、その庭の幽邃ゆうすいなのに感心した。その賑やかな都会の真中に、さうした山の中のやうな静かな庭があらうとは! またあゝした大きな深く茂つた樹があらうとは——。
大阪で (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
古びてゆがんではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ陣取って、毎日風呂を立てさせて遊んでいたら妙だろう。景色もこれという事はないが、幽邃ゆうすいでなかなかいところだ。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
斯る幽邃ゆうすいな大自然にも私の怒りを慰め得ない狭小な人間と化してゐたので、まだ臆病に躊躇ひ乍ら佇んでゐる主婦の姿に、バリ/\と歯を噛むやうな苛立たしさを覚えずにはゐられなかつた。
幽邃ゆうすいな奥庭のほとり——大岡越前守お役宅の茶室である。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
幽邃ゆうすい鬼涙沼きなだぬまのほとりに封建の夢を遺している。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃ゆうすいな所です。——なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
麹町日枝神社こうじまちひえじんじゃ山門さんもんの甚だ幽邃ゆうすいなる理由を知らんには、その周囲なる杉の木立のみならず、前に控えた高い石段の有無うむをも考えねばなるまい。
幽邃ゆうすいな左岸の林に釣人がいる。一人、二人、三人、四人。麦稈帽むぎわらぼうで半シャツ、かがんで、細いさおの糸をおなじくしんかんと水に垂らしている。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
十二社は今より多少幽邃ゆうすいであったが、滝は幅一尺あまりの樋から七、八尺の高さに落ちる、手もなく溝のはけ口、到底この滝を浴びる勇気なし。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
藤吉郎もいて出た。小屋の中は鬱陶うっとうしいが、清洲城の奥なので、あたりは幽邃ゆうすいだし、遠くは城下を見晴らしているし、心までが大きくなった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白糸瀑は其周囲、殊に向って右手の崖の上や中腹から地下水が幾条となく細い瀑となって落下している様が奇観であり、崖上の木立も幽邃ゆうすいである。
春の大方山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
壮大とか、瀟洒しょうしゃとか、幽邃ゆうすいとか、余計な形容詞なぞは、一切省くことにしよう、ことごとく青年の話の中に詳しいから。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
「天狗の湯」はその名の如く、むかし天狗がんでいたところなのでしょう、とても幽邃ゆうすいの境地だというのです。
その道は無始無終、常恒不変にして、よく万象の主となり、真にしてじゃく、霊々照々、幽邃ゆうすい玄通、応用自在なり。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)